般若心経の中の舎利子を幽霊と仮定すると、すごくしっくりくるからご報告まで
お経って、霊体目線で読むとわかりやすいのではないか、と以前から思ってたんだが、まぁ、とりあえず書き残しておこうかな。
般若心経は、「舎利子、色即是空、空即是色」という文言が有名ですが、この文言は、舎利子を幽霊だと仮定した場合、「幽霊ってさ、実体あるようで実体ないよね、実体ないようで実体あるよね」と解釈できないかなぁ、と考えたのが、この投稿を書こうと思ったキッカケです。
まぁ、その解釈で般若心経を読み進めると、般若心経は幽霊を彼岸にいざなう説得をしてるように思えます。
要約すると、
観自在菩薩も菩提薩埵も三世諸仏もハンニャハラミタのおかげでそれぞれの境地に至った。
幽霊は、実体があるようでないし、実体がないようで幽霊という実体がある。肉体を持たないからできないことがいっぱいあって、現世に留まっていても得することが何もない。
ハンニャハラミタ真言というのがあればそれはすっごく良い真言なんだけど、今のところこの真言を唱えておきますね。
「行きなさい。行きなさい。行けるモノは行きなさい。仲間を連れて行きなさい。三途の川の向こう岸まで」
というふうに解釈してしまったわけで、誰もこんなふうに解釈してる人がいないみたいだから、とりあえずここに書き残しておこうかな、という気持ちです。
なお、舎利子という人は、当時の智慧者として有名な高僧で、ブッダの教えに帰依して他の弟子たちと共にブッダの旅路に随行したようですが、非常に高齢であったために旅の途中で亡くなってしまったということです。死してなお、ブッダの教えに触れたくて、幽霊となって現れてきたのでしょうか、ちょっと切ないですよね。
次稿は、般若心経の現代語訳に挑戦します。よろしくお願いします。
読んでいただきありがとうございます。




