消失
眼下の海岸線では中型漁船の教団員とアレの監視員たちが一進一退の攻防を繰り広げている。アメリカ軍側の気持ちとしてはさっさと撃ち殺したいだろうが、さすがに他国の領域内なので、それは無理だ。
「来るわ!」
早紀が小さく叫んで塔紀をきつく抱きしめる。浩也はまだ気配を感じなかったが、沖の状況が大きく変わっていることには気づいている。波が泡立ち、巨大な何モノかの接近を告げる。ボコボコと大小無数の気泡も昇ってくる。
「沖の海中には原潜だって配備されているだろうに、どうして気づかれずにここまで来れたんだ?」
誰にともなく浩也が問うと、
「瞬間移動をしているのかもしれないな。あるいはワープか?」
飯塚康平が静かに答える。
幾つも続けて海面に発生した大波のうねりに『神の矢』の中型漁船が飲み込まれた挙句、転覆する。同時に複数の教団員たちが遠く近くの海面上に強く弱く投げ出される。十七夜の月明かりが照らす太平洋沿岸の白く渦巻く海面から最初に姿を覗かせたのは尾っぽだろうか? 蛸か烏賊の足に似た長くて先細りするそれが複数絡まって形成されているようにも見えるが、その全体に――かつて放射能汚染水が溜め込まれた――多数の円筒状貯水タンクが装飾のように嵌め込まれている。一旦その尾(?)が海中に隠れ、次に海面上に現れたのは鰭だろうか? それとも前足(手?)か? 鳥の足先のように先端が大きく三方向に分かれているが、その一つひとつがずっと太く、爪(?)に当たる部分がグッと厚く盛り上がっている。その周囲でぬめぬめと黒光りする皮膚の様子が浩也にはメタル・ベビーを想像させ、身を震わせる。次いで海面上に現れたのが頭蓋部分だ。巨大な複数の目を持つ異形だが、不思議と間の抜けた印象も与える。目の形状はまるで炉心部のように細長く、目じり部分がぽってりしている。哺乳類の如き後口は形を整えれば鯨のそれに似ていなくもないが、もっと不定形で歪に蠢く。やがて姿を現したのは蒟蒻芋のようにも見える背の部分で、元は送電鉄塔であったと思われる複数の触手が生えている。それが一時も休むことなく小刻みに震えるのだ。
のっそりと施設内に這い上がってきたアレの全体的な印象は海の軟体動物なのだが、それでいて時折透けるように見える内部(?)には幾何学立体が数多く隠されているようで統一感がない。何かに喩えられるような明確な像が結べないのだ。もっともその摩訶不思議な異形よりも浩也たち男二人を不安にしたのは、時折 Tekeli-li, Tekeli-li、と聞こえたアレ特有の鳴き声だ。更に異常なことに、その鳴き声がアレの近く、十数メートルほどの時間を狂わせるようで、多くの監視員たちの動きが極端に鈍くなる。
「いったい何が?」
思わず浩也が口にすると、
「依代なのかもしれんな?」
と諦めたように飯塚康平が呟く。声が月下を漂っていく。
「ヨリシロ?」
「そうだ。おそらく今回は人間を味方に付けたいのだろう。是が非でも勝つために……」
けれども浩也にその意味は伝わらない。だから再度問おうと浩也が後ろを振り返った直後、気配がする。……と同時に早紀の姿が消えてしまう。もちろん塔紀も一緒に。
「……?」
「おれたちは嫌われたな。まあ、命を奪われなかっただけ良しとするか?」
浩也が無言で謎の怪物の方に視線を戻すと既にアレが消えている。だから浩也は悄然とするしかない。
「そう気を落とすなって……。城之内にだって予感はあったんだろう」
飯塚康平の低い声は嗄れていたが、優しく浩也を包み込む。
「それに早紀ちゃんも、塔紀くんも、生きてるからな」
「そうなのか? おまえにはわかるのか?」
「まさか、わかるわけがないだろう。そんな気がしただけだよ」
「これから何が始まるんだ?」
「アレが得たのが闇とヒトの力ならば、対抗できるのは太陽だろう。城之内、おまえの専門だ!」
アレ――福島第一原子力発電所の怪物――が去った敷地内の様子は慌しかったが、海上には凪が戻り、遺棄された高台の駐車場を流れる夜風は相変わらず生温く、その場に残された浩也たち男二人の肌を舐めるように吹く。(了)
※ チャイナ・ミエヴィル「コヴハイズ」(日暮雅通訳)に捧げる。
Dedicate to "Covehithe" by China Miéville,2011.
献じた作品は『S-Fマガジン』2013年4月号No.685【「ベストSF2012」上位作家競作】に収録されています。創元で大森さんに弾かれて一時落ちして行きようがなくなったお話。最後までお付き合いくださった皆さま、ありがとうございました。




