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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第五章

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55/80

55 奪われた役目(回想6/10)

 

 中学2年の冬。あの日のことは、今でも忘れられない。放課後、俺は教室に残っていた。掃除当番だったからだ。幸子も一緒に残っている。いつものように、俺から離れない。


「桜井、私、モップ洗ってくるね」

「わかった」


「すぐ戻るから」

「ああ」


 幸子が、モップを持って教室を出ていった。俺は、机を動かしながら掃除を続ける。しばらくして、幸子が戻ってこない。少し心配になって、廊下に出た。その時、水道の方から声が聞こえた。


 幸子の声だ。


「やめて……」


 俺は、急いで水道の方へ走った。そこには、幸子が立っていた。そして、その前には――竹中がいた。


「何してんだ」


 俺の声に、竹中が振り返る。


「おう、桜井。ちょうどいいところに」


 竹中が、ニヤニヤと笑う。幸子は、怒りと恐怖が混じった顔をしていた。手に持っていたモップが、床に倒れている。拳を握りしめている。


「お前、何した」

「別に。ちょっと話してただけだよ。中川さん、俺と付き合わない? って」


 その言葉に、俺の中で何かが弾けた。


「ふざけるな!」


 俺が、竹中に掴みかかろうとした瞬間――取り巻きの一人が、俺の肩を掴んだ。


「落ち着けよ、桜井」

「離せ!」


 俺が、振り払おうとする。でも、取り巻きは離さない。


「幸子は、俺の彼女だ!」

「へえ、そうなんだ。でも、中川、返事してないよね」


「断ってるでしょ! 何回も言ってるのに! お願い、もうやめて……」

「何をやめるの? 俺、何もしてないけど?」


 竹中が、幸子に近づく。幸子が、後ずさる。壁に背中がつく。もう、逃げ場がない。


「お前……」


 俺が、取り巻きを振り払おうとする。でも、力が足りない。何もできない。また、何もできない。


 その時――――


「お前、女泣かせて何が楽しいんだよ!」


 別の声が、響いた。


 俺たちが振り返ると、そこには鈴木進一郎が立っていた。同じクラスの男。その鈴木が、怒りに満ちた顔で立っていた。


「鈴木……?」


 竹中が、少し驚いた顔をする。


「お前、関係ないだろ」

「関係ある。女困らせてる奴、見過ごせねえ」


「は? 正義の味方気取りか?」

「違う」


 鈴木が、竹中の胸ぐらを掴んだ。


「ただ、お前みたいな卑怯者が嫌いなだけだ」

「おい、鈴木」


 取り巻きが、鈴木に掴みかかろうとする。でも、鈴木は動じない。


「竹中、お前、いい加減にしろ。中川さんに、これ以上近づくな」

「何様のつもりだよ」


 竹中が、鈴木の手を払いのけようとする。でも、鈴木は離さない。


「俺は、ただの同級生だ。でも、お前みたいな奴、許せない」

「てめえ……」


 竹中が、拳を振り上げる。その瞬間――


「やめろ!」


 三浦が、走ってきた。


「やめろ、鈴木! 竹中、お前ももう行け!」


 三浦が、二人の間に割って入る。


「いいから、鈴木、離せ。このままじゃ、お前、停学になるぞ」

「知るか」


 鈴木が、まだ竹中を睨んでいる。


「でも、それじゃ中川が困る」


 三浦が、幸子の方を指す。


「これ以上、騒ぎを大きくしたら、中川が一番傷つく」


 その言葉に、鈴木が少し躊躇う。


「……チッ」


 鈴木が、竹中を突き放した。竹中が、よろめく。


「覚えてろよ、鈴木」

「上等だ」


 竹中が、取り巻きと一緒に去っていった。その場には、俺、幸子、鈴木、三浦が残された。重い沈黙が流れる。


 幸子が、鈴木の方へ歩いていった。


「ありがとう……助けてくれて……」

「気にすんな。当然のことしただけだから」


 幸子は一瞬鈴木を見つめる。そして、すぐに俺の方へ来た。


「桜井……」


 幸子が、俺の腕にしがみつく。その様子を見て、俺の胸に、複雑な感情が渦巻いた。幸子を守ったのは、俺じゃない。鈴木だ。俺は、何もできなかった。取り巻きに押さえられて、ただ見ているだけだった。情けない。本当に、情けない。


 三浦が、俺の方を見た。その目には、同情が混じっていた。それが、さらに俺を傷つけた。


「桜井、お前……」

「いいよ。何も言わないでくれ」


 俺たちは、教室に戻った。鈴木と三浦も、一緒だった。誰も、何も話さない。重い空気が、流れている。


 掃除を終えて、帰り支度をする。幸子が、俺の腕にしがみついてくる。でも、いつもと違う。何かが、変わってしまった気がした。


 学校を出て、いつもの道を歩く。幸子が、小さく言った。


「桜井……鈴木くん、すごかったね」


 その言葉が、胸に刺さった。


「……ああ」

「私……あんな風に怒ってくれる人、初めて見た。でも、桜井も止めようとしてくれたよね」


「でも、何もできなかった」


「ううん」


 幸子が首を振る。


「桜井は、いつも側にいてくれる。それだけで、十分。私が守ってほしいのは、桜井だから」


 でも、俺には十分じゃなかった。自分が、情けなかった。幸子を守ると言ったのに。何もできなかった。鈴木が、幸子を守った。俺じゃなく、鈴木が。その事実が、俺の心に深い傷を刻んだ。


 幸子を家まで送って、別れた。


「また明日ね」


「明日」


 一人で帰る道、俺は考えていた。鈴木の怒り。あれは、純粋だった。損得勘定なしに、ただ「卑劣な行為」に怒っていた。俺には、それができなかった。怖かった。竹中が怖かった。取り巻きが怖かった。だから、何もできなかった。情けない。本当に、情けない。


 そして、三浦。三浦は、止めに入った。「騒ぎを大きくしたくない」と。それは、正しいことかもしれない。でも、俺には冷たく感じた。幸子が苦しんでいるのに。「事なかれ主義」に見えた。


 今日のことが、頭の中で繰り返される。鈴木の怒り。幸子が一瞬鈴木を見つめた顔。「鈴木くん、すごかったね」というその言葉。全てが、俺を追い詰めていく。


 俺は、何のために幸子と一緒にいるんだ。守るため?でも、守れなかった。愛しているから?でも、この息苦しさは何だ。


 わからなくなっていた。ただ一つ、わかったことがあった。この狭い世界から、逃げ出したい。幸子から。竹中から。三浦から。鈴木から。全てから、逃げ出したい。その思いが、心の奥で、確かに芽生えていた。



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