短く切られた髪
――バイト先の控室
「桜井、どうだった?クリスマスは」
鈴木がいつもの調子で聞いてくる。
「まあね、クリスマスだったよ」
ほんの少しだけ余裕を見せた。自分でもわかる、クリスマスイブに彼女と過ごしたあの時間が自信になっているんだろう。告白から一週間後、あの日の白松さんの柔らかな笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
「へえ、そっか。俺の方はさ……読者モデルの先輩のロッカーにプレゼントを置いていたんだけど、結局気づかれなかったんだよな」
鈴木は苦笑いしながら、肩をすくめた。どこか自嘲気味な笑みを浮かべている。
「まだ振られたわけじゃないんじゃない? だって、気づいてもらえてないだけならさ」
俺は友人として、そうフォローした。鈴木のことを思えば、こんなことで諦めてほしくなかった。
「それにさ、気づかれなかったってことは、まだチャンスは残ってるってことじゃん。次はもっと直接的にアプローチしてみれば?」
でも、鈴木の笑顔にはどこか無理があるのがわかった。彼の目は笑っていない。
「あー、まあな。でもさ、おせち料理みたいに詰め込みすぎても引かれるだけだしな」
そう言いながら、彼はロッカーを開け、エプロンを取り出す。
「それより、お前働きすぎじゃねえの? 最近ちょっと疲れてる顔してるぞ」
確かに鈴木の顔色は良くない。目の下にはクマができていて、普段の元気さが少し薄れているように見えた。
「大丈夫大丈夫! 桜井とは人間の出来が違うんだよ!」
彼はいつもの調子で笑い飛ばすけど、その目は少し曇っていた。
「年末年始のバイト代も入るし、今月は頑張りどきなんだよ。それに、いい買い物ができたしな」
「買い物?」
「ああ、その先輩用のプレゼントとは別に、ちょっといいヘッドホン買ったんだよ。高かったけど、音がマジでいいんだよな。今度貸してやるよ」
「休むのも仕事のうちだぞ」
俺はまじめな顔で言った。
「さんきゅー」
そう言いながら、彼は手を振ってキッチンへと消えていった。後ろ姿を見送りながら、なんとなく心配になる。ここ最近、彼がバイトのシフトを増やしていたのは確かだった。
――新年が明けた
寒さが一段と増して、みんなコートを羽織って登校してくる。マフラーや手袋を身につけている生徒も多い。教室の窓からは、うっすらと白い息が漏れ出していた。俺もそんな寒空の下、教室に入った――その時だった。
扉を開けて教室に入ってきた白松さんを見て、息が止まった。
髪が短くなっている。
彼女が長かった髪を切っていた。実際のショートヘア姿を目にすると、その似合いっぷりに心が跳ねた。なんていうか、大人っぽいというか……いや、それだけじゃない。どこか新しい一面を見せられた気がして、目が離せなくなった。肩に掛かるか掛からないかの長さで、首筋が露わになり、不思議と凛とした雰囲気を醸し出していた。
でも、なんだろう……。俺と目が合いそうで合わない……。
白松さんは俺の方をちらりとも見ず、席に着いた。周りの女子たちが「似合ってる!」と声をかけているのが聞こえる。彼女は照れたように微笑んで、短くなった髪を軽く触りながら応えていた。
「おはよう」
声をかけようと思ったけど、言葉が喉に詰まる。今日は何かがいつもと違う。彼女の視線が俺を避けているような気がする。
クリスマス以来、年末年始の休みを挟んでからというもの、白松さんとはほとんど連絡を取っていなかった。俺からメッセージを何度か送ったけど、返事は素っ気なく、短かった。てっきり忙しいんだろうと思っていたけど……違ったのか?
席に着き、教科書を出しながら、ちらりと彼女を見た。でも、彼女の背中は俺に向けられたまま、前を向いていた。
午前中の授業が終わったけど、彼女と話す機会はなかった。昼休みになっても、彼女は図書室に行く様子もない。
その代わり、クラスの女子たちとグループで楽しそうに話していた。笑顔で話す彼女を見ていると、俺の中に不安が広がっていく。
「なんだよ……」
あんなに近かったはずの距離が、いきなり遠く感じる。
告白して、付き合い始めたばかりなのに。
クリスマスの前の週、思い切って告白した時のことが蘇る。学校近くの橋の上で伝えた「好きだ」という言葉。それから少しずつ広がっていった穏やかな笑顔。「私も」と言ってくれた時の、あの柔らかな声。その後のクリスマスイブのデートは、ぎこちなさはあったけど、確かに二人の関係は始まっていた。
クリスマスイブの日、一緒にクレープを食べ歩いた時のことを思い出す。あの日、彼女の指を握った時の温もりが、まだ手の中に残っている気がした。告白から一週間、互いに「付き合っている」という関係になってはいたけれど、まだぎこちなさが残っていた。でも、あの晩は特別だった。彼女の喜ぶ顔が見たくて選んだプレゼントを渡した時の表情を思い出す。
「桜井、何ぼーっとしてんだよ」
後ろから肩を叩かれて、振り返ると鈴木がいた。
「あ、悪い。どうした?」
「昼飯、食べに行こうぜ。今日の日替わりうまいらしいぞ」
「ああ、そうだな」
立ち上がりながらも、もう一度白松さんの方を見る。彼女は相変わらず、女子たちと楽しそうに話していた。その輪の中に入れない自分が、急に寂しくなった。
午後になっても、彼女との距離感は変わらなかった。
寒い風が教室の窓を叩く音が耳に残る。中間テストに向けての復習が始まり、先生の単調な声が教室に響く。なんだか落ち着かないまま、放課後を迎えた。
「白松さん、今日図書室行く?」
思い切って声をかけた。でも、彼女は鞄に教科書を詰めながら、申し訳なさそうに首を振った。
「今日は用事があるから……ごめんね」
そう言って、友達と一緒に教室を出て行った。後ろ姿を見送りながら、胸の奥がざわついた。
部活動を終えて帰宅する途中、コンビニに寄った。何か食べ物が欲しかったわけじゃない。ただ、まっすぐ家に帰るのが嫌だった。
温かい缶コーヒーを買って、店の前のベンチに座った。冷たい空気が肌を刺す。
スマホを取り出して、メッセージを開く。白松さんとの画面を見つめる。最後のやりとりは三日前。
「あけましておめでとう」という俺のメッセージに対して、「あけましておめでとう」と返してくれただけだった。
何か、悪いことをしただろうか。
思い返してみても、思い当たる節はない。
指が画面の上で躊躇う。メッセージを送るべきか、やめておくべきか。最後に二人でやり取りしたのは元旦。それ以来、なぜか彼女からの返信が素っ気なくなっていた。
クリスマスイブのデート以来、年末年始の忙しさもあってまともに会えていなかった。電話で話したのも、大晦日の短い時間だけ。それでも、付き合い始めたばかりの二人だったから、そんなもんかなとも思っていた。
「白松さん、ちょっと話がある」
彼女を図書室に呼び出したのは、翌日の放課後だった。
静かな空気の中、白松さんは戸惑った表情を見せながらも、机越しに俺と向き合う。いつもなら安心する図書室の匂いが、今日は妙に息苦しく感じられた。
「……最近、俺のこと避けてるよな?」
単刀直入に切り出した。俺だって、こんなことを言いたくはなかったけど、このままモヤモヤし続けるのも嫌だった。
白松さんは少しだけ俯き、口を開く。
「……桜井くん……」
か細い声が途切れる。窓の外では、夕日が校庭に長い影を落としている。彼女の横顔が、オレンジ色に染まっていた。
「悪い。急に言い出して。でも、何かあったなら教えてほしい。俺、何かしたかな?」
彼女は首を横に振る。
「桜井くんは、何も悪くない……」
「じゃあ、どうして?」
「私が……」
彼女は深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。その手は少し震えているように見えた。
「私が、桜井くんの気持ちに応えられないの」
「……え?」
「……しい。……別れて欲しい」
その言葉に、頭の中が真っ白になった。
「……そっか。分かった」
そう答えるのが精一杯だった。
胸の奥が冷たく締め付けられるような感覚。何かが崩れ落ちる音が、心の中で響いていた。
「分かった」なんて言ったけど、何一つ分かっていない。分かるわけがない。
でも……分かったと言いたかった。俺だって、強いところを見せたかったんだ。
彼女は俯いたまま、小さく頷いた。
「ごめんなさい」
その言葉に、もう何も言えなくなった。
「……じゃあ、俺、もう行くわ」
立ち上がると、足が震えていることに気づいた。彼女に背を向けて、図書室を後にする。
振り返らなかった。振り返ったら、何かを言いそうで怖かった。何を言えばいいのかも分からなかった。
図書室を出たあとは、ただひたすら歩いた。
校舎の廊下を歩き、靴箱の前でふと足を止める。周りでは、下校する生徒たちの声が聞こえる。でも、その声はどこか遠くに感じられた。
靴を履き替えて、校門を出る。意識せずに歩いていた足は、いつの間にか俺をいつもと違う方向へと連れていった。
公園の古いブランコに腰掛けた。誰もいない公園で、金属がきしむ音だけが響く。
何をしていても頭の中は彼女のことでいっぱいだった。
どうして、こうなったんだろう。
自分なりに頑張ってきたつもりだった。好きって伝えて、付き合えるようになったあの時の喜びは、何だったんだ? クリスマスイブに一緒に歩いた道、彼女へのプレゼントを選んだ時の緊張感、大晦日の電話で聞いた彼女の声――それらが全て嘘みたいだった。
だけど、白松さんが言った「別れてほしい」という言葉には、彼女の中で何か大きな理由があるのかもしれない。
それを知りたいと思う気持ちと、もうこれ以上踏み込んではいけない気持ち――その二つが、俺の中で激しくぶつかり合っていた。
「付き合ったところなのに別れるって、何だよ……」
呟いた言葉が、冷たい空気に溶けていく。
クリスマスの一週間前、俺は告白した。彼女はうれしそうな表情で受け入れてくれた。その後、クリスマスイブにはデートもした。一切の問題なんてなかったはずなのに……
「あの時、俺が勘違いしていたのか?」
それとも、何か起きたのか。年末年始の間に、何かが変わったのか。
分からないことだらけで、頭がぐるぐると回る。
冷たい風が頬を切るように吹く帰り道、胸の中で繰り返し響く言葉がある。
「俺なんて……」
結局、俺は白松さんのことを本当に分かっていなかったんじゃないか。
気持ちを伝えて、付き合えるようになったからって、それだけで満足していたのかもしれない。
「こんなの、誰にも言えねえよな……」
思わず呟く。情けなくて、ダサくて、でもどうしようもなく胸が苦しい。
スマホを取り出して、誰かに連絡しようかと思った。でも、結局誰にも連絡せずにポケットに戻した。鈴木にだって言えないし、ましてや家族には絶対に言えない。
何がいけなかったのかも分からないまま、ただ冷たい夜道を歩き続けた。
「……白松さん」
名前を呼んでみても、もう届かない。そんな気がした。




