第15話 担任に相談してはいけない
翌日の昼休み、担任に呼ばれた。
学年主任との話は、放課後のはずだった。
なのに、その前に。
「四季、少しだけいいか」
教室の入口でそう言われた瞬間、胸の奥が冷えた。
少しだけ。
便利な言葉だ。
少しだけ話したい。
少しだけ確認したい。
少しだけ落ち着こう。
そうやって、話の形が少しずつ変わっていく。
俺は返事をする前に、教室の中を見た。
春乃は席でノートを開いていた。
未原は、その近くで何かを確認している。
真冬は窓際で本を読んでいるふりをしていた。
目だけが、こちらを見ていた。
俺は小さく息を吸った。
「はい」
担任は職員室ではなく、廊下の端にある小さな面談スペースへ俺を連れていった。
完全な個室ではない。
でも、人の声は少し遠い。
机を挟んで座ると、担任は最初にため息をついた。
疲れている顔だった。
俺のために疲れている顔ではない。
この件のために疲れている顔。
そう見えた。
「昨日の資料は見た」
「はい」
「よくまとめてあると思う」
褒め言葉のはずだった。
でも、嬉しくなかった。
そのあとに、何かが来る。
分かっていた。
担任は少し声を落とした。
「ただな、四季。ああいう資料を作ると、相手側も身構える」
相手側。
その言葉で、俺の指が止まった。
誰が相手なんだ。
午堂か。
酉宮か。
加瀬か。
それとも、学校にとっての俺たちか。
担任は続ける。
「加瀬にも確認はする。酉宮にも話は聞く。ただ、あまり追い詰める形にすると、向こうも反発する」
向こう。
俺は黙っていた。
担任は、こちらの沈黙を同意と受け取ったのか、少しだけ表情を緩めた。
「先生としては、クラス全体を落ち着かせたい。これ以上、グループや裏アカの話が広がるのはよくない」
「裏アカの話が悪いんですか」
思ったより低い声が出た。
担任が一瞬、目を瞬かせる。
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味ですか」
「四季」
名前を呼ぶ声が、少しだけ強くなった。
指導の声だった。
俺は、その声を知っている。
授業中に騒いだ生徒を止める声。
提出物を忘れた生徒に注意する声。
場を乱すやつを、元の位置に戻す声。
今、その声が俺に向いている。
視界に文字が浮かんだ。
【この担任に深く相談した場合の結果】
第1位 双方に反省を促す形で終わる
第2位 資料の扱いが担任判断で止まる
第3位 四季零司が神経質扱いされる
第4位 卯月春乃と未原沙耶の発言が薄まる
第5位 酉宮秋人たちに準備時間を与える
やっぱり。
俺は机の下で拳を握った。
この人は、悪人ではない。
たぶん、本気でクラスを落ち着かせたいと思っている。
でも。
その落ち着きのために、俺たちの痛みを畳もうとしている。
「今日の放課後、学年主任にも話すんですよね」
「ああ。だが、その前に四季の気持ちも確認しておきたかった」
気持ち。
俺はその言葉を聞いて、少しだけ笑いそうになった。
昨日まで、感情的になるなと言っていたのに。
今は気持ちを確認したい。
その気持ちが、処理しやすい形なら欲しいのだと思った。
「先生は、どう終わらせたいんですか」
担任の表情が固まった。
「終わらせたい、という言い方は」
「違いますか」
「解決したいと思っている」
「どういう形で」
担任はすぐに答えなかった。
その沈黙だけで、だいたい分かった。
俺は待った。
担任は、少し困ったように言った。
「関係した生徒が、それぞれ反省して、今後同じことをしないようにする。それが一番だと思っている」
それぞれ。
反省。
同じことをしない。
綺麗な言葉だった。
でも、そこには順番がない。
誰が仕掛けたのか。
誰が撮ったのか。
誰が消したのか。
誰が脅すようなメッセージを送ったのか。
全部が、同じ箱に入る。
俺は小さく息を吐いた。
「それだと、消した人が得します」
担任は眉を寄せた。
「四季、決めつけはよくない」
「だから、決めつけないように表にしました」
俺は鞄から資料のコピーを出した。
担任の顔に、わずかな警戒が浮かぶ。
「先生に渡したものと同じです。ここに、断定できないことも書いてあります」
「それは見た」
「でも、先生は今、全員が反省する形にしようとしてます」
担任の目が少しだけ細くなった。
言いすぎた。
そう思った。
でも、止まらなかった。
「それは、断定できないことまで、全部まとめて反省で終わらせる形です」
「四季」
「俺は、春乃さんが悪くないとは言ってません。未原さんに責任がないとも言ってません」
喉が乾く。
それでも言った。
「でも、罰ゲームにした人と、止めようとして止めきれなかった人と、謝った人と、撮って切り取った人と、消した人を、同じ反省にしないでください」
担任は黙った。
廊下の向こうから、生徒の笑い声が聞こえた。
遠い。
何も知らない声だった。
担任は資料に目を落とした。
「……学年主任には、このまま共有する」
俺はその言葉を聞いても、安心できなかった。
「全部ですか」
担任が俺を見る。
「全部、です」
「加瀬から春乃さんへのメッセージも」
「共有する」
「未原さんの目撃メッセージも」
「それも」
「断定できないことの欄も」
担任は少しだけ息を吐いた。
「それも含めて、共有する」
ようやく、ほんの少しだけ力が抜けた。
でも、まだ足りない。
「資料は、俺たちも持っています」
担任の表情が変わった。
「それは昨日も言っただろう。原本は持っていていい」
「はい。だから、今日の話で内容が変わったら、確認します」
「変わったら?」
「俺たちの出したものが、別の意味で伝わっていないか」
担任は、少しだけ険しい顔をした。
失礼だと思われたのかもしれない。
でも、もう仕方ない。
俺は担任を信じきれない。
信じたいかどうかではなく、信じきれない。
それが今の事実だった。
視界に文字が浮かぶ。
【今、四季零司が守るべきもの】
第1位 資料が別の意味に書き換えられないこと
俺は、その表示を心の中で押し込んだ。
見えているものをそのまま言わない。
現実の言葉に直す。
「俺たちは、誰かを犯人にしたいんじゃありません」
担任は黙って聞いていた。
「でも、なかったことにはされたくありません」
昨日、春乃が言った言葉と同じだった。
今度は、俺の口から出た。
担任は少し疲れたように目を伏せた。
「分かった」
本当に分かったのかは、分からない。
でも、少なくともその場で否定はされなかった。
「放課後、学年主任の先生と話す時は、感情的にならないように」
また、それか。
そう思った。
けれど、今度は少し違った。
「感情はあります」
俺は言った。
担任が顔を上げる。
「でも、感情だけで話さないようにします」
その言い方なら、嘘ではなかった。
担任は、少しだけ目を見開いた。
それから、静かに頷いた。
「分かった。戻っていい」
俺は席を立った。
面談スペースを出る直前、担任が言った。
「四季」
振り返る。
「先生も、君たちを敵にしたいわけじゃない」
その言葉は、たぶん本音だった。
でも。
敵にしたいわけじゃない人でも、こちらを潰すことはある。
俺は、そう思ってしまった。
「はい」
それだけ返して、廊下へ出た。
◇
教室に戻ると、真冬がすぐに俺を見た。
春乃と未原も、何かを聞きたそうにしている。
でも、教室の中では聞かなかった。
それだけで、少し安心した。
俺たちはもう、場所を選ぶことを覚え始めている。
放課後前の短い休み時間、廊下の端で三人に話した。
「担任は、全員反省で終わらせたい」
春乃の顔が少し曇る。
未原は唇を噛んだ。
真冬は表情を変えない。
「でも、資料は全部学年主任に共有すると言った」
「言わせたの?」
真冬が聞く。
「確認しただけ」
「言わせたんだ」
嫌な言い方だった。
でも、たぶんそうだ。
俺は頷かなかった。
否定もしなかった。
春乃が小さく言った。
「全員反省……」
その言葉が、春乃に刺さっているのが分かった。
自分の責任を認めたからこそ、全部同じにされるのが怖い。
未原も同じだ。
「それだと、私も午堂くんたちと同じになるのかな」
「同じじゃない」
俺は言った。
今度はすぐに言えた。
未原が顔を上げる。
「止めきれなかったことは残る。でも、笑ったこととは違う。撮ったこととも違う」
未原は何も言わなかった。
でも、少しだけ呼吸が戻ったように見えた。
春乃が俺を見る。
「それを、学年主任の先生に言えるかな」
「言う」
言ってから、少し遅れて怖くなった。
言えるのか。
本当に。
相手は担任より上の教師だ。
学校側の処理を決める側かもしれない。
そこで俺がうまく言えなければ、資料の意味が変わる。
真冬が言った。
「言う順番を決める」
「順番?」
「最初に責任の話をすると、全員反省に戻る」
真冬は淡々と言った。
「最初は、消されたものと残っているもの。その次に、加瀬くん本人のメッセージ。最後に、春乃さんと未原さんのメモ」
春乃が少し不安そうにする。
「私たちのは最後?」
「最後の方が効く」
真冬は即答した。
「最初に感情を出すと、感情として処理される。先に事実を並べて、最後に、その事実で何が起きたかを出す」
俺は真冬を見た。
怖いくらい正しい。
でも、今度は少しだけ分かった。
真冬は感情を軽く見ているわけじゃない。
届く順番を考えている。
俺はノートに書いた。
『放課後 話す順番』
『一、消えた投稿と残っている記録』
『二、加瀬本人のメッセージ』
『三、未原の目撃メッセージ』
『四、春乃・未原のメモ』
『五、求める対応』
最後の項目で手が止まった。
求める対応。
何を求める。
加瀬への確認。
酉宮への確認。
元画像・元動画・送信履歴の確認。
削除済み投稿の扱い。
クラス内での拡散停止。
春乃と未原への二次被害防止。
多い。
多すぎる。
でも、言わないと抜ける。
視界に文字が浮かぶ。
【学年主任に必ず求めるべきこと】
第1位 元画像・元動画・送信履歴の確認
第2位 加瀬凌太本人への個別確認
第3位 酉宮秋人との関係確認
第4位 春乃・未原への二次被害防止
第5位 全員反省で終わらせないこと
五つ。
どれも必要だった。
でも、最後の一つが一番言いにくい。
全員反省で終わらせないこと。
学校側に向かって、それを言うのか。
怖い。
正直、怖い。
でも、言わないと戻される。
春乃が、俺のノートを見て小さく言った。
「私も言う」
「何を」
「全員反省で終わらせないでください、って」
俺は春乃を見る。
春乃の顔は青い。
でも、目は逸れていなかった。
「私が言った方がいいと思う。私が、自分の責任も書いたから」
未原が頷いた。
「私も言う。私も、止めきれなかったって書いたから」
俺は何も言えなかった。
まただ。
二人は、少しずつ自分で立っている。
俺が全部言う必要はない。
むしろ、俺が全部言ったら、二人の言葉を奪う。
分かっている。
分かっているのに、任せるのが怖い。
真冬が小さく言った。
「四季くんは、最後に言えばいい」
「何を」
「資料の意味が変わらないようにしてください、って」
俺は息を呑んだ。
それなら、言える。
俺の役割は、二人の痛みを代弁することじゃない。
資料の意味を守ること。
言葉が別の形にされないようにすること。
そう思うと、少しだけ呼吸がしやすくなった。
◇
放課後。
職員室の奥にある面談室へ向かった。
春乃。
未原。
俺。
真冬。
真冬は呼ばれていない。
でも、資料の形式確認者として同席を求めることにした。
担任は少し渋い顔をしたが、学年主任は真冬を見るなり、短く言った。
「同席理由を説明できますか」
真冬は、いつも通りの声で答えた。
「資料の形式を確認しました。内容判断はしていません」
学年主任は頷いた。
「分かりました。では、発言が必要な時だけお願いします」
その一言で、空気が少し変わった。
担任とは違う。
この人は、最初に役割を分ける。
面談室の中央に、長机があった。
向こう側に、学年主任と担任。
こちら側に、春乃、未原、俺。
真冬は少し後ろ。
学年主任は資料を机に置いた。
「読みました」
最初の一言が、それだった。
俺は息を止めた。
読んだ。
少なくとも、そう言った。
学年主任は続ける。
「まず確認します。この資料は、誰かを犯人と断定するためのものですか」
来た。
俺が答えようとした。
でも、春乃が先に口を開いた。
「違います」
声は震えていた。
でも、出た。
「なかったことにされないためのものです」
学年主任は春乃を見る。
春乃は膝の上で手を握りしめていた。
「私は、自分がしたことも書きました。でも、それと、あとから投稿されたことは別に見てほしいです」
未原が続けた。
「私も、止めきれなかったことを書きました。でも、止めきれなかったことと、笑ったり撮ったりしたことは同じじゃないと思います」
担任が少しだけ目を伏せた。
学年主任は、すぐには頷かなかった。
資料をめくる。
「分かりました。では、順番に確認します」
声は冷静だった。
優しくはない。
でも、雑でもない。
それだけで、少しだけ違った。
学年主任の指が、整理表の一行を押さえる。
「加瀬凌太くんから卯月さんへ送られたメッセージ。これは本人名義で確認できる、と」
「はい」
春乃が答える。
「画面録画もあります」
「分かりました。これは本人に確認します」
次。
「未原さんの目撃メッセージ。これは音声記録ではないので、単独では断定材料にはなりません」
未原の肩が小さく跳ねた。
学年主任は続けた。
「ただし、時刻つきの即時メモとして扱えます。完全な証拠ではありませんが、聞き取りの入口にはなります」
入口。
弱いけど、ゼロじゃない。
俺は机の下で拳を握った。
次。
「消えた投稿については、学校側で直接確認できていない。ここは慎重に扱います」
胸が沈みかけた。
だが、学年主任は続けた。
「ただし、スクリーンショット、画面録画、複数人の確認があるものは、確認資料として預かります」
完全ではない。
でも、捨てられていない。
俺は息を吐きそうになって、止めた。
まだだ。
学年主任は資料を閉じた。
「こちらから確認することは三つです」
学年主任は、指を一本ずつ立てた。
「一つ。加瀬くん本人へのメッセージ確認」
二本目。
「二つ。酉宮くんが持っている動画の範囲と、投稿までの経緯」
三本目。
「三つ。元画像、元動画、送信履歴の有無」
俺は顔を上げた。
言わなければならないと思っていたことを、向こうから言った。
それだけで安心しそうになった。
でも、まだ信用しきるな。
学年主任は俺を見る。
「四季くん」
「はい」
「君に確認したい。昨日から、録音という言葉が何度か出ています。何か記録を持っていますか」
部屋の空気が、止まった。
春乃が俺を見る。
未原も。
担任も。
真冬だけは、表情を変えなかった。
来た。
ずっと残していた切り札。
今か。
まだか。
視界に文字が浮かぶ。
【今、録音データの存在を明かした場合の効果】
第1位 罰ゲーム告白が“ノリ”ではないことを示せる
第2位 午堂夏樹と酉宮秋人の関与を確認対象にできる
第3位 春乃の謝罪文の前提が強くなる
第4位 盗み録り問題にすり替えられる危険がある
第5位 四季零司が準備していた側に見られる危険がある
効果もある。
危険もある。
でも、ここまで来た。
担任だけではない。
学年主任がいる。
資料がある。
春乃のメモがある。
未原のメモがある。
加瀬本人のメッセージがある。
今なら、録音だけが浮かない。
俺はゆっくり息を吸った。
「あります」
春乃が息を呑んだ。
未原も目を見開く。
真冬の視線が、静かに俺へ向いた。
学年主任は表情を変えない。
「内容は」
「放課後の教室です。春乃さんが告白した後の音。笑い声。午堂の声。酉宮が撮れていると言った声が入っているはずです」
自分の声が、少し遠く聞こえた。
学年主任は、すぐには何も言わなかった。
そして、ゆっくり頷いた。
「分かりました。提出するかどうかは、君の意思を確認します。ただし、提出する場合は、学校側で聞く前に、関係する生徒の扱いと保存方法を決めます」
保存方法。
扱い。
担任とは違った。
すぐに「聞かせて」とは言わなかった。
少しだけ、呼吸が戻る。
でも次の瞬間、視界に文字が浮かんだ。
【現在、子日真冬が最も疑っていること】
第1位 四季零司が最初から録音を持っていた理由
まずい。
能力ではない。
でも、疑問は積まれていく。
真冬は何も言わない。
何も言わないからこそ、怖かった。
学年主任は言った。
「今日のところは、資料を預かります。録音については、明日、保護者同席も含めて扱いを決めましょう」
保護者。
母さん。
胸が、別の意味で冷えた。
ここから先は、俺一人では済まない。
学年主任は、最後にこう言った。
「これは、もう生徒同士の悪ふざけとしては扱いません」
その言葉で、部屋の空気が止まった。
担任も、春乃も、未原も、俺も。
誰もすぐには動かなかった。
やっと。
やっと、その名前が外れた。
でも、安心はできなかった。
名前が変わるということは。
戦う場所も、変わるということだから。




