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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第四章

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46 屋上の二人


 文化祭当日の朝、目が覚めた瞬間から気持ちがざわついていた。


 カーテンを開けると、青空がどこまでも続いている。思わず「よし」と呟いて、着替えを始めた。今日は制服じゃなく、クラスで揃えたTシャツだ。


 朝食の途中、母さんが「午後から行くから」と言った。


「え、本当に来るの?」

「当然でしょ。悠人が頑張ってるの、見たいもの」


 箸を持ったまま、少し黙った。



 学校に着くと、校門に看板が立っていた。廊下はごちゃごちゃと飾りつけられていて、あちこちから声や物音が重なって聞こえてくる。


 教室に入ると、鈴木がすでに動き回っていた。


「おはよう! 準備、始めるぞ!」


 テーブルに布をかけ、本を並べ直し、メニュー表を貼り出す。家庭科室でコーヒーメーカーとポットとカップを確認して、戻ってくると教室はもう形になっていた。


 9時30分、開場。


 廊下に人の流れができ始めた。


「古本カフェへどうぞー!」


 宮田たちの声が響く。最初の来客が入ってくるなり「本読めるカフェなんだ」「すごい、こんなに本がある」とざわざわした。


「いらっしゃいませ」

 白松さんが笑顔で出迎える。俺は家庭科室に戻って、注文をこなし始めた。


「コーヒー二つ、紅茶一つ!」

「了解!」


 鈴木と並んでてきぱき動く。10時を過ぎる頃には、教室はほぼ満席になっていた。


「すごい、大盛況じゃん」

「ああ。白松さんのアイデア、大成功だな」


 教室を覗くと、白松さんが来客に本を勧めていた。いつもより声がはきはきしている。



 11時頃、入口がざわついた。


「いっ、いらっしゃいませ」

 宮田の声がうわずっている。顔を上げると、カオルが立っていた。


「桜井くん、白松さん。来ちゃった」

 カオルが笑う。白松さんも駆け寄った。


「来てくれたんだ」

「評判がいいって聞いたから。お邪魔してもいいかしら」


「もちろんです。どうぞ」


 席に案内してメニューを渡すと、「紅茶をお願いします」と言った。

 家庭科室に戻って、丁寧に淹れた。


「お待たせしました」

 カップを置くと、カオルが店内をぐるりと見回した。


「素敵な空間ね。本当に落ち着く」


 それから立ち上がって、本棚に近づいた。指が一冊の背表紙の上で止まる。ゆっくり引き抜いて、表紙をしばらく見ていた。


「……『風の行方』。白松さん、置いてくれたの?」

「カオルさんに読んでほしくて」


 カオルは答えなかった。本を両手で持ったまま、少しの間そのままでいた。それから、ゆっくりと椅子に戻ってきた。


「この本からタイトルをもらったのよね。私の曲」

 テーブルに本を置いて、カップを一口飲んだ。


「ねえ、二人に報告があるんだけど」

 声のトーンが、少し変わった。


「来年、音楽学校に進学することにしたの」

 しんとした。


「病気のこともあったし、一時は諦めかけてた。でも、もう一度ちゃんとやってみようと思って」

 カオルは俺たちを交互に見た。


「二人と出会わなかったら、たぶんそう思えなかった」

 白松さんがカップの縁を指先でそっとなぞった。


「カオルさん……」

「大げさに受け取らないでね」


 カオルが苦笑した。


「ただ、言いたかっただけだから」


 三人でしばらく、何も言わなかった。窓の外から、模擬店の呼び込みの声がとおくに聞こえた。

 カオルが先に立ち上がった。財布を出しながら、ふっと笑った。


「白松さんも、焦らなくていいと思う。自分のこと」

 白松さんが顔を上げた。


「桜井くんもいるし。ね、桜井くん」

「……ああ」


 カオルがレジに向かいかけて、ドアのところで振り返った。


「紅茶、美味しかったよ。また来るね」

「うん、待ってます」


 白松さんが手を振った。カオルが出ていくと、しばらく白松さんはドアを見ていた


 午後になって、客足が落ち着いてきた。鈴木がシフトを交代しようと言い出した。


「白松さん、少し休憩しない?」

「うん。どこか静かなところ、行きたいな」


「屋上、行くか」


 二人で階段を上る。廊下の喧騒を抜けて、屋上のドアを押すと、ひゅうっと風が入ってきた。


「うわあ……」


 白松さんが小さく声を上げた。校庭が一望できた。模擬店が並んで、生徒たちがちらちら動いている。

 白松さんが手すりに両手をついて、下を見ていた。


「文化祭、楽しいね」

「ああ。白松さんがいるから、余計に」


 白松さんがこちらを向いた。少し驚いた顔だった。


「私も、桜井くんがいるから」

 そっと俺の手を握ってきた。指先が冷たかった。


「こんなに楽しい文化祭、初めて」

 何も言わなかった。握り返した。


 風が吹いて、白松さんの髪がふわっと揺れた。


「カオルさんのこと……すごいと思う」

「ああ」


「私も、ちゃんと決めたいな。自分の道」

 声が少し頼りなかった。


「一緒に考えるよ」


 白松さんが俺を見た。それから、ふっと肩の力が抜けたみたいに笑った。握る手に、少し力がこもった。


 雲がゆっくり流れていく。その下で、文化祭はまだ続いていた。


「そろそろ戻る?」

「うん」


 手を離して、ドアへ向かう。


「今日、本当に楽しかった」

「まだ終わってないぞ」


 白松さんがくすっと笑った。



 教室に戻ると、宮田がじろっとこちらを見た。


「どこ行ってたの、二人で」

「ちょっと屋上まで」


「いいな。鈴木くんとも行けばよかった」

 白松さんが「行けば?」と言うと、宮田の顔がぱっと赤くなった。


「そ、それは……」

 そこへ鈴木が家庭科室から戻ってきた。


「おい、また注文入ったぞ」

「了解」



 閉会式。各クラスの出し物がひとつずつ終わっていく。


「お疲れ様でした!」

「売上、すごいことになってるよ。たぶん学年で一番じゃないかな」


 会計係の声に、教室がわっと沸いた。そのざわめきの中で、白松さんがそっと隣に来た。


「疲れた?」

「うん、ちょっと。でも嬉しい疲れ」


「白松さんのおかげだよ」

「ううん。みんなで作ったから」


 白松さんが、もう一度教室をぐるりと見回した。



 片付けを終えて外に出ると、下駄箱のところで母さんが待っていた。


「お疲れ様。素敵なカフェだったわよ」

「……来てたのか」


「もちろん」

 うまく返事ができなかった。


 母さんと別れて、白松さんと並んで校門を出た。空がすっかり茜色に染まっていた。


 家に帰って部屋に入ると、どさっとベッドに倒れた。


 天井を見ていたら、今日のことがばらばらと浮かんできた。白松さんがお客さんに本を勧めている声。カオルが『風の行方』を両手で持ったまま動かなかった、あの少しの間。屋上で、白松さんの指先が冷たかったこと。


 まだ見ぬ未来。でも、俺も白松さんもそれぞれの「風の行方」を探している。

 その風がどこへ向かうのか、まだわからない。


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