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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第四章

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つながる想い

 

 次の週末、俺は白松さんの家へ向かう電車の中にいた。

 手には手土産の箱――母さんが「これを持っていきなさい」と持たせてくれた焼き菓子の詰め合わせ。膝の上に置いた箱を何度も確認しながら、深呼吸を繰り返す。


「大丈夫、落ち着け……」


 小さく呟いても、緊張は収まらなかった。

 白松さんの家に招待されたのは、先週のデートの帰り道。彼女が「両親に会ってほしい」と言ってくれた時、嬉しさと同時に強い緊張を感じた。


 電車の窓から流れる景色を眺めながら、昨夜のことを思い出す。


「明日、ちゃんとした格好で行った方がいいかな?」


 夕食の席で母さんに相談すると、母さんは優しく笑った。

「そうね。でも、変に気張らなくていいのよ。あなたらしくいることが一番大切」

「でも……」

「大丈夫。白松さんのお母さん、優しい方だったでしょ?」


 その言葉に、あの冬の夜のことを思い出す。白松さんの家の近くの公園に行った時、心配して出てきたお母さんと会った。あの時の柔らかな笑顔と、それでいてどこか疲れた様子。


「ああ、優しそうな人だった」

「なら、きっと大丈夫よ」


 母さんの言葉に少しだけ勇気をもらって、今日を迎えた。


 最寄り駅に着いて、住宅街を歩いていくと、静かな空気が流れている。この辺りは古くからの住宅地のようで、手入れの行き届いた庭を持つ家が並んでいた。


 白松さんの家は、角地にある二階建ての一軒家だ。玄関脇には小さな花壇があり、秋の花が咲いている。

「ここだ……」

 門の前で立ち止まり、深呼吸をする。シャツの襟を直して、手土産の箱を持ち直した。

 インターホンのボタンに指を伸ばすが、押す直前で躊躇する。


「大丈夫……落ち着け」

 もう一度深呼吸をして、ボタンを押した。

 チャイムの音が家の中に響く。しばらくして、インターホン越しに声が聞こえた。


「はい」

 白松さんの声だった。


「あ、桜井です」


「今、開けるね」

 数秒後、玄関のドアが開いた。


 白松さんが顔を出して、嬉しそうに微笑む。今日は家着なのか、薄いピンクのカーディガンを羽織っていた。


「来てくれたんだ。ありがとう」


「お邪魔します」

 門を開けて敷地内に入ると、玄関まで白松さんが案内してくれた。


「緊張してる?」

 小声で聞かれて、正直に答える。

「……めちゃくちゃ」

 白松さんはクスクスと笑った。


「大丈夫。お母さん、すごく楽しみにしてたから」

 玄関に入ると、奥からもう一人の気配がした。


「いらっしゃい」

 現れたのは、白松さんのお母さんだった。あの冬の夜に会った時と同じ、優しそうな笑顔。でも、改めて見ると、やはりどこか疲れた様子が感じられる。


「お邪魔します。これ、よろしければ……」

 手土産を差し出すと、お母さんは嬉しそうに受け取ってくれた。


「まあ、ありがとう。気を使わせてしまって」


「いえ、母が持たせてくれたもので」


「お母様によろしくお伝えください」

 お母さんの温かい言葉に、少しだけ緊張が和らぐ。


「百合子から、よく話を聞いてるわ。桜井くんね」

「はい」

「この子、最近本当に楽しそうで。それも、あなたのおかげだと思ってるの」

 その言葉に、少し照れくさくなる。

「いえ、俺の方こそ、白松さんに助けられてばかりで……」


「謙遜しなくていいのよ」お母さんは優しく笑った。「さあ、上がってちょうだい」


 靴を脱いで廊下に上がると、家の中は清潔で整然としていた。壁には家族写真が何枚か飾られている。小さい頃の白松さんの写真もあった。


「リビングに案内するわね」

 お母さんに続いて廊下を歩くと、明るいリビングに通された。大きな窓から陽の光が差し込んでいて、温かい雰囲気だった。


「座って。お茶を入れてくるわね」

 ソファに腰を下ろすと、白松さんが隣に座った。


「どう? 緊張、少しはほぐれた?」

「まだちょっと……」

「ふふ、桜井くんらしいね」

 白松さんが笑う。その笑顔を見て、少しだけ心が落ち着いた。


 お母さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。

「どうぞ。百合子の好きなクッキーよ」


「ありがとうございます」


 温かい紅茶を一口飲むと、緊張していた体が少しずつ和らいでいく。

「桜井くん、百合子から聞いたけど、病院にいたことがあるのね」

 お母さんの言葉に、一瞬身構える。でも、その目には非難の色はなく、むしろ心配そうな優しさがあった。


「はい。少し、疲れてしまって……」


「そう。でも、今はもう大丈夫なの?」

「はい。おかげさまで」

「良かった」お母さんはほっとしたように微笑んだ。「百合子も、あなたと同じように辛い時期があったの」


 その言葉に、白松さんが少し驚いたような顔をした。

「お母さん……」

「いいのよ。桜井くんには話しておきたいから」

 お母さんは紅茶のカップを手に取りながら、静かに話し始めた。


「百合子も以前、学校に行けなくなった時期があったの。ピアノをやめて、自分の居場所が分からなくなって……毎日、部屋に閉じこもっていたわ」


 白松さんは俯いて、膝の上で手を組んでいた。


「あの時は、私もどうしていいか分からなくて。でも、百合子は本を読むことで、少しずつ元気を取り戻していった」


「そうだったんですか……」


「だから、桜井くん。あなたが病院で過ごした時間も、きっと大切な時間だったと思うの」

 お母さんの言葉が、胸に染み込んでいく。


「ありがとうございます」

 しばらくお母さんと話をした後、白松さんが「部屋、見に来る?」と聞いてきた。

「いいの?」

「うん。見せたいものがあるから」


 お母さんに許可をもらって、二階へ上がる。階段の壁にも、白松さんの成長の記録が飾られていた。

 廊下の突き当たりにある部屋のドアを開けると、そこには本で溢れた空間が広がっていた。


「すごい……」

 思わず声が出る。壁一面の本棚には、びっしりと本が並んでいる。文庫本から単行本、詩集や写真集まで、ジャンルも様々だった。


「これ、全部読んだの?」

 白松さんは少し恥ずかしそうに頷いた。


「うん。中学の時、部屋にこもってた頃にね。本だけが、私の友達だった」

 その言葉には、寂しさと同時に、本への深い愛情が感じられた。

「白松さんにとって、本は特別なんだな」

「そう。本があったから、私は一人じゃなかった」


 部屋の奥には、小さなデスクとベッドがあった。デスクの上には、読みかけの本が開いて置かれている。


「座って」

 白松さんがベッドの端に座るよう促してくれた。俺も遠慮がちに腰を下ろす。


「これ、見せたかったの」

 白松さんがクローゼットから一冊のアルバムを取り出した。表紙には「百合子の記録」と書かれている。


 ページを開くと、そこには小さい頃の白松さんの写真が貼られていた。

「これ、ピアノの発表会の時」

 写真の中の白松さんは、白いドレスを着てピアノの前に座っている。真剣な表情で鍵盤を見つめていた。


「この頃は、毎日ピアノ漬けだった」


 ページをめくるたびに、白松さんの成長が記録されている。発表会の写真が何枚も続き、その後――写真が途切れていた。


「中学に入ってから、発表会には出なくなったの」


 白松さんの声が、少し寂しそうに響く。


「それでも、ピアノは好きだった。でも……東雲さんみたいには弾けなくて」


 その言葉に、カオルのことを思い出す。


「でも、今は本があって良かったって思う。ピアノをやめたから、本と出会えたんだもの」

 白松さんが微笑む。その笑顔には、過去を受け入れた強さがあった。

 そのとき、ドアがノックされた。


「百合子、ちょっといい?」

 お母さんの声だった。

「うん」


 白松さんが部屋を出ていくと、俺は一人部屋に残された。


 改めて部屋を見回す。本棚、デスク、小さな観葉植物。全てが白松さんらしい、シンプルで温かい空間だった。


 ふと、本棚の一角に目が留まった。


 他の本とは違う、少し古めかしい装丁の本。背表紙には『風の行方』というタイトルが書かれていた。


「風の行方……?」


 その本を手に取る。カオルの曲と同じタイトルだ。


 ページを開くと、中には風をテーマにした短編小説がいくつか収められていた。栞が挟まれているページには、線が引かれた箇所があった。


「風は、どこへ向かうのか。それは誰にも分からない。でも、風に身を任せることで、新しい場所へ辿り着くことができる」


 その一節を読んだ時、ドアが開く音がした。


「あ、それ……」


 白松さんが戻ってきて、俺が手にしている本を見て驚いたような顔をした。


「これ、カオルの曲と同じタイトルだな」


「うん……実は」


 白松さんは少し躊躇ってから、静かに話し始めた。


「カオルさんに、曲のタイトル、私が提案したの」


「え?」


「演奏会の前に、メッセージで。カオルさんが『自作曲にタイトルをつけたいんだけど、何かいい案ない?』って聞いてきたの」


 その事実に、驚きを隠せなかった。

「それで、この本のタイトルを提案したのか?」


「うん。この本、中学の時に何度も読んだの。辛い時、この本が私を支えてくれた」

 白松さんは本を受け取って、大切そうに抱きしめた。


「『風の行方』――それは、まだ見ぬ未来のこと。どこへ向かうか分からないけど、それでも風に乗って進んでいく。そんな意味が込められてるの」


「だから、カオルに……」


「うん。カオルさんも、きっと同じ思いでいると思ったから」

 白松さんの言葉が、胸に深く響く。彼女とカオルの間には、俺が知らない繋がりがあったんだ。


「カオルさん、すごく喜んでくれた。『完璧なタイトルだ』って」


「そうか……」

 カオルの演奏会で聴いた「風の行方」。あの曲には、白松さんの思いも込められていたんだ。


「あのね、桜井くん」

 白松さんが本を本棚に戻しながら言った。


「私、カオルさんに会えて本当に良かった。あの人も、私と同じように苦しんでた時期があって。でも、音楽で乗り越えようとしてた」


「白松さんは、本で乗り越えたんだな」


「うん。でも、今は……」

 白松さんが俺の方を向いた。


「桜井くんがいてくれるから。もう一人じゃない」

 その言葉に、胸が熱くなる。


「俺も、白松さんがいてくれるから……前を向けるんだ」


 二人の間に、静かな時間が流れる。

 階下からお母さんの声が聞こえてきた。


「百合子、桜井くん、夕食の準備ができたわよ」

「はーい」


 白松さんが返事をして、俺に微笑みかけた。

「ご飯、食べていって」

「いいの?」


「お母さんが、張り切って作ってくれたから」

 階下に降りると、ダイニングテーブルには料理が並んでいた。ハンバーグ、サラダ、スープ――家庭的な温かい料理だった。


「わあ、美味しそう」

 白松さんが嬉しそうに声を上げる。


「桜井くん、座って。遠慮しないでたくさん食べてね」

 お母さんに促されて、席に着く。

 食事をしながら、お母さんが色々と話しかけてくれた。学校のこと、バイトのこと、将来の夢のこと。


「桜井くん、将来は何をしたいの?」

「まだ、はっきりとは決めてないんですけど……でも、人を支えられるような仕事がしたいって思ってます」


「素敵ね」

 お母さんが優しく微笑む。その笑顔は、白松さんにそっくりだった。


 食事を終えて、そろそろ帰る時間になった。


「今日は本当にありがとうございました」


 玄関で靴を履きながら、お母さんにお礼を言う。

「こちらこそ、来てくれてありがとう」

 お母さんは少し真剣な表情になって、続けた。

「また来てね。百合子、あなたのおかげで明るくなったわ」


 その言葉が、胸に深く染み込む。


「この子、中学の時は本当に塞ぎ込んでて……でも、高校に入ってから少しずつ変わっていって。特に、あなたと出会ってからは、目に見えて表情が明るくなった」


「お母さん……」

 白松さんが少し恥ずかしそうに言う。


「本当のことよ。桜井くん、これからも百合子をよろしくね」


「はい」


 しっかりと頷くと、お母さんは安心したように微笑んだ。

 白松さんが門まで見送ってくれた。


「今日は来てくれて、本当にありがとう」


「こちらこそ。お母さん、優しい人だった」


「うん。お母さん、桜井くんのこと気に入ってたみたい」


 その言葉に、少しほっとする。


「白松さん、今日色々教えてくれてありがとう。カオルとの繋がりとか、知らないことばかりだった」

「これからも、たくさん話したいな。私のこと、もっと知ってほしいから」


「俺も、もっと白松さんのこと知りたい」

 そう答えると、白松さんは嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、また明日学校で」


「ああ。気をつけて帰ってね」


「うん」

 門を出て、振り返ると白松さんが手を振っていた。俺も手を振り返して、歩き出す。

 帰りの道すがら、今日のことを思い返した。

 白松さんの部屋。たくさんの本。アルバムに貼られた写真。そして『風の行方』。


 全てが、彼女を知る手がかりだった。

 そして、お母さんの言葉――「あなたのおかげで明るくなった」。

 その言葉が、胸の中で温かく響いている。


 駅に着いて電車を待ちながら、スマホを取り出す。白松さんからメッセージが届いていた。


「今日は本当にありがとう。お母さんも喜んでた。また来てね」

 その言葉を読んで、思わず笑顔になる。


「こちらこそ、ありがとう。また行かせてもらうよ」

 そう返信して、ポケットにスマホをしまう。

 電車に揺られながら、窓の外を見つめる。夕暮れの空が、オレンジ色に染まっていた。


「風の行方か……」


 小さく呟く。カオルの曲のタイトルが、白松さんの提案だったこと。それは、二人の深い繋がりを示していた。

 そして、その「風」は、俺たちの未来も示しているのかもしれない。

 まだ見ぬ未来。どこへ向かうか分からないけれど、白松さんと一緒なら――その風に乗って、きっと素敵な場所に辿り着ける。


 そう信じながら、俺は静かに目を閉じた。


 家に着いて部屋に入ると、母さんが「どうだった?」と聞いてきた。


「すごく良かった。お母さん、優しい人だった」


「良かったわね。白松さんのお母さん、あなたのこと気に入ってくれたみたい?」


「……たぶん」

 照れくさそうに答えると、母さんは嬉しそうに笑った。


「悠人、本当に良い関係を築いてるのね」

「……うん」


 ベッドに横になりながら、今日のことをもう一度思い返す。

 白松さんの部屋で見た本棚。『風の行方』という小説。カオルとの繋がり。

 全てが、これからの俺たちの物語を彩る大切なピースだと感じた。


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