#16 Stairway――巫
チクローポは《ピラータ号》に居候しながら、無為のなかにいた。
(無と無為の違いは?)
胸に問うてみたところで、答える声はなかった。
もはや彼には、失った撮影機材を揃えなおす資金も気力もなかった。
間に合わせのカメラを片手に、戦場に出ることも考えなくはなかったが、彼はそれを忌避した。
エイミーの服に手をかけて以来、あらゆる行為が暴力に見えて仕方なかったのだ。
(なんの為に生まれてきた?)
そう問うても、もちろん答える声はなかった。
狭く薄暗い船内を彷徨って、無為に似た外なる無を探すにしても、そこは《ピラータ号》であり、彼の求めるゆっくり流れる時間など、どこにもなかった。
(やはり呪いか……)
かつてのチクローポを知る荒くれ者たちも、彼のあまりの抜け殻ぶりに興味を失う者が増えていった。
船長から見放され、船医はただ決まった日に薬を処方するだけになった。
(ここにいても……)
彼は何度もそう思い立ちはしたが、あらゆる行為は暴力であるという思考に囚われ、身動きひとつ取れなくなっていた。
だが、《ピラータ号》は、廃人同然のチクローポとは無関係に、ガラクタ同然の船体をあちらへこちらへと走らせては、密輸や密売をつづけていた。
そんなある日のこと――。
「あーあ、船長も連れない奴だ。このヘルメーテ副長がどれだけこの船に貢献してきたかも忘れて、出ていけだってさ。――そりゃあまあ俺にも色々問題はあるが、こいつがそんなに問題か? なあ、チッキーどう思うんだ、お前は?」
彼に声をかけてきたのは、ひょうきんな風貌をした男だった。
「大体のことはこれでなんとかなるってのに、役立たずなんだとさ。――おい、見てみろよこの器用さをよ」
ヘルメーテは、汚れた作業着のポケットからなにかを取り出すと、それを宙に放って両手で挟み込んだ。
「おい、見ろってチッキー。器用なもんだろ? でも、役立たずなんだとさ。出ていけだとさ」
それまで虚ろな目をしていたチクローポは、その光景に息を飲んだ。
「どこで見つけた?」
「この水晶のことか?」
ヘルメーテの両腕は義手だったが、その義手の間で緑色の水晶が浮かんでいたのだった。
「なあチッキー。俺たちの商売のやり方はわかってんだろ?」
「まあな」
チクローポはそう答えながらも、視線は義手の間で浮かんでいる水晶に注がれていた。
「俺はよ、事故で両腕を失った。でも、この義手があればなんとでもできるんだ。なのに出ていけだとさ。海賊まがいのことはしてきた。だけどそんなに悪さはしてねえんだ。この両腕だってそうさ。機械に巻き込まれただけだ」
「どうするんだ?」
「そうだな。直にこの船は《ストレーガ号》って船とドッキングするらしい。だから、そっちに鞍替えだ。それに、この水晶を見つけたのはその船にいたときだから、そう縁起も悪くなかろう。どうだお前、一緒に来ないか? お前と俺は似たもの同士だからな。――つまり、役立たずってわけだ」
ヘルメーテは水晶をふわふわと浮かせたままそういうと、哄笑したあとどこかへ消えてしまった。
そのとき、チクローポの脳裏には、人でいわれる七歳のころ、両手に持った二つの水晶で、三つ目の水晶の存在を感じ取っていた感覚がはっきりと蘇っていた。
こうして彼と元副長は《ストレーガ号》の貨物室に潜り込んだ。
やせ衰えていたチクローポは、何事も滑稽と諧謔にしてしまうヘルメーテと協力しあって生き延びた。
食べ物や衣服を盗み、積荷を利用した秘密のトレーニング機材さえ作り、気力と体力を回復していった。
だが、ヘルメーテは相変わらず水晶を見つけた場所を口にする気はないようだった。
チクローポは待った。密航生活をつづけながら待った。
そうして何年の歳月が過ぎたかもわからなくなったころ、《ストレーガ号》がある小惑星に着床すると、ヘルメーテがいった。
「おい、チッキー。俺はここで船を降りるぜ。ちょっとばかし用事があるからな」
「そうか」
彼はそれだけいうと、ヘルメーテの後を追っていった。
チクローポはそれがどこだかすぐにわかったが、なにもいわずに元副長の背中を見つめて歩いた。
宇宙服を着た二人は、やがてかつて川があっただろう枯れ谷を超え、いまだ開発が行われていない荒れ果てた場所へと進んでいった。
「チッキー、俺はある奴と契約を交わした。だから、その約束を果たさないとならん。――あんたには関係のないことだが、なんで着いてくる?」
「さあな、俺にもわからん」
「そうか」
それきり二人は口を利かないまま、眼前にそそり立った奇怪な岩山に空いた洞窟の入口へと進んで行った。
洞窟の岩壁はかつてそこを流れた酸性雨のせいだろうか、溶け合い絡まりあい鈍く光っては、苦悩に歪む無数の人間の顔を浮かび上がらせたり、消し去ったりしていた。いや、そうともいえなかった。それら岩壁は喜びに満ちた顔であったり、怒りに満ちた顔でもあったのだが、それぞれの目や口や鼻が重なり合っていたり綻んでいたりしていた。そうして、ときどき不気味な眼光を放ってもいたが、それがどの顔にある目なのかさえはっきりしなかった。
どこまでもつづいていそうな洞窟の岩壁に、二人が恐怖や狼狽を感じていたのは確かだったが、それを表現すべき見当すらつかぬまま、チクローポとヘルメーテは足を運びつづけた。
そのとき、くねくねと曲がりくねっていた洞窟の先が突然開け、二人は煌々と輝く光に射たれて目を覆った。
しかし光はすぐに掻き消えて、薄闇だけがそこに残った。
チクローポの目に、酸化鉄で造形されたであろう巨大な像が、三体並んで座っているのが飛び込んできた。
彼はそこに足を止めたままそれを見上げた。
座っていてさえその巨大さはそれまで彼が目にした、いかなる造形物より遥かに大きく見えた。
そのとき、中央に座っていた巨像が口を開いた。
「探し物か?」
広間や天井いっぱいに響き渡る神々しさを漂わせる声だった。
チクローポは口が凍りついたまま、なにもいえなかった。
「誰の命を受けてここに来た?」
「誰でもない」
「ならば自分の意志だというのだな?」
「そうだ」
「ならば、探し物があるはずだ?」
中央の巨像に呼応するように、左右の巨像が口を開いた。
「探し物があるはずだ?……」
チクローポは三体の巨像に向かっていった。
「お前たちがパヴリーンなのか?」
中央の巨像は彼が口にした言葉を聞いて立ちあがった。
長いことそこに座っていたのだろう。巨像は酸性雨や溶岩、あるいは流れ出た硫黄によって塗り固められたマントを大地から引き抜いて立ちあがった。広間いっぱいに轟々と音が響きわたり、積り積もった塵や埃が舞い上がり、無数に張られていた蜘蛛の巣のようなものが、チクローポに降り注いだ。
「ならば、こちらへ」
左右に並んでいた巨像もまた大地からマントを引き抜き、それぞれ剣と盾を手にして、はじめに立ちあがった巨像の後に従って歩きはじめた。
想像を絶する巨大な像が歩いているのに、不思議にも地響きひとつ起こらなかった。
「こちらへ」
「……」
チクローポは感情や表情を失くして、三体の巨像の後をついていった。
その先にはさらに広漠とした広間があり、広大な大地から数百、数千、数万、いやもはや数えることが不可能な無数の緑色の水晶が生えだして輝いていた。
「お前の探しているものが、このなかにあるはずだ。だが、持ち帰れるのはたったひとつだ」
「たったひとつだ……」
剣と盾をもった巨像が繰り返した。
「ただし、もしも選び間違えたなら、お前の命はない。わたしが頂くことになる」
「頂くことになる……」
チクローポは少年時代にかつて目にした三つの水晶を脳裏に思い起こしながら、広間の大地をあちこちと歩き回った。
どれもまったく同じに見えた。大きさ、色、形、輝き、どれをとっても同じにしか見えなかった。
「さあ選べ。時間はそう残されていないはずだ。お前は我らとは異なるようだからな」
「異なるようだからな……」
(どちらにしろ同じだ。生も死も無も変わらんのだろう……)
チクローポは胸のうちでそう呟いてみたものの、宇宙服のヘルメットをした首筋から冷や汗が出るのを止めることはできなかった。
「さあ、選ぶがよい。だが一度きりだ」
「一度きりだ……」
彼は選んだ。というよりも瞼を閉じて、手近にあった水晶を手に取っただけだったが、そのあと彼は傲然といい放った。
「これだ! これに間違いない! これが俺のパヴリーンだ!」
巨像はすぐにその声に反応した。
「ほほう、見事なものだな。ヒトという種族にも、すこしはまともな奴がおるようじゃな。――だがよく憶えておくがいい」
そういいながら、巨像はくるりと背を向けて元いた部屋へと引き返しながら、朗々と語った。
「軍神、アレースとその麾下、恐怖と狼狽を侮るな。我を悪神となすべからず」
「なすべからず……」
「かとて、善神ともなすべからず」
「なすべからず……」
三体の巨像が水晶の大地の広間から姿を消した瞬間、チクローポは光に包まれた。
気がつくと、彼は火星の衛星ダイモスの大地に倒れていた。手にしたはずの水晶は消え去り、ヘルメーテの姿はどこにもなかった。
(あれがパヴリーンか……)
それだけ呟くと、彼は立ちあがって《ストレーガ号》を目指して歩きはじめた。
いまだ名前さえ持たなかった少年チクローポが、はじめて三つの水晶を手にしたのは、火星の衛星ダイモスだった。そしていま、彼はふたたびその地で新たな召命を受けたのだった。
(俺の右手が水晶であり、左手も水晶であるなら、第三の水晶は存在しないに等しい。たとえそれを手にしたとしても、やがていつかは消える。――パヴリーンは祝福でも呪いでもない。そのどちらでもない。祝福と見ればそうなり、呪いと見ればそうなるだけだ。――無もまた同じだ。無なるものに内も外もない。ただあるのは、思考、記憶、感情、感覚、思いや憧れや信頼、そういったものが生まれては消える場だけだ。そうだ、あのだだっぴろい水晶の間があるだけだ。――だとしたら、平和な場を守る術は……)
チクローポはようやく納得できる答えに辿り着いたといえた。
こうして彼は、《ストレーガ号》に辿り着き、幾ばくかして《リヴァール号》に戻ってきた。
(平和な場……俺は長生きしなければならない……)
そうチクローポは決意し、世界に平和な場をもたらしたいという願いに、生きはじめた。
ときを同じくして、出産と育児のために一時的に月に移住していたパンタミーマが、七歳になった双子を連れて《リヴァール号》に帰ってきた。
「おい、ティーポ元気だったみたいだな。まあ、あんたがくたばるわけないと思ってたけど」
パンタミーマが軽快に口を開いた。
「俺の子か?」
「おうおう、そうだ。どこから見たってそうだろ? そっくりじゃん! でも無口で無愛想じゃないぞ! ――んでな、男がチーマ。女がパーポ。変な名前だろ? あたしが考えた」
彼女は無邪気に笑った。
「幾つだ?」
「二人とも七歳だ。当たり前だけどな」
「先が楽しみだな」
「まあな」
チクローポは鼻を摘んでから、右手の親指を立てた。




