第1話 最下位の俺に、ランキングが見えた件
人間の価値は、だいたい数字で決まる。
テストの順位。
偏差値。
内申点。
フォロワー数。
再生数。
顔面偏差値。
スクールカースト。
世界は、何でも並べたがる。
上から順に。
わかりやすく。
比べやすく。
選びやすく。
人間まで、そうする。
俺、四季零司は、そのどれにもまともに入れない。
いや。
入れるランキングがあるとすれば、たぶんこれだ。
【二年三組で、一番どうでもいい人間】
第1位 四季零司
そんな表示が、本当に見えていたわけじゃない。
でも、教室にいればわかる。
誰が上か。
誰が下か。
誰なら雑に扱ってもいいのか。
そういうものは、黒板に貼られていないだけで、ちゃんと全員の中にある。
俺は、その一番下にいた。
成績は中の下。
運動は下。
友達は、いない。
いや、ゼロと言い切ると少し痛い。
でも、ほぼいない。
昼休みは机で寝たふり。
班決めでは最後まで余る。
話しかけられる時は、だいたい何かを押しつけられる時。
それでも、死ぬほど嫌われているわけじゃない。
そこが、嫌だった。
嫌われているなら、まだ理由がある。
避けられているなら、まだ距離がある。
俺はそうじゃない。
教室にいる。
でも、いないものとして扱われる。
必要な時だけ名前を呼ばれて、傷つけても大事にならない場所に置かれている。
そういう人間だった。
クラスの中心には、午堂夏樹がいる。
午堂が笑えば、周りも笑う。
午堂がつまらなそうにすれば、空気が冷える。
それだけで、だいたい伝わると思う。
その横には、だいたい酉宮秋人がいる。
大声で人を笑うタイプじゃない。
スマホを持って、空気を読んで、どこで笑いを広げればいいかを知っている。
たぶん、午堂より面倒なやつだ。
俺は、その二人の近くには寄らないようにしていた。
机を少しずらされても、笑ってごまかす。
誰かに「陰キャ」と呼ばれても、聞こえなかったふりをする。
ノートを勝手に見られても、「やめろ」とは言わない。
言えば、場の空気が変わる。
そして、その空気を変えた責任は、なぜか俺に来る。
だから黙っていた。
黙っていれば、今日が終わる。
今日さえ終われば、とりあえず明日までは行ける。
そんなふうに、一日をやり過ごしていた。
その日の放課後も、俺は机に向かったまま、帰るタイミングを失っていた。
机の中では、五限の授業で使った録音アプリが、たぶんまだ動いていた。
止めなきゃ。
そう思った。
でも、鞄を開けるのも面倒だった。
教室の隅で誰かが笑っている。
窓際で午堂が何かを言っている。
酉宮がスマホをいじっている。
いつもの放課後。
いつもの、俺だけが少し浮いている教室。
「四季くん」
その声を聞いた時。
最初、自分の名前だと思えなかった。
顔を上げると、卯月春乃が立っていた。
クラスの中心にいる女子だ。
明るい。
誰にでも笑える。
男子にも女子にも嫌われない。
顔がいい。
声も通る。
俺とは、住んでいる階層が違う。
そんな春乃が、俺の席の前に立っていた。
「ちょっと、いい?」
教室の空気が、ほんの少し止まった。
その時点で気づくべきだった。
午堂が窓際で口元を押さえていたこと。
酉宮がスマホを伏せたまま、こっちを見ていたこと。
何人かの女子が、急に黙ったこと。
全部、見えていた。
見えていたのに。
俺は、見なかったことにした。
だって、卯月春乃が俺に話しかけていたから。
そんなことは普通なら起きない。
起きないことが起きたなら、少しくらい信じたくなる。
それが、もう間違いだった。
「……なに?」
声が少し裏返った。
最悪だ。
それだけで、もう負けていた。
春乃は困ったように笑った。
「あのさ。急でごめんね」
周囲の気配が濃くなる。
誰も話していないのに、教室がうるさい。
視線。
沈黙。
息を殺した笑い。
そういうものが、肌に刺さる。
「私、四季くんのこと、前から気になってて」
心臓が、一回だけ強く鳴った。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
午堂の肩が震えていることも。
酉宮のスマホのレンズが、こっちを向いていることも。
見えていたはずなのに。
俺は、都合よく見えないことにした。
「だから……」
春乃は、少しだけ目を伏せた。
「私と、付き合ってください」
教室が爆発した。
「ぶはっ!」
「無理無理無理!」
「四季、顔!」
「え、信じた? 今の信じた?」
笑い声が、机を叩く音と一緒に弾けた。
午堂夏樹が腹を抱えていた。
「やべえ、ガチで固まってる! 春乃、演技うますぎだろ!」
春乃の顔から、色が引いた。
笑っていなかった。
春乃だけは、笑っていなかった。
でも。
だから何だ。
笑っていなければ、許されるのか。
嫌そうな顔をしていれば、俺は傷つかなかったことになるのか。
そんなわけがない。
俺は、何も言えなかった。
喉の奥に、変な塊が詰まる。
息が浅い。
指先が冷たい。
耳の奥だけが熱い。
酉宮秋人が、スマホを胸のあたりで持っていた。
目が合う。
すぐに画面を伏せた。
遅い。
たぶん、撮られていた。
「四季、さすがに本気にすんなって」
午堂が笑いながら近づいてくる。
「罰ゲームだよ、罰ゲーム。春乃が悪いんじゃなくてさ。ノリだから」
ノリ。
便利な言葉だと思った。
人を刺しても、ノリ。
笑えば、ノリ。
相手が傷ついたら、空気読めない。
全部こっちのせいにできる。
「……そう」
それだけ言うのが限界だった。
春乃が何かを言いかける。
「四季くん、あの――」
「いい」
俺は立ち上がった。
椅子の脚が床をこすって、嫌な音を立てる。
その音で、また誰かが笑った。
俺は鞄を持った。
教室を出た。
背中に声が刺さる。
「逃げた」
「かわいそー」
「いや、信じる方も信じる方でしょ」
階段を下りる間、足元が変だった。
ふわふわしているのに、妙に重い。
泣きそうだった。
でも、涙は出なかった。
腹が立つ。
恥ずかしい。
悔しい。
気持ち悪い。
何より。
一瞬だけ、本気で嬉しいと思ってしまった自分が、許せなかった。
家に帰っても、母さんには何も言えなかった。
「零司、ご飯は?」
「いらない」
「具合悪いの?」
「別に」
母さんは、それ以上聞かなかった。
ありがたかった。
でも、少しだけ苦しかった。
部屋に入って、鍵を閉めた。
スマホが震えていた。
見たくない。
でも、見る。
こういう時、人間は本当に馬鹿だと思う。
傷つくとわかっているのに、自分から確認しにいく。
クラスのグループには、まだ何も流れていなかった。
けれど、知らないアカウントの投稿が通知欄に出ていた。
『告白された陰キャ、ガチで信じてて草』
名前は出ていない。
でも、わかる人間にはわかる。
『誰?』
『動画ないの?』
『かわいそうで草』
『かわいそうなのに草なの何』
指が止まった。
画面を閉じる。
閉じても、頭の中には残る。
信じた?
顔やば。
逃げた。
かわいそうで草。
その言葉だけが、ずっと回っていた。
ベッドに倒れ込んだ。
天井を見た。
白い天井だった。
何もない。
俺みたいだと思った。
いや、違うか。
天井には役割がある。
俺よりましだ。
そんな馬鹿みたいなことを考えて、すぐ嫌になった。
別に、今日だけじゃない。
小テストの点で笑われたこと。
体育でミスして舌打ちされたこと。
班決めで最後まで残ったこと。
文化祭の準備で、誰でもできる仕事だけ渡されたこと。
昼休みに机を寄せられて、俺の席だけ通路みたいになったこと。
ひとつひとつは、小さい。
小さいから、誰にも言えない。
それくらいで傷つくの?
気にしすぎじゃない?
被害者ぶるなよ。
言われる前から、言われる言葉がわかる。
俺はスマホを握ったまま、目を閉じた。
明日が来るのが怖かった。
学校へ行けば、また笑われる。
動画が出回るかもしれない。
春乃は謝るかもしれない。
午堂は「悪かったって」と笑うかもしれない。
酉宮は、何もしていない顔をするかもしれない。
その全部に耐える意味が、わからなかった。
俺が消えても、教室は普通に回る。
午堂は笑う。
春乃は誰かと話す。
酉宮はスマホを見る。
担任は出席番号を読み上げる。
四季零司の席だけが、少し空く。
それだけだ。
夜が深くなった。
家の中が静かになった。
廊下の向こうから、母さんの寝息がかすかに聞こえた。
冷蔵庫の低い音。
時計の針。
窓の外を通る車の音。
世界は、普通に動いていた。
俺だけが、そこから外れていた。
部屋を出る。
廊下の明かりは消えている。
冷たい床を踏んで、足が止まった。
怖かった。
でも、明日が来る方が怖かった。
その時だった。
視界の真ん中に、文字が浮かんだ。
【現在選択中の行動】
人生終了
俺は、息を止めた。
目をこする。
消えない。
スマホの画面じゃない。
壁に映っているわけでもない。
空中に、半透明の文字が浮いていた。
「……は?」
声が漏れた。
次の表示が出る。
【死に方ランキング】
第1位 この選択
【総合苦痛ランキング】
第1位 この選択
苦痛指数:測定不能
意味がわからなかった。
いや。
意味はわかる。
わかるから、余計に気持ち悪かった。
こんなものが見える理由だけが、何ひとつわからない。
さらに、表示が変わる。
【主な苦痛要因】
第1位 母親が、最後の会話を一生思い出す
第2位 加害者が数日で笑い話に変える
第3位 卯月春乃が謝る機会を永遠に失う
第4位 四季零司が将来得るはずだった勝利が全て消える
第5位 午堂夏樹が最後まで勝者の顔をする
心臓が、嫌な音を立てた。
母さん。
最後の会話。
数日で笑い話。
春乃が謝る機会。
将来得るはずだった勝利。
そして。
午堂夏樹が最後まで勝者の顔をする。
その一行だけが、やけに強く目に刺さった。
死ねば楽になると思っていた。
でも、表示された文字は違った。
俺が消えても、午堂は笑う。
酉宮は動画を消すかもしれない。
周囲は数日で忘れるかもしれない。
担任は「残念なことが起きた」と言うかもしれない。
でも、母さんだけは残る。
俺が何も言わなかったことも。
夕飯を食べなかったことも。
最後に「別に」とだけ言ったことも。
全部、残る。
俺はその場に座り込んだ。
足に力が入らなかった。
違う。
終われば楽になるんじゃない。
奪われたまま、向こうの都合のいい話にされるだけだ。
笑われて。
晒されて。
最後は「かわいそうなやつ」で片づけられる。
午堂は泣くふりをするかもしれない。
酉宮は証拠を消すかもしれない。
春乃は、何も言えないまま傷だけを残すかもしれない。
そんなのは嫌だった。
死にたいほど苦しい。
それでも。
あいつらの勝ちで終わるのは、もっと嫌だった。
「……ふざけんな」
かすれた声が出た。
誰に言ったのか、自分でもわからない。
午堂にか。
酉宮にか。
春乃にか。
それとも、終わろうとしていた自分にか。
視界の文字が変わった。
【現在選択中の行動】
保留
保留。
ただ、それだけ。
生きる、じゃない。
前を向く、でもない。
立ち直る、なんて綺麗なものでもない。
保留。
たぶん、それが今の俺にできる限界だった。
続けて、新しい表示が浮かぶ。
【四季零司が明日、生きて最初に取るべき行動ランキング】
第1位 録音データを確認する
第2位 酉宮秋人を見る
第3位 卯月春乃の表情を見誤らない
第4位 担任に最初から頼らない
第5位 子日真冬を見る
俺は、しばらく動けなかった。
「録音データ……?」
自分で呟いてから、思い出す。
五限のあと、録音アプリを止めた記憶がない。
あの時。
春乃が俺の席の前に立った時。
スマホは、机の中にあった。
もし、まだ動いていたなら。
俺は、唇を噛んだ。
酉宮秋人を見る。
あいつは、スマホを伏せた。
目が合った瞬間に。
卯月春乃の表情を見誤らない。
春乃は笑っていなかった。
でも、だからといって、何もなかったことにはならない。
担任に最初から頼らない。
それは、少しだけわかった気がした。
担任はたぶん、こう言う。
大ごとにするな。
悪気はなかった。
お前も気にしすぎるな。
みんなで仲良くやれ。
その顔が、簡単に浮かんだ。
最後の名前で、俺は眉を寄せた。
子日真冬。
成績上位。
いつも一人でいる女子。
俺とは、ほとんど話したこともない。
なぜ、彼女の名前がここに出る?
答えは表示されなかった。
ただ、順位だけがそこにあった。
意味不明な表示。
ありえない現象。
頭がおかしくなったのかもしれない。
でも。
そこに並んでいる言葉は、俺を慰めなかった。
大丈夫だ、なんて言わない。
君は悪くない、とも言わない。
生きていればいいことがある。
そんな雑な慰めすら、そこにはなかった。
ただ、やることだけを並べていた。
冷たく。
残酷に。
まるで順位をつけるみたいに。
俺は部屋に戻った。
机に座る。
ノートを開く。
日付を書く。
手が震えて、字が歪んだ。
それでも書いた。
『放課後。教室。卯月春乃から告白。罰ゲーム。午堂夏樹が主導。酉宮秋人がスマホを構えていた可能性あり』
書くたびに、胸の奥が痛んだ。
でも、さっきとは違う痛みだった。
ただ殴られている痛みじゃない。
自分の中に、何かが戻ってくる痛みだった。
俺はスマホを開く。
投稿を保存する。
時刻を見る。
コメントを見る。
笑われた自分の痕跡を、自分の手で残していく。
惨めだった。
吐きそうだった。
でも、消さなかった。
画面の端に、また文字が浮かんだ。
【現在のあなたの学校内評価ランキング】
四季零司
二年三組内:最下位
思わず笑った。
乾いた、変な笑いだった。
「知ってるよ」
そんなこと、言われなくても知っている。
俺は最下位だ。
教室で一番下。
笑っていい相手。
傷つけても大事にならない人間。
でも。
その下に、新しい表示が出た。
【現在、この状況を覆す可能性ランキング】
第1位 記録
第2位 沈黙
第3位 観察
第4位 証拠
第5位 登校
俺は、ノートの端を握った。
明日。
学校へ行く。
考えただけで胃が縮んだ。
でも、行かなければ何も変わらない。
午堂は笑ったままだ。
酉宮は隠したままだ。
春乃は、謝ることすらできないままかもしれない。
俺はまだ、何も取り返していない。
夜明け前。
ノートの一ページ目は、歪んだ字で埋まっていた。
最後に、俺は一行だけ書いた。
『俺は、まだ終わらない』
その夜、俺は死ぬのをやめた。
生きたいと思えたわけじゃない。
明日が楽しみになったわけでもない。
強くなれたわけでもない。
ただ。
あいつらを勝者のままにして終わるのだけは、嫌だった。
世界は、俺を最下位だと決めている。
なら俺は。
その順位が本当に正しいのか、明日から確かめに行く。




