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第4話:霧蛇の群れ

 新しいブーツを履いた三人は、霧の中へ一歩踏み出した瞬間――

 それぞれが今までの靴との違いを全身で感じ取った。


 優斗は足裏に伝わる反発力に、思わず目を丸くする。


「……なんだこれ……軽いな。足が勝手に前へ出る……!」


 踏み込むたびに赤い残光が霧の中で揺れ、その動きはまるで身体が軽くなったかのようだった。

 朔弥は静かに息を吸い、足裏から全身へ流れる魔力の道筋を確かめる。


「……すご……魔力が……勝手に整っていく……」


 魔力暴走気味だった彼にとって、この安定感は衝撃だった。

 美咲はそっと足を揃え、歩くたびに淡い金色の光が揺れるのを見つめる。


「……あったかい……足元から、守られてる感じがする……」


 その光は、霧の濁りをほんの少し押し返していた。

 レオンは三人の反応を見て、わずかに口元を緩める。


「問題なさそうだな。……進むぞ」


 霧は先へ進むほど濃くなり、視界は白い壁のように閉ざされていく。

 そのとき――


「……待った。なんか……聞こえる」


 優斗が足を止めた。

 耳ではなく、身体の奥で気配を捉えたような反応だった。


(優斗の察知……本当に伸びている)


 レオンが心の中で呟く。

 朔弥も霧の奥へ意識を向ける。


「魔力の揺れが近い……しかも、動いてる……!」


 美咲は胸の奥がざわつき、杖を握り直した。


「……来る……気がする……」


 レオンは聖剣の柄に手を置き、霧の奥を鋭く見据える。


「来るぞ。構えろ」


 その声は、霧を切り裂くように響いた。


 ――ずるり。


 湿った何かが地面を這う音が、霧の奥から響く。

 白い霧が波打つように揺れ、その隙間から黒い影がにじみ出た。


 細長い胴体。

 濁った黒の鱗。

 霧に溶けるような輪郭。


 そして――

 赤い双眸が、霧の中で点のように灯る。


 一体。

 二体。

 三体……。


 霧の奥から、さらに影が滑り出てくる。


「……霧蛇ミスト・スネークか」


 レオンの声が低く響いた。


 次の瞬間――

 霧蛇の一体が、地を滑るように飛びかかる。

 レオンは反射的に前へ踏み込み、聖剣を横に払う。


「《光刃閃撃ライトインパクト》!」


 光をまとった刃が霧蛇の胴を斜めに切り裂き、影は霧散して消えた。

 レオンは追撃せず、三人の前に立ったまま言う。


「みんな落ち着け。俺が前で受ける。お前たちは――連携して倒せ」


 その時、霧の奥で黒い影がわずかに揺れた。

 それは風ではない。

 獲物を狙う獣の動きだった。

 霧蛇が蛇行しながら優斗へ迫る。

 霧の中で輪郭が揺れ、どこにいるのかすら分かりにくい。


「……来いよ」


 優斗の瞳が鋭く細められる。

 霧の冷気が肌を刺す中、彼の呼吸だけが静かに整っていく。


 霧蛇が地を滑るように加速し、飛びかかる瞬間――

 その輪郭が霧に溶け、まるで影そのものが襲いかかってくるようだった。


 優斗は紙一重の幅で横へ滑る。

 ――《見切り》


 霧蛇の牙が頬をかすめるほどの距離で空を切り、風圧が皮膚を刺す。

 冷たい汗が背筋を伝った。


「《武威解放》!」


 身体の奥で何かが弾けるように力が湧き上がる。

 筋肉が締まり、血流が一気に加速する。


 同時に紅迅足が反発力を返し、優斗の身体は霧の中を赤い残光と共に走った。


「――っらぁ!! 《一閃斬》!!」


 刀が霧を裂き、赤い線が世界を二分する。

 霧蛇の胴が斜めに裂け、影が霧へ崩れ落ちた。

 だが、息をつく暇はない。

 別の霧蛇が、音もなく背後へ回り込んでいた。


「優斗、右!!」


 朔弥の声が霧を震わせる。


 朔弥は手を前に出し、胸の奥で魔力を集中させた。

 魔力が暴れようとし、胸が熱くなる。

 視界がわずかに揺れる。


(……抑えろ……! 流れを……足から……!)


 霊脈足が魔力の道筋を整え、

 暴走しかけた魔力が一本の線に収束していく。


「今なら出せる……行け! 《火槍ファイアランス》!!」


 手のひらから放たれた炎の槍が霧を裂き、霧蛇の進路を正確に貫いた。


「よし、できた……! 火槍をちゃんと制御できた……!」


 朔弥の声は震えていたが、瞳には確かな自信が宿っていた。


 しかし――

 霧蛇はまだ終わらない。

 別の影が、朔弥の足元へ滑り込むように迫る。


「朔弥くん、危ない!」


 美咲の声には、恐怖よりも仲間を守る決意が宿っていた。


「《聖護プロテクション》!」


 光の盾が朔弥と霧蛇の間に展開し、霧蛇の牙を鋭い音と共に弾く。

 美咲は息を整え、すぐに次の魔法へ移る。


「《聖なる矢(ホーリーアロー)》!」


 光の矢が霧を貫き、霧蛇は動きを止めた。

 その一瞬の隙が、優斗と朔弥の呼吸を整える。


 美咲の足元では聖紋靴の浄化が淡い光を放ち、霧の濁りをじわりと押し返していた。

 その光は、三人の背中を守る灯火のようだった。


 優斗が前衛、朔弥が中衛、美咲が後衛。

 レオンは全体を見て危険を断つ。

 三人の動きが霧の中で自然に噛み合っていくのを見て、レオンは心の中で呟いた。


(……そうだ、それがパーティの戦い方だ)


 その刹那、様子を窺っていた最後の霧蛇が朔弥へ飛びかかった。


「任せろ!! 新技、決める!!」

「《霞流し》!」


 優斗が突進を受け流し、その勢いを利用して回転する。


「――《風切り》!!」


 横一文字の斬撃が霧を裂き、霧蛇を断ち切った。


 霧蛇の最後の一体が霧へと溶けた――

 だが、その直後だった。


 ――ずるり。

 ――ずるずる……。

 ――シャアアアア……。


 地面そのものが蠢いているかのような、湿った擦過音が四方から重なって響く。

 霧の冷気が一段と濃くなり、空気が張り詰めた。


「……まだいるのかよ!」


 朔弥の声は霧に吸われるようにかすれたが、その震えには恐怖よりも覚悟が宿っていた。


 白い霧が波打つように揺れ、その奥から――

 黒い影が一斉に飛び出す。


 細く、長く、速い。

 霧の中で輪郭が揺れ、どこから現れたのかすら分からない。


「第二波……!」


 優斗が刀を構えた瞬間、霧蛇の群れはすでに距離を詰めていた。


 五体以上。

 第一波よりも明らかに多い。

 そして――

 動きが速い。


 霧の中で影が跳ね、地を滑るように走る。

 まるで霧そのものが牙を持ったかのようだった。


「三人とも――離れるな。俺の後ろに!」


 レオンの声は鋭く、霧の冷気を切り裂くように響いた。

 聖剣を構え、霧の奥を睨みつける。


 その姿は、濃霧の中に立つ灯台のように揺るぎなかった。


「来るぞ……!」


 レオンの言葉と同時に、一体の霧蛇が美咲へ一直線に飛びかかる。

 霧を裂く音すらない。

 ただ、黒い影が突然そこに現れたような速さだった。


「美咲!!」


 優斗の叫びが響く。


「飛べ、光刃――《光刃飛翔ライトシュート》!」


 レオンの聖剣から放たれた光刃が、霧蛇の軌道を鋭く逸らす。

 霧蛇の牙が、美咲の頬をかすめるほどの距離で通り過ぎた。

 冷たい風が美咲の髪を揺らし、彼女は思わず息を呑む。


「俺が前に出る!!」


 優斗が地を蹴る。

 紅迅足が反発力を返し、彼の身体は霧の中を赤い残光と共に疾走した。


 三方向から同時に襲いかかる霧蛇。

 その動きは蛇行し、霧の中で輪郭が揺れ、位置が掴みにくい。


「来いよ……全部斬る!!」


 一体目――

 優斗は《見切り》で牙を紙一重で回避。


 二体目――

 踏み込みと同時に《一閃斬》を叩き込む。

 赤い残光が霧を裂き、霧蛇が弾け飛ぶ。


 三体目――

 横から迫る影を、優斗は身体をひねって迎え撃つ。


「――《風切り》!!」


 横一文字の斬撃が霧を切り裂き、霧蛇の体勢を崩した。

 霧の中に赤い残光が乱舞し、優斗の動きはまるで赤い閃光のようだった。


 だが、霧蛇はまだ終わらない。

 優斗の死角へ、別の霧蛇が滑り込む。


「優斗、右!!」


 朔弥は反射的に右手を突き出した。

 溜めて撃つ余裕はない。

 霧蛇の動きは速すぎる。


(……まっすぐ撃つだけじゃ避けられる……! なら――軌道を変える!)


 足裏から魔力を一気に引き上げ、指先へと集中させる。

 火花のように魔力が瞬間的に凝縮した。


「――《火弾ファイアバレット》!」


 短く鋭い火の弾丸が放たれる。

 朔弥は撃った瞬間に手首をひねり、魔力の流れを微調整した。

 火弾は霧の中で軌道を曲げ、霧蛇の横腹へ滑り込むように突き刺さる。

 霧蛇が悲鳴を上げて転がった。


「……よし……! 狙って……曲げられた……!」


 それは、朔弥がその場で編み出した応用の一撃だった。


 だが、次の瞬間――

 別の霧蛇が朔弥へ迫る。


「朔弥くん、下がって!」


 美咲は一歩踏み込み、胸の奥で光を強く集めた。

 さっきのように単発で撃つだけでは止められない。

 霧蛇の動きは、明らかに速い。


(……一発じゃ足りない……なら――もっと撃てばいい!)


「《聖護プロテクション》!」


 光の盾が前方へ広がり、霧蛇の突進を一瞬だけ受け止める。

 その止まった瞬間を逃さず、美咲は両手を前に突き出した。


「――《聖なる矢(ホーリーアロー)》!」


 光の矢が霧蛇の顔面へ一直線に飛ぶ。

 霧蛇が怯んだ。

 美咲は息を吸い、矢が放たれた軌跡を追うように、次の光をすぐに生み出す。


「《聖なる矢(ホーリーアロー)》! 《聖なる矢(ホーリーアロー)》!」


 矢が連続して放たれ、霧の中で白い閃光が次々と弾けた。

 霧蛇は矢の雨に押し返され、動きが鈍り、ついには――


「……もう一発っ!」


「《聖なる矢(ホーリーアロー)》!!」


 最後の矢が霧蛇の頭部を貫き、影は霧へと溶けて消えた。

 美咲は胸に手を当て、小さく息を吐く。


「……倒した……! ちゃんと……自分で……!」


 足元の聖紋靴が淡く輝き、霧の濁りを押し下げていく。

 その光は、仲間の背中を照らす確かな力になっていた。


「優斗、左に一体! 朔弥、後ろの魔力に注意! 美咲、右側の霧が濃い、来るぞ!」


 三人は即座に反応する。

 レオンの声は、未来を見ているかのように正確だった。

 レオンは一歩踏み込み、聖剣を振り抜く。


「《光刃連撃ライトラッシュ》!!」


 光の斬撃が連続して放たれ、霧を裂き、霧蛇の群れを一掃した。

 霧蛇の気配が完全に消え、霧の中に静寂が戻った。


 優斗は肩で息をしながら刀を下ろす。


「……はぁ……はぁ……第二波……やべぇな……」


 朔弥も拳を握りしめたまま息を整えていた。


「でも……倒せた……! 三人で……ちゃんと……!」


 美咲は胸に手を当て、小さく微笑む。


「うん……みんなで……」


 レオンは三人を見渡し、静かに頷いた。


「悪くない動きだ。第二波を凌げたのは……大きい」


 第二波を退けたあとも、四人はすぐには歩き出さなかった。

 霧の奥から漂う気配は、まだ完全には消えていない。


「……気を抜くな。この階層は休む間を与えてくれないようだ」


 レオンの言葉に、三人は自然と背筋を伸ばした。

 そこから先は、第一階層以上の緊張が続く探索だった。


 霧の中から突然飛び出す霧蛇。

 足元の泥に潜む影の触手。

 濃霧地帯では魔力の揺らぎが不規則に跳ねる。


 優斗は前衛として何度も斬り込み、朔弥は魔力の流れを整えながら火槍を撃ち、美咲は光の守りで仲間を支え続けた。


 新しいブーツは泥に沈む足をしっかりと支え、霧の中でも足音を吸い込むように静かだった。


 戦い、進み、また戦い――

 その繰り返しの中で、四人の呼吸は徐々に揃っていく。

 やがて、霧の濃さがほんのわずかに薄くなる瞬間が訪れた。


「……今の、見た?」


 朔弥が立ち止まり、霧の奥を凝視する。


「霧が……動いたような……」


 美咲が不安げに呟く。

 優斗は刀を構えたまま、霧の流れを読むように目を細めた。


「いや……違う。あそこに何かがあるんだ」


 レオンが前へ出る。


「……ついに、か」


 レオンが霧の奥へ一歩踏み込むと、霧がふっと左右に割れるように揺れた。

 その向こうに――

 大きな岩に、洞窟の入り口みたいに穴が開いている物が姿を現す。


「……あれ」


 美咲が指をさす。

 その声には驚きと安堵が混ざっていた。


 霧の切れ間に浮かび上がるように、階段は静かにそこに存在していた。

 まるでここまで来られるか試していたかのように。


「……第三階層への入口だ」


 レオンが低く告げる。

 階段の先は、さらに濃い霧と影が渦巻いていた。

 第二階層とは比べものにならないほどの圧が漂っている。


「ここから先は……もっと危険になるの?」


 美咲が不安げに尋ねる。

 レオンは静かに頷いた。


「影の濃度が違う。第二階層とは比べものにならない。……だが、今のお前たちなら進める」


 三人の表情が引き締まる。

 優斗は刀を握り直し、朔弥は拳を握り、美咲は深く息を吸って心を整えた。


「行こう。次は――第三階層だ」


 レオンが階段へ一歩踏み出す。


 その背中を追うように、三人も一段、また一段と踏みしめていく。

 霧の中へ、四つの足音が静かに消えていった。

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