狂信
福島第一原子力発電所の怪物は――『名無しの私』の仲間から――MoFuNPS(The Monster of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station)とネーミングされている。その音の響きにはどこかユーモラスなところがあるが、アレの存在も凶悪ではない。……かといって人類と友好的とも思えないが、攻撃を仕掛けなければ反撃はしないだろう、と多くの識者たちに考えられている。過去に数回あった遭遇例からの帰結だが、それを信じないものたちも多くいる。その中でも最も狂信的な集団が『神の矢』と自ら名乗る宗教団体で、逸早くメタル・ベビーと原子力発電施設の関連を憶測したもの彼と彼女らの仲間なのだ。
世間に公表されたメタル・ベビーの事例が少なく、況してや海中に消え去った原子力発電施設が生物化したと知る者の数も少ないので現時点では大きな問題になっていないが、インターネットがこれだけ普及した世の中だ、その情報暴走は予想を遥かに上まわるだろう。浩也は冷静に考える。当局筋がいくら暗にそれを取り締まろうと、この先半年一年と時が経てば、怪情報を信じる者の数も増えるだろう。そこで巻き起きるはずのパニックを各国政府は危惧しているわけだが、いずれそれは避けられまい、と浩也は思う。そう判断せざるを得ないのだ。アメリカの傘に安住しているためか、日本政府に――今のところ――その危機感は薄いようだが、それもいつまで続くことか?
「お父さん、あそこ!」
「ん、遂にアレが遣って来たか?」
「違うわよ、船。目立たないように沿岸伝いにあそこまで寄せて来たのかしら?」
「どれどれ…… ふうむ、自衛艦には見えんな。……とすると塔紀の敵か!」
「塔紀のパパの敵でもあるわね」
「なあ、早紀。おまえは本当にアレと一緒に行ってしまうのか?」
「さあ。まだわからないわ。でも塔紀は行きたがっているようよ」
「随分と大人しくてむずがりもしないが、塔紀、目は覚ましているんだよな」
「きっと塔紀にはわかるのよ。わたし以上に、自分のパパの接近が……」
「ということは、おまえにも感じられるのか?」
「少しだけならね。もっとも、ついさっきからなんだけど……」
「そうなのか?」
「ねえ、わたしたちがあそこに行くことを決めたら、お父さんはどうするの? 一緒に行く?」
「アレが受け入れてくれんだろう」
「それはどうかしら? でもお父さんにとって所詮福島廃炉くんは馬の骨なのよね。いくら大きくても、わたしを奪った憎いヤツなんだわ!」
かつての原子力発電施設内に接近してきた『神の矢』たちの中型漁船と、その地を警備する――アメリカ軍兵士を含む――日本の監視員たちとの間に緊張が走る。まだ射撃には至らないが威嚇の仕種とメッセージが頻繁に漁船に送られる。が、『神の矢』側に引き返す気はないようだ。それどころか漁船を更に岸壁に摺り寄せて上陸する気配を見せる。それで辺りが騒然となる。複数の人間たちが統一を乱して荒涼とした施設内を駆け巡り、海上の中型漁船の拡声器からは罵声が飛ぶ。
「いったいあの連中は何処から情報を仕入れてくるんだ?」
呆れたように浩也が娘に呟くと、思いもかけない人物から声が返る。
「彼らと彼女たちの仲間には役人が何人もいるんだよ」
ぎょっとして浩也が声のした方向に振りかえる。
すると――
「大丈夫。敵じゃない」
と穏やかな声が返される。それに浩也が、
「おまえはとっくの昔に死んだと思っていたよ」
と更に言葉を返す。
浩也たち親子の真後ろにひっそりと佇んで人物は飯塚康平だ。男二人の表情に互いに対する安堵が浮かび、相前後して一息吐く。が、一瞬後、
「妻と娘は死んだよ。いや、殺された。直接手を下したのは日本国政府ではないが、自国民を売り渡したのは間違いないな」
「おまえだけが助かったのか?」
「命まで奪う気はなかったと思うが、生涯軟禁されるのはゴメンだからな」
「そうか。……で、おれたちがいると知って、ここに?」
「いや。それは知らなかった。しかし無防備過ぎるだろう。格好の見物場所に警備員が一人もいないとは……」
「ここいら一帯を含む広い範囲が封鎖されているよ」
「それは知ってる。だから油断したのか。あるいはアレを見せたくないのか?」
「おそらく後者だろう。アレらを知る人間は一人でも少ない方が良いからな」




