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第一章:熱砂への辞令

「本当に、忘れ物はない?会社の経費で落ちないもの、ちゃんと自分で持った?」


出発の朝。玄関で悠介がバックパックのベルトを締め直していると、妻のエミリアが、少しからかうような口調で笑いかけた。


「大丈夫だよ。個人のものはこのショルダーバッグだけ。他は全部、会社の備品だ」


「なら、いいけど…。それにしても、本社はもう少しサポートしてくれてもいいのに。スヴァールバルの時と違って、今回は本当に一人なのね」


彼女の声には、悠介の身を案じる気持ちが滲んでいた。エミリアとは北洋開発株式会社のプロジェクトリーダーとして赴任した、彼女の故郷、スヴァールバル諸島で出会った。元通訳だった彼女の助けがなければ、悠介が会社のミッションを成功させることなど、到底不可能だっただろう。


「本社にも考えがあるのさ。今回のオーストラリアでの調査は、あくまで予備調査。どんな場所で、どんな人がいるのか、この目で確かめるまで、大きなチームは動かせない。僕の報告書次第で、全てが決まる」


会社の期待と、プロジェクトの莫大な予算。その重圧は、悠介の両肩にずっしりと乗っていた。


「会社のデータも大事だけど、忘れないで。あなたがスヴァールバルで成功できた、本当の理由を」


エミリアは、僕の胸にそっと手を当てた。


「あなたは、技術の話をする前に、長老たちの話を聞いた。私の家族と、一緒に食事をしてくれた。だから、みんなあなたを信頼したの。会社への報告書には、きっとそんなこと書いてないでしょう?」


「…ああ。書いてないな」


「でしょ?だから、約束して。あなたの最初の仕事は、温室を建てることでも、良い報告書を書くことでもないわ。信頼できる現地のパートナーを見つけること。それが、あなたが最初にすべき、たった一つの仕事よ」


会社の論理とは違う、けれど、物事の本質を突く彼女の言葉。それこそが、僕が彼女を愛し、誰よりも信頼している理由だ。


悠介はエミリアをそっと抱きしめた。この腕の中に、僕が守るべき日常と、進むべき道を示す羅針盤がある。


「行ってくる」


「いってらっしゃい。あなたのやり方で、偉い人たちを驚かせてやって」


エミリアの言葉を胸に、悠介はドアを開けた。

一人の会社員として、しかし、心には彼女から受け取った確かな信念を灯して。

悠介の新しい挑戦が、今、始まる。

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