独身貴族は業務量を見直す
「おはよう!」
工房で作業をしているとルージュが元気良く扉を開けて入ってきた。
「ルージュさん! お久しぶりです! 身体の方はもう大丈夫なんですか?」
「大袈裟ね。元々ちょっと疲労が溜まってただけで、身体を壊したわけじゃないんだから。むしろ、休み過ぎて身体がおかしくなりそうになったくらいね」
鈍っていた身体をほぐすかのように腕を回して見せるルージュ。
「そうでしたか。ルージュさんが無事に戻ってきてくれて良かったです!」
「ちょ、トリスタン……そんなに泣くほど!?」
感激し涙を流すトリスタンの反応に、ルージュが戸惑いを見せる。
「だって、ルージュさんがいないと素材管理とか発注とか雑用とか掃除にお茶汲みまで全部俺に丸投げにされるんですよ!」
「あー……」
トリスタンの嬉し涙の理由を知ったルージュが苦笑いにする。
「とにかくジルクさんの人使いが荒いんです!」
「俺だってルージュの仕事を引き継いで作業していた。それに比べれば、トリスタンのやっている仕事など微々たるものだ」
手酷い扱いを受けたと述べる部下に異議を申し立てる。
従業員が一人抜けたんだ。穴を埋めるためにそれぞれが業務を負担するのは当然だ。
しかし、そんな俺の突っ込みなど聞こえていないかのようにトリスタンは振舞う。
相変わらず都合のいい奴だ。
「ルージュさん、いつも俺たちのためにこんなに色々とやってくれていたんですね。ルージュさんがいなくて痛感しました。いつも本当にありがとうございます」
「あたしのことを評価してくれるのは嬉しいけど、なんだか複雑な気持ちね。でも、感謝の気持ちは素直に受け取っておくわ。ありがとう」
ルージュも自らの体調管理不足で穴を開けていなければ、もっと素直に喜べたことだろう。
とはいえ、ルージュの業務を引き継いで彼女の仕事の重さを再認識していたのは俺も同じだ。
やはり書類上での報告では実感しづらい部分も多い。俺も勉強になったものだ。
心の中でそう反省していると、ルージュが荷物を置いてこちらにやってくる。
「ゆっくり休むことができたいみたいだな」
「ええ、お陰様でね」
病院自体は翌日には退院できたほどなのだが、心身共にゆっくりとさせるためにルージュには二週間もの休暇を与えた。
彼女からは一週間で十分などという抗議がきたが、そこは工房長権限で黙らせて強制的に休んでもらった形になる。
その甲斐もあってか目の前に立っているルージュは健康そのものだ。
やや癖のある髪はしっかりと整えられており、肌もきめ細やかで化粧のノリもいい。
なにより二週間前よりも表情が活き活きとしていた。
休暇を与えて体力、気力ともにすっかりと回復できたようだ。
ルージュは居住まいを正すと腰を深く折った。
「この度は大変ご迷惑をおかけしました。次からは同じ過ちを繰り返さないように気をつけます」
「いや、こちらこそ無理なことを言ってすまなかったな」
俺があんな条件を出さなければルージュは無理をすることはなかったし、彼女も責任を感じて一人で押し進めることなく柔軟な対応ができただろう。
このことについては俺に大きく責任があると感じている。
そのように述べるもルージュは頭を横に振る。
「いいえ、知人に手を貸してもらうなり、臨時で人を雇って簡単な仕事をやってもらうなりやり方はいくらでもあったわ。意地になっていたあたしが悪いのよ」
「じゃあ、お互いに悪い部分があったってことで」
「そうね」
「そうだな」
やや強引なまとめではあったが、あのまま続けていれば謝罪合戦になるのでトリスタンには少し感謝だ。
「とはいえ、この事件を有耶無耶にして終わらすつもりはない。今回を機に業務量の見直しを行うことにした」
互いに意地を張り合ったのが大きな原因とはいえ、ルージュが過労になったことは事実だ。
今回、ルージュが穴を開けたことで彼女の仕事があまりにも多岐で重いことがわかった。
上司としてこの事態を放置しておくわけにはいかない。
部下の優秀さに甘えるのではダメだ。しっかりと業務内容の見直しが必要である。
「具体的にはどうするの?」
「前々から言われていた通り、従業員を増やす」
ルージュの行う作業は素材管理、経理、営業、販売などと多岐に渡る。
それらを軽減するために、いくつかを割り振れる者を入れるのが手っ取り早いだろう。
純粋なマンパワーというのはそれだけで強力だ。
従業員の追加を切望していたルージュとトリスタンはその報告に嬉しそうな顔をする。
「ようやくですね! で、どれだけ追加するんですか?」
「事務員を一人。魔道具師見習いを一人か二人ほど考えている」
「魔道具師見習い……ッ! うう、ようやく俺にも後輩ができるんですね!」
工房の所属歴が短く一番年下のトリスタンが嬉しそうにする。
「新人が入ってもトリスタンは下っ端のままって感じはするわ」
「同感だ」
「さすがにそれは酷くないですか!?」
仮に新人が入ってきたとしても、今までの感覚が抜けずにそのまま新人としてカテゴライズしそうだ。
しかし、それでは組織としての運営に問題がある。
その時はこちらもそれなりの対応をしてみなければいけないだろうな。
「でも、いいの?」
「なにがだ?」
「従業員の追加にはあれほど反対していたじゃない。人とか増えるのあんまり好きじゃないんでしょ?」
「その通りだが、そうも言ってはいられない状況になったからな」
俺の返答にルージュも納得したように頷く。
「まあ、今年は色々と予想外なことがあったものね」
コーヒーミル、結婚指輪、クーラーとここ最近は短いスパンで新しい魔道具を作り過ぎてしまった。
本来ならミルと指輪は売るつもりなどなかったし、ここまで広まるとは思いもしなかった。
そんないくつかの誤算が重なり、そう言っていられない状況になったのだ。
大勢の人がいる中で働くのが嫌いだとか、人間関係が面倒くさいとか言っていられない。
俺の個人的な考えだけでルージュやトリスタンに過度な労働を課すことはできない。
そんなことを続けていればブラック企業だと言われ、二人も愛想を尽かして出て行ってしまうかもしれないからな。
経営者として職場の働きやすさと効率を図るのは当然だ。
「事務員に関しては何を任せるつもりなの? あたし、今の営業や販売、素材管理は好きだから、こっちの仕事は続けて任せてもらえると嬉しいんだけど……」
「問題ない。俺もそう考えていた。新しく入れる者には経理や雑用を任せようと思う」
ルージュと俺の意思は同じだったので、新しく雇う予定の事務員の仕事は決定だな。
「ちなみに事務員の宛はあるの?」
「こちらに関しては全くない。これから探そうと思っている」
「だったら、あたしの知り合いに声をかけてみてもいい? 商会で経理をやっていたママ友がいるんだけど、新しい就職先を探しているみたいなの」
「商会で働いていたなら、そこに戻るんじゃないのか?」
商会で経理として働いていたというのは、大きなキャリアだ。
そんな女性であれば、その商会に戻る、あるいは別の商会で働きそうなものだが。
「働いていた職場には新しい経理の子が入っているみたいで……それに商会って意外に束縛時間が長いのよね。ほら、既婚者って子供の都合で労働時間が変動するじゃない? その辺り、うちはすごく柔軟だから」
商会の勤務事情は知らないが、既婚者の女性は働くにはやや厳しい職場らしい。
まあ、大きな組織にもなると無駄にデスクにいなければいけない、変なルールが出来上がるからな。非効率的な暗黙のルールとやらがあるのだろう。
「……優秀なんだろうな?」
知人を紹介するのは問題ないが、俺にとって重要なのはそいつが有能かどうかだ。
誠実性も必要だが、一番大事なのはそこだ。
「ええ、優秀よ。性格も保障できるわ」
「ならば問題ない。そいつが了承するのであれば、試用期間としてまずは入ってもらう」
「わかったわ。今度、聞いてみるわね」
ルージュのママ友とやらが優秀なのであれば、これで事務員は一人確保できたことになりそうだ。
「うちって既婚者の人にとって働きやすい職場なんですか?」
「破格の働きやすさよ! 他のところは産休や育休なんてないんだから!」
「なんですかそれ?」
女性であるルージュには契約時に説明しているが、トリスタンは男性なので説明しておらず、知らないのも無理はない。
「産休は出産予定日の六週間前と産後の八週間取得できる休業システムだ。育休は一年間の育児休業が認められている。ただし、それら取得するにはいくつかの条件があるがな」
雇用期間が一年未満だったり、一年以内に雇用関係が終了する、週の勤労日数が二日以下、日雇いのバイトなどにはそれらの休暇は認められない。
「へえ、そんなものがあったんですね」
「これかなりすごいんだから! 大商会くらいじゃないと、こんな休暇システムはないんだから!」
身を乗り出して素晴らしさを説くルージュにトリスタンがやや顔を引きつらせながらこくこくと頷いた。
「でも、意外ですね。結婚に反対意識を持っているジルクさんが、既婚者に働きやすいように仕組みを整えているなんて」
「あたしが子供の都合で早退するのも認めてくれるし、働く時間にも融通をつけてくれる。今思えば不思議なことよね」
「独身だからな。既婚者のデメリットを知っているだけだ」
「「あああー」」
そのように告げると、トリスタンとルージュは納得したように頷いた。
独身者だからこそ、既婚者になった時の不便さを理解している。
優秀な人材が女性だった時に、それらのデメリットを補うような保証をすれば、働きやすさが上がる。簡単なことだ。
まあ、仕組み自体は前世の勤労システムを取り入れただけなので、考えるのに苦労はなかったがな。
「ところで、見習いの人に関しては決まっているんですか? 俺の後輩になる予定の人たちなんでその辺り気になるなーって」
「そっちはルーレン家の工房から引っ張ってくることが決まっている。具体的に誰かはまだ決まっていない」
「……ルーレン家? もしかして、あたしが穴を開けて借りを作ったせい?」
そう告げると、ルージュが勘づいたのだろう。申し訳なさそうにする。
「きっかけの一つに過ぎん。気にするな」
クーラーの販売をルーレン家の者に手伝ってもらう代わりに出された条件が、ルーレン家の工房にいる魔道具師見習いの育成だった。
元々、両親やアルトから何度も要請がきていた。
今までは突っぱねていたが、どこかのタイミングで引き受けることになるだろうとは思っていた。そのことをルージュが気にする必要はない。
ルージュに軽く説明すると、トリスタンがいつになく真剣な顔で口を開いた。
「ジルクさん! 採用するのは可愛い未婚の女性でお願いします! できれば平民で性格も優しそうでスタイルのいい子が――」
「優秀な奴を採用する。以上だ」
「ルージュさんの意見には耳を傾けたのに俺だけ扱いが酷い!」
それは日ごろの行いによる区別だ。
部下の色欲に塗れた願望など考慮に値しない。
「さて、休暇も明けたことだし今日から働いても問題ないわよね?」
「勿論だ。クーラーの販売まで時間がない。やるべきごとが山積みだぞ」
「任せて。ここまでやってもらったんだもの。ちゃんとクーラーの販売を成功させてみせるわ」
悲嘆に暮れたトリスタンを放置して、俺とルージュは今日の業務を再開しだ。




