独身貴族は損失を防ぐ
『独身貴族は異世界を謳歌する』の書籍3巻は8月30日発売です。今回も書き下ろしあり、特典ストーリー付きです。よろしくお願いします。
夕方、用事を終えた俺は再び病院へやってきた。
朝は眠っていたルージュであるが、この時間ならばさすがに起きているかもしれない。
病室の扉を控えめにノックしてみると、中からルージュの返事がした。
扉を開けて中に入ると、ベッドでは上体を起こしたルージュの姿が。
ひと眠りしたからだろうか今朝よりもずっと顔色は良いように思えた。
しかし、まだまだ快調とは言えなさそうだ。ベッドに佇むルージュの身体はいつもより小さく見えた。
傍らにはダリルが立っており、膝にもたれかかるようにして眠っているフィルがいた。
ダリルに軽く会釈をし、フィルを起こさないようにできるだけ小さな声で尋ねる。
「身体は大丈夫か?」
「迷惑をかけてごめんなさい。休ませてもらったお陰で大分マシになったわ。明日には復帰して今日の遅延も取り戻すから」
「ルージュ! しばらく休まないとダメだってお医者さんも言っていただろう?」
「今日一日休んだから大丈夫よ。それより、あたしが復帰しないとクーラーの販売ができなくなる」
「身体を壊してまで仕事って、そんなにクーラーの販売がそんなに大事なのか?」
体調を慮るダリルと、仕事を優先したいルージュの応酬。
互いの意見がぶつかる。
別にそれ自体はいいのだが、巻き込まれた俺としては何ともいえない気持ちだ。
これを見てどうしろと言うんだ。
「あまり大声で叫ぶと子供が起きるぞ?」
「ごめんなさい。つい熱くなっちゃったわ」
家族ならではの会話を見られたのが恥ずかしかったのか、ルージュがバツ悪そうにした。
しかし、すぐに気を取り直し、真剣な眼差しをこちらに向ける。
「ジルク」
「なんだ?」
「迷惑をかけた上でこんなことを言うのは厚かましいけど、あたしはすぐに復帰してクーラーの販売を進めたい。だから、復帰を認めてほしいの」
ルージュのそんな言葉にダリルが口を開きそうになるが手で静止させる。
「ルージュがそこまでするのは、以前熱中症で倒れた子供のためか?」
尋ねるとルージュが目を見開き、ダリルが驚きの声を漏らした。
「……トリスタンから聞いたの?」
「ああ、お前のクーラー販売への熱意がどうにも不可解でな。前に理由は聞いたがどうにもそれ以上の理由があると思った」
他人をあんまり詮索するのは好きではないが、相手がどのような思惑で動いているか把握するために必要なことだった。
トリスタンから間接的に聞いたが、やはり本人の口から直接聞きたいと思った。
「まったく、あの子は本当にお喋りね」
「それがわかっていながら話したお前が悪い」
トリスタンの口が軽いのは当然ながら、それを知りながら迂闊に事情を話したルージュも悪い。
俺の問いかけにルージュは観念したように息を吐いた。
「ええ、そうよ。フィルのように子供たちを熱中症にさせたくないと思ってね」
そう言いながら寝息を立てるフィルの頭を撫でるルージュ。
愛しむような表情と手つきを見れば、ルージュが息子を大事にしているのが伝わるようだった。
「フィルだけじゃなく、知り合いの子供たちの多くが熱中症になっていてね。その中には命を落としちゃった人もいるの……でも、クーラーさえあれば、そんな犠牲はグッと抑えられるんじゃないかって思ったわ」
「ルージュ、そのために無理をして……」
「ちょっと気恥ずかしくて言いづらくてね。仕事を進めるのにもあまりにも個人的な理由だし」
クーラーは熱中症を防ぐ万能の魔道具ではないが、室温の調節と水分補給をしっかりしてやれば熱中症の心配はかなり抑えられるのは確かだ。
俺の魔道具を広めるという大義名分は隠れ蓑で、本当は自分の子供のような被害者を出さないためだったか。
確かに組織として仕事を進める上では言い出しづらい理由だな。
「そういうわけで、あたしは一刻も早くクーラーの普及を目指したいの。だから、仕事の復帰を認めてジルク」
「ダメ! ママ!」
「フィル!?」
凛とした眼差しで願い出るルージュだが、そこに膝元で寝ていたフィルが起き上がって言った。
「これ以上、働いちゃダメ! ゆっくり休んで!」
「フィル……」
「最近ずっとママがいなくて寂しかった。だから、もっと一緒にいたい」
フィルの懇願にルージュは困った顔を浮かべていた。
息子のためにも働きたいけど、息子は休息をとって傍にいてくれることを望んでいる。
母親としての想いと仕事を請け負ったルージュ個人の想いがせめぎ合っていることだろう。
「ルージュの早期復帰は認められない」
「ジルク!」
「だが、クーラーの販売の延期はしない。これでいいだろう?」
「ええっ? そんなのどうやって?」
「お前の業務を俺が引き継いだ」
「引き継いだって、どんな作業をしているかジルクにわかるの?」
「自分が実行するものでなくても、従業員がどういったことをやっているか把握するのは上司の務めだ」
優秀な従業員が毎日進行状況を纏めてくれていたからな。
ルージュの作業を把握し、引き継ぐことはそう難しいことではなかった。
「自分で言うのもなんだけど、結構な作業量で現実的にジルク一人じゃ厳しいと思うんだけど。魔道具作りの作業もあるし」
「ああ、だからマンパワーが必要なところはルーレン家の者に手伝ってもらった」
「そ、そう」
お陰でアルトにはため息をつかれ、引き換えに条件を呑まされることになったがな。
「でも、どうして? ジルクはそういうのはやらないって……」
「そうだ。こういう細々としたことは面倒だし、人に直接会いに行ったり、折衝をするのも苦手だ。だから、これは俺からお前への貸しだからな?」
「わかった。必ず返すわ」
「子供を守るために頑張っても、母親であるお前自身が潰れては意味がない。しっかりと身体を回復させて、医者から正式に許可を貰ってから職場に復帰しろ」
そうこれは工房としての損失を考えた上での決断だ。
これまで押し進めていた販売作業を中断させると損害を出すことになる。
下請け工房、魔道具店などなど既にクーラーの販売に関わっている業者は多岐に渡る。
一年作業を遅らせることでそれらのしわ寄せは各所に広がるだろう。
それを俺が少し頑張るだけで全ての損害を無くし、問題なく作業を進められるようになるのだ。
だったら、工房長としてやるべきことは俺がルージュの作業を引き継いで、遅延なく販売作業を進めることだ。
断じて他人の想いや私情に基づいた行動などではない。
「……ありがとう、ジルク。少しだけ休ませてもらうわね」
上司して正式な命令をすると、ルージュはホッとしたように笑った。
その安心した笑みはとても自然なもので彼女から重い肩の荷が下りたように見えた。
「個人的な理由でもいいんじゃないか?」
「え?」
「働く理由だなんて人それぞれだ。そこに個人の思惑が多少なりとも混じるのは当然だ。俺なんて自分の生活が快適になる魔道具さえ作れればそれでいいんだからな」
俺の主張にルージュがフッと息を漏らして、おかしそうに笑った。
「あたしもそれくらい開き直って自由にやれば良かったかしら? いや、でもあたしまで自由になると工房が本当に立ち行かなくなりそうだし……」
軽快に笑ってからすぐに現実的になるルージュ。
俺が好きにやっている分、ルージュの負担が重く、自制心が必要になっているのでこれについてはノーコメントとしよう。病人に心労をかけるのはよろしくないからな。
必要なことを述べた俺は、長居はせず病室を退出した。




