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第10話:激闘の末に

 ―体育館前―


 体育館の前に立つと、中から子どもたちの泣き声がはっきりと聞こえてきた。


「たすけて……!」

「おかあさん……!」

「せんせい……こわいよ……!」


 その声は、闇に飲まれた学校の中で唯一生きているとわかる音だった。

 朔弥は胸を締めつけられるような痛みに顔を歪める。


「……雫……!」


 レオンは聖剣を構えたまま、静かに体育館の扉へ手を伸ばした。

 十五歳とは思えない覚悟と緊張がその横顔に宿っている。

 だが同時に――

 どこか痛みを抱えた影も見えた。


「行くぞ。中に……まだ魔物がいる」


 低く、揺るぎない声。

 勇者として幾度も死線を越えてきた者の声だった。


 朔弥の喉はひりつき、足は震え、心臓は耳の奥でうるさいほど脈打っている。

 それでも――

 逃げるという選択肢は、もうどこにもなかった。


「うん……!」


 震えながらも、確かな意志を込めて頷く。

 レオンはその返事を確認すると、冷たい金属の扉に手を添えた。

 その感触が、これから始まる現実を突きつけてくる。


 そして――

 静かに扉を押し開けた。


 ギィィ……。


 暗闇の向こうから、子どもたちの泣き声と獣の唸り声が漏れ出す。

 その瞬間、二人の戦いは本物になった。



 ―体育館内―


 体育館の中は薄暗く、非常灯だけがぼんやりと光っていた。

 倒れた椅子、散乱したランドセル、避難用のマット。

 その中央に、子どもたちと教師たちが固まっている。


 そして――

 彼らの前に立ちはだかる影。


 通常のゴブリンより一回り大きい、筋肉質のホブゴブリン。

 手には鉄パイプ。

 赤い目がギラつき、獲物を見つけた獣のように唸っている。


「グギャアアアア!!」


 獣とも人ともつかない咆哮が体育館全体を震わせた。

 非常灯の薄明かりが揺れ、影が跳ねる。

 子どもたちが一斉に悲鳴を上げた。


「きゃあああ!!」

「せんせい!!」

「こわいよぉ!!」


 その声が朔弥の胸を鋭く刺す。

 気づけば、叫んでいた。


「やめろ!!」


 声は震えていたが、その一言には“恐怖より強い何か”が宿っていた。


 ホブゴブリンの赤い瞳がギラリと光り、ゆっくりとこちらへ向き直る。

 その殺気に、朔弥の背筋が凍りつく。


 レオンが一歩、静かに前へ出た。

 その動きは大きくも派手でもない。

 だが――

 朔弥の視界の中で、その背中が壁のように立ち上がる。


 聖剣を構えたレオンの姿は、非常灯の薄明かりに照らされて輪郭が浮かび上がり、影が床に長く伸びていた。

 その影は、朔弥の前に立ちはだかる“盾”そのものだった。


「朔弥、下がれ」


 短く、鋭い声。

 だがその響きは冷たくない。

 胸の奥に熱を宿したような、強い意志が滲んでいた。


 朔弥には分かった。

 その声は命令ではない。

 守りたい相手を前に出さないための声だった。


 レオンの背中は小柄だ。

 それでも――

 朔弥の目には誰よりも大きく、頼もしく映った。

 まるで、闇の中に立つ唯一の光のように。


 そして――

 子どもたちの前に、一人の男が立っていた。

 体育ジャージ姿。

 額には汗。

 腕には噛まれた跡。

 上所小学校の体育教師、佐伯先生だった。


「お前ら……! この子たちには指一本たりとも触れさせん!!」


 佐伯先生の怒号が、体育館の空気を震わせた。

 その声は決して強がりではない。

 恐怖に押しつぶされそうになりながらも子どもたちを守るというただ一つの意志だけで立っている声だった。


「先生やめて!!」

「危ないよ!!」


 子どもたちの震える声が重なり、体育館全体が恐怖に飲まれていくようだった。


「グギャアアアア!!」


 ホブゴブリンが喉の奥から濁った咆哮を絞り出す。

 その声は敵意そのものが形になったような音だった。


 巨体が床を蹴った。


 ドンッ――。


 その一歩だけで空気が押し出されるように震える。

 鉄パイプを振りかざし、一直線に佐伯先生へ突進した。

 その動きは重いのに速い。

 巨体が迫るたび、床板が悲鳴を上げるように軋む。


「危ない!!」


 叫びと同時に、レオンが飛び込んだ。

 聖剣が閃き、鉄パイプと激突する。


 ガキィィィン!!


 火花が散り、金属音が体育館に響き渡った。

 だが――レオンの腕が押し負ける。


(……くそ……! 今の俺じゃ……受け止めきれない……!)


 それでもレオンは踏みとどまった。

 その瞳には恐怖ではなく“守る意志”だけが宿っていた。


「兄ちゃん!! 無理すんな!!」


 佐伯先生の怒鳴り声が響く。

 その声には、教師としての揺るぎない覚悟があった。


「無理でも……やるしかない!! この世界の人々を……守るために!!」


 それは勇者としての誓いそのものだった。


(……俺も……やらなきゃ……! レオンだけに……背負わせるわけには……!)


 朔弥の胸の奥が熱くなる。

 心臓ではない。

 もっと深い場所――

 二つの因子が眠る場所が、熱を帯びていく。


「《火球(ファイアボール)》!!」


 ボッ!!


 朔弥の掌から放たれた火球が、一直線にホブゴブリンの横腹へ飛ぶ。

 炎が弾け、獣の皮膚を焦がした。


「はぁ……はぁ……っ……もう……魔力が……!」


 肺が空気を求めて悲鳴を上げ、視界が揺れる。

 魔力の枯渇は、ただ疲れるだけではない――

 身体の内側が削られていくような痛みを伴っていた。


「朔弥! 無理だ! 下がれ!!」


 レオンの声は怒鳴りではなく、失いたくないという意志の叫びだった。


「いやだ……! 俺も……戦う……!」


 朔弥の声は震えていた。

 喉は焼けつくように痛み、胸の奥が軋む。

 恐怖も痛みも限界もある。

 それでも――

 心の奥底に灯った小さな炎だけは消えなかった。


 朔弥は震える膝を押し上げるようにして立ち続ける。

 足は鉛のように重く、身体は思うように動かない。

 視界は揺れ、呼吸は荒い。

 全身が「もう無理だ」と悲鳴を上げている。


 だが、胸の奥で脈打つ熱が朔弥を前へ押し出していた。

 それは魔力ではない。

 もっと深い場所――

 誰かを守りたいという、朔弥自身の意志が燃えている証だった。


「光野!! 危ないから下がれ!!」


 佐伯先生の怒鳴り声が、体育館の空気を震わせた。

 その声は恐怖ではなく、子どもを守る者としての本能が絞り出した叫びだった。


「……雫を……助けたいんだ……!」


 朔弥の弱々しい声。

 だが、その瞳には揺るぎない意志が宿っていた。


 佐伯先生の目がわずかに見開かれる。

 この少年は無謀なのではない。

 守りたいという一点で、自分と同じ場所に立っている。


「……なら!! 俺と一緒に守れ!!」


 その声は、体育館の空気を震わせるほど力強かった。


 三人の動きは、決して洗練されてはいない。

 勇者、教師、そして中学生。

 立場も力も違う三人が、ただ守りたいという一点だけで繋がっていた。


 レオンが前で受け止め、佐伯先生が横から叩き込み、朔弥が後方から炎で援護する。


「《火球(ファイアボール)》!!」

「うおおおお!!」

「グギャアアア!!」


 ホブゴブリンの巨体が、じりじりと後退する。

 三人の意志が、確かに化け物を追い詰めていた。


「今だ!! 朔弥!! もう一発!!」


 レオンの叫びが、戦場の空気を鋭く断ち切った。


 朔弥は震える手を突き出す。

 腕は鉛のように重く、指先は痺れ、視界は揺れる。

 魔力はほとんど残っていない。


(……これで……終わらせる……!)

「《火球(ファイアボール)》!!」


 ボッ……!


 放たれた火球は小さく、弱々しい。

 だがその軌道だけは揺らがなかった。

 小さな炎が、ホブゴブリンの顔面に直撃する。


「グギャッ!!」


 巨体がのけぞり、動きが止まる。

 ほんの一瞬――

 だが、勇者には十分だった。


「――行く!!」


 レオンが床を蹴った瞬間、体育館の空気が爆ぜたように揺れた。

 白い光が足元から弾け、その身体はまるで矢ではなく――

 光そのものになって前へ飛ぶ。


「《光刃(ライトブレード)》!!」


 ズバァァァン!!


 光の斬撃が一直線に走り、ホブゴブリンの胸を貫いた。


「グギャアアアアア!!」


 絶叫とともに、ホブゴブリンの身体は黒い霧となって崩れ落ちた。

 霧は床に触れる前に消え、まるで最初から存在しなかったかのように消滅した。


 光が消える。静寂が訪れる。


 レオンはゆっくりと着地した。

 膝をつくこともなく、ただ静かに息を吐き、聖剣を下ろす。

 その背中は、十五歳の少年ではなく――

 世界を救う勇者そのものだった。


 朔弥は荒い息を吐きながら、その姿を見つめる。

 子どもたちは震える瞳で、自分たちを救った光を見つめていた。


 残ったのは、荒い息を吐くレオンと朔弥、そして――

 守られた子どもたちの震える瞳だけだった。

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