約束してね
文化祭も終わり、日常に戻っていた。
冬の気配が濃くなってきた頃のことだった。
ある日の放課後、スマホが震えた。
画面を見ると、三浦からのメッセージだった。
「桜井、久しぶり。ちょっと会えないか」
三浦尚央――中学の時の同級生。俺と鈴木や、幸子と同じ中学だった友人。
最近は時々連絡を取り合う程度だった。
「どうした?」
返信を打つと、すぐに返事が来た。
「話したいことがあるんだ。今週末、時間ある?」
少し迷ったが、返信した。
「わかった。土曜の午後でいいか?」
「OK。じゃあ、二時に駅前のカフェで」
白松さんに週末の予定を聞かれた時、正直に答えた。
「土曜、三浦と会うことになった」
「三浦さん? 中学の友達の?」
「ああ」
「そう……何か用事?」
「わからない。話したいことがあるって」
白松さんは少し不安そうな表情を見せたが、すぐに微笑んだ。
「じゃあ、行っておいで」
「ごめん。日曜は一緒に過ごそう」
「うん」
土曜日、約束の時間より少し早く駅前に着いた。カフェに入ると、三浦はすでに席についていた。
窓際の席で、外を眺めている。
「よう」
声をかけると、三浦が振り返った。
「桜井、来てくれたか」
いつもの軽い調子ではなく、どこか深刻な表情だった。
「何か、深刻な話か?」
席に座りながら聞くと、三浦は少し躊躇ってから頷いた。
「まあな」
店員が来て、俺はアイスコーヒーを、三浦はホットコーヒーを注文した。
飲み物が来るまでの間、沈黙が流れる。
三浦は何かを考え込むように、テーブルの上で指を組んでいた。
「で、何の話だよ」
痺れを切らして聞くと、三浦はゆっくりと口を開いた。
「実は……幸子のことなんだけど」
その名前を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
「幸子……」
中学の時の彼女。別れてから、もう一年以上は経つ。
それでも、その名前を聞くと、胸の奥が少しざわつく。
「最近、お前のことを話すんだよ」
「俺の?」
「ああ」
三浦が少し困ったような顔をする。
「未練があるんじゃないかと思う」
その言葉に、思わず息を呑む。
「未練……」
「ああ。お前に彼女できたって聞いて、様子がおかしくなった」
三浦が続ける。
「落ち込んだり、イライラしたり」
「そうか……」
「桜井、実は俺さ」
三浦が真剣な顔で言った。
「幸子のこと、好きなんだ」
その告白に、少し驚く。
「お前……まだ」
「ああ。中学の時から、ずっと」
三浦が苦笑する。
「でも、幸子はお前のことばかり見てた」
「三浦……」
「お前と別れてから、チャンスかなって思ったんだけど」
三浦が俯く。
「幸子は、まだお前を引きずってる」
その言葉が、重く胸に響く。
「だから、お願いがあるんだ」
「何?」
「一度、ちゃんと会って、はっきり言ってやってくれないか」
三浦が俺を見つめる。
「もう終わったことだって。お前には新しい彼女がいるって」
「……」
「そうしないと、幸子も前に進めない。俺も、諦められない」
三浦の言葉に、何も答えられなかった。
確かに、幸子とのことは中途半端なまま終わった。ちゃんと「さよなら」を言わないまま、離れてしまった。
「俺も、ちゃんと話すべきだとは思ってた」
やっとそれだけ言えた。
「でも、今は白松さんがいるから……」
「だからこそだろ」
三浦が言った。
「過去を清算しないと、前に進めない」
「前に……」
「幸子も、お前も、白松も」
三浦が真剣な目で続ける。
「お前、白松さんと付き合ってんだろ? だったら、幸子との過去をちゃんと終わらせないと」
「それが白松さんに対しても、誠実なことじゃないのか?」
その指摘に、何も言い返せなかった。
確かに、三浦の言う通りかもしれない。
別の学校に行く……そう言って別れた「つもり」でいた。幸子との関係を曖昧なまま放置していることが、どこかで白松さんに対して不誠実なのかもしれない。
「……少し、時間をくれ」
やっとそれだけ言うことができた。
「わかった。でも、逃げないでちゃんと考えろよ」
三浦は優しく、でも厳しい目で俺を見つめた。
「幸子も、お前も、それぞれ前に進むために必要なことだと思う」
しばらく二人で黙ってコーヒーを飲んだ。
窓の外では、秋の風が木の葉を散らしていた。
「なあ、桜井」
三浦がふと口を開いた。
「お前、変わったよな」
「え?」
「いい意味でな」
三浦が笑った。
「それも、白松さんのおかげか?」
「……まあ、そうかもな」
認めると、三浦は満足そうに頷いた。
「だったら余計に、幸子とはちゃんと話をつけたほうがいい」
「白松さんのためにも、幸子のためにも、そして何より、お前自身のためにも」
「わかった。考えてみる」
「そうしてくれ」
三浦がコーヒーを飲み干して、立ち上がった。
「じゃあ、俺はこれで。連絡、待ってるから」
「ああ」
三浦が店を出ていくのを見送りながら、俺は一人カフェに残った。
窓の外を見つめながら、考え込む。
幸子と会うべきなのか。
でも――三浦の言葉が頭の中で繰り返し響く。
「過去を清算しないと、前に進めない」
確かにそうかもしれない。
スマホを取り出して、白松さんにメッセージを送ろうとして――やめた。これは、まず自分で決めなければならないことだ。
カフェを出て、街を歩く。秋の風が冷たく、コートの襟を立てた。
公園のベンチに座って、空を見上げる。雲が流れていく。
幸子――
彼女と別れたあの日のことを思い出す。
高校に入学する直前、俺は幸子に別れを告げた。
「違う学校に行きたい」
そう言った時の、彼女の困惑した表情。
あれから一年以上。俺も幸子も、それぞれの道を歩んできた。
でも、ちゃんと終わらせていなかった。お互いに「さよなら」を言わないまま、離れてしまった。
それを、今、清算すべきなのか。
スマホが震えた。
白松さんからのメッセージだった。
「三浦さんとの話、終わった? 大丈夫?」
その気遣いに、胸が痛む。
「うん、終わったよ。心配してくれてありがとう」
そう返信して、立ち上がる。
家に帰る途中、三浦の言葉がまた頭に浮かんだ。
「お前、本当に変わったな。いい意味で」
変わった――確かにそうだ。
入院する前の俺と、今の俺は違う。
白松さんと出会って、少しずつ変わってきた。
だからこそ、過去の自分ともちゃんと向き合わなければならないのかもしれない。
幸子との過去を、ちゃんと受け入れて、そして終わらせる。
それができて初めて、白松さんとの未来に真っ直ぐ進めるのかもしれない。
ベッドに横になりながら、決意を固めつつあった。
幸子と会おう。ちゃんと話をしよう。
それが、今の俺にできることだ。
でも、その前に――白松さんに話さなければならない。
彼女に隠し事をしたくない。
幸子と会うことも、ちゃんと伝えるべきだ。
スマホを手に取り、白松さんに電話をかけようとして――躊躇した。
電話ではなく、直接会って話すべきだ。
明日、会ってきちんと話そう。
そう決めて、目を閉じる。でも、なかなか眠れなかった。
幸子のこと、白松さんのこと、そして自分自身のこと。様々な思いが頭の中を巡る。
翌日の日曜日、俺は白松さんに会って、全てを話した。
公園のベンチで、二人並んで座りながら。
「三浦から、幸子のことで相談された」
「幸子さん……」
白松さんの声が、少し震える。
「幸子が、まだ俺のことを忘れられないみたいで」
「そう……」
「三浦が、一度ちゃんと会って、はっきり終わらせてほしいって」
白松さんは黙って俺の話を聞いている。
「俺、会おうと思う」
その言葉に、白松さんは少し俯いた。
「怒ってる?」
「ううん」
白松さんは首を振った。
「怒ってなんかない。ただ……」
「ただ?」
「少し、不安になっただけ」
その言葉に、胸が痛む。
「不安にさせて、ごめん」
「ううん。桜井くんが幸子さんと話したいって思うなら、それは大切なことだと思う」
白松さんが顔を上げる。
その目には、不安と同時に、理解の色があった。
「でも、約束して」
「何を?」
「ちゃんと、戻ってきてね」
その言葉に、思わず彼女の手を握った。
「当たり前だよ。俺が好きなのは、白松さんだけだから」
白松さんの目が、少し潤んだ。
「ありがとう」
「こちらこそ、理解してくれて」
二人で手を繋いだまま、しばらく公園のベンチに座っていた。
風が吹いて、葉が舞い落ちる。
「桜井くん」
「ん?」
「早く帰ってきてね」
「ああ。絶対に」
その約束を胸に、俺は幸子と会う決意を固めた。過去と向き合う――それは、怖いことでもある。
でも、それを乗り越えなければ、本当の意味で前に進めない。
白松さんのためにも、自分自身のためにも。そして、幸子のためにも。




