エピローグ 歴史の真実
時は流れ、数百年後ー。かつての王国は、近代都市国家へと姿を変えていた。
王都の国立図書館。その一角にある特別史料室で、一人の学者が分厚い書物を広げていた。窓の外を、巨大な影がゆっくりと過ぎる。摩天楼の谷間を縫う『ヴァレット商会』の定期飛行船だ。数百年経った今もなお、この都市国家の「血管」として君臨するその紋章が、ガラス越しに史料室の床へ影を落としていく。
だが、学者にとってそれは日常の風景に過ぎない。彼は静かに視線を戻すと、『獅子王レオンハルトの栄光。鉄の摂政の時代』と記されたページを指で追った。
学者は、あるページで指を止めた。そこには、二人の人物の肖像画が並んでいた。一人は、鋭い眼光と冷徹な表情をした黒衣の男――シリル・ヴァレット。もう一人は、慈愛に満ちた碧眼の美しい騎士――アルフォード・ヴィルトゥス。
『――「鉄の宰相」シリル・ヴァレット。彼は、王国の歴史上、最も悪名高い政治家である。彼は甘言を弄して王家に取り入り、三代にわたって王を傀儡化し、国政を私物化した。その手腕は冷酷無比であり、密告、暗殺、脅迫など、あらゆる汚い手段を用いて反対派を粛清したと伝えられている』
学者はふむ、と頷き、次の段落へ目を移した。
『一方で、彼と対照的な存在として語られるのが、「剣聖」アルフォード・ヴィルトゥス公爵である。高潔な騎士であった彼は、シリルの専横に心を痛めながらも、王家への忠誠と民の安寧のために尽くした「最後の良心」として知られている。歴史書には、アルフォードが度々シリルを諫め、その暴走を食い止めたという記録が残っている』
これが、後世に定着した「公式の歴史」だった。シリル・ヴァレットは、悪役であり、アルフォード・ヴィルトゥスは、稀代の英雄。その二項対立こそが、この時代の歴史観の定説となっていた。
「……しかし、奇妙だ」
学者は首を傾げた。最近、ヴィルトゥス家の旧領から発見された「未公開の書簡」の研究が進んでいるのだ。そこには、定説を覆すような記述が散見された。
『悪逆非道とされるシリルが、アルフォード家の私的な借金を肩代わりし続けていた記録』
『アルフォードの娘、皇太后エレノアが、父ではなくシリルに対して異常なまでの敬愛を示していた日記』
『シリルの莫大な財産が、ヴィルトゥス家に譲渡されていたことを示す遺言書』
学者は眼鏡の位置を直し、独りごちた。
「単なる政敵同士が、これほど密接な関係を築けるものだろうか?まるで、シリルの一生そのものが、アルフォードを、そしてヴィルトゥス家を繁栄させるために捧げられたかのような……」
そこまで考え、学者は苦笑して本を閉じた。馬鹿げている。冷酷な独裁者が、一人の騎士に尽くすために国を乗っ取ったなどと、三流のロマンス小説でもあり得ない話だ。歴史とは、もっと冷徹で、権力欲にまみれたものであるはずだ。
「……真実は、闇の中か」
学者は席を立ち、図書館を後にした。彼が立ち去った机の上には、史料と対で保管されていた一冊の古い詩集が置き忘れられていた。それは、王宮書庫から近年になって発見されたもので、暗号で書かれた詩集。近年になりようやく解読されたが、著者や詩の意図は不明とされている。その最後のページには、短い詩が刻まれている
『世界中が貴方を聖人と崇める。それこそが、私の勝利。私は悪魔となり、光をすべて貴方に捧ぐ。歴史という名の客席から、永遠に美しい貴方を見守ること、それが唯一にして最高の私の愛』
図書館の窓から差し込む光が、埃の舞う書架を照らしている。「鉄の子爵」の真実の愛は、歴史の教科書には決して載らない。ただ、平和な国の礎として、誰にも知られず静かに眠り続けている。
(了)
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