↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と風の行方  作者: 月見饅頭
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/80

43 繋いだ手


 金曜日の放課後、図書室で白松さんと並んで本を読んでいた。


「ねえ、桜井くん」


 本から顔を上げた白松さんが、指先で文庫の角をつまんでいる。


「明日、時間ある?」

「ああ、大丈夫だけど」


「よかったら……その……デート、しない?」


 デート。その言葉を、彼女の口から聞いたのは初めてだった。映画に行ったり、一緒に出かけたことは何度かあった。でもそれを「デート」と呼ぶのは、なぜかずっとためらっていた。


「いいね、しよう」


 白松さんはほっと息をついて、ようやく笑った。


「じゃあ、明日の午後1時に、駅前で。大きい時計の下でいい?」

「ああ、わかった」


 返事はしたものの、胸の奥がざわっとした。正式に「デート」として出かける。それは、これまでとは何かが違う。


 家に帰るなり、クローゼットを開けた。


「何着ていけばいいんだ……」


 制服以外の服を引っ張り出して、ベッドに並べる。よく着るTシャツ。少しフォーマルなシャツ。去年買って、ほとんど袖を通していないジャケット。どれも、ぱっとしない。


「明日、何着ていくか決めた?」

 夕食の席で、母さんが何気なく言った。


「え、なんで分かるんだよ」


「さっきからそわそわしてるもの」

 母さんが湯呑みをコトンと置く。


「大事な用事でしょ」

「……友達と出かけるだけだよ」


「ふーん。『友達』ね」


 含みのある言い方だった。母さんのこういうところには、毎回かなわない。


「お母さん、悠人が着れそうな服、いくつか出しておくわね」

「自分で選ぶから、いい」


 夕食後、また部屋に戻って服を広げた。あれこれ当てて鏡を見ること一時間以上、最終的に濃紺のシャツと黒いパンツにした。シンプルだが、くどくない。


 ベッドに寝転がっても、目が冴えていた。映画、何を観るんだっけ。白松さんが選んでくれたアニメーション映画。評判はいいと聞いていたが、まだ観ていなかった。


 スマホが光った。


「明日、楽しみにしてます。おやすみなさい」

 一文を読んで、口の端がゆるむ。


「俺も楽しみだよ。おやすみ」

 返信して目を閉じる。なかなか寝付けなかった。


 翌朝、目が覚めたら6時前だった。


「早すぎる……」

 それでも起き上がって、まず鏡の前に立つ。寝癖がひどい。ごしごし水で押さえて、顔を洗う。


 朝食の間、母さんがにこにこしているのが気になった。


「何?」

「ううん。悠人が楽しそうで嬉しいな、って」


「……普通だよ」

「いい顔してるわよ」


 照れくさくて、返事ができなかった。


 12時になって着替える。鏡の前で三回確認して、髪型をやり直して、もう一回確認した。


「行ってきます」

「いってらっしゃい。楽しんできてね」


 玄関を出ると、秋の乾いた風が頬をすっと撫でた。駅へ向かいながら、何度も時計を見た。12時半。まだ30分もある。それでも足が早くなる。


 待ち合わせ場所の時計台の下に着いたのは12時40分だった。


「早すぎた……」


 深呼吸する。手のひらが、じわっと湿っていた。


 周りを見渡すと、何組かのカップルが声を弾ませている。みんな自然に見える。俺は今、絶対に自然に見えていない。


 そんなことを考えていた時、背後から声がした。


「桜井くん」


 振り返る。


 白松さんが立っていた。淡いベージュのワンピースに、白いカーディガン。髪が少し巻いてあって、ふわりとした印象だった。


「お待たせ……してないよね」


 彼女が少し首をすくめる。


「いや、俺も今来たところ」


 視線が、どこに行けばいいか分からなかった。


「その服、似合ってるよ」


 言ってしまってから、心臓がどきっとした。


 白松さんの頬がほんのり赤くなった。


「ありがとう。桜井くんも、すごく素敵」

 今度は俺が赤くなる番だった。


「じゃあ、行こうか」


「うん」



 並んで歩き始める。バスの中、隣に座った白松さんの存在が、いつもより近く感じられた。ふわっと、彼女のシャンプーの香りがした。


「楽しみだね」

 白松さんが窓の外を向いたまま、小さく言った。


「ああ。評判いいらしいな、この映画」

「うん。友達が観て、すごく良かったって」


 他愛のない話をしているうちに、映画館に着いた。チケットを買って、開演まで少し時間があったのでロビーのベンチに座る。


「何か飲む?」

「あ、じゃあオレンジジュースがいい」


 自動販売機で二つ買って戻ると、白松さんはパンフレットを読んでいた。


「この映画、監督が有名な人なんだって」

「へえ」


 隣に座って、一緒に覗き込む。白松さんの肩が、俺の肩にそっと触れた。


 劇場に入ると、照明がすとんと落ちた。暗闇の中、隣の気配がやけに濃くなる。


 本編が始まると、映像の鮮やかさに目を引かれた。色彩の豊かなアニメーションがスクリーンいっぱいに広がっている。物語は、ある少女の成長を描いたものだった。家族との葛藤、友情、自分自身と向き合う過程が、丁寧に積み重なっていく。


 感動的な場面で、白松さんがそっとハンカチを取り出した。静かに目元を押さえながら、画面を見つめている。


 その横顔を見て、胸がじんわりした。


 ふと、肘掛けの上で白松さんの手が動いた。俺の手の近くに、彼女の指先が置かれている。


 心臓がどくんと跳ねた。手を繋ぐべきか。でも、もし違ったら。

 迷っているうちに、白松さんの小指が俺の小指にかすかに触れた。


 勇気を決めて、そっと手を重ねた。

 彼女の手は少し冷たくて、でも柔らかかった。ぎゅっと握り返してくれた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 映画は続いていたが、正直ほとんど入ってこなかった。繋いだ手の感触に、意識が全部持っていかれていた。

 白松さんも同じだったのか、手を握る力がときどき強くなったり、ゆるんだりした。


 照明がついて、慌てて手を離す。白松さんの頬が赤かった。


「面白かったね」

「ああ、すごく良かった」


 手のひらに、まだ彼女の温もりが残っていた。



 劇場を出て、近くのカフェに入った。窓際の席に向かい合わせで座って、メニューを眺める。


「私、カフェラテにする」

「俺は、アイスコーヒーで」


 注文して、改めて正面に座る白松さんを見た。また照れくさくなった。


「映画、どうだった?」

「うん、良かった。ラストシーン、特に」


「私も。あの場面、すごく泣けちゃった」


 彼女が少し恥ずかしそうに笑う。


「でも……」

「でも?」


「桜井くんのことばかり考えてた」


 危うく水を噴き出すところだった。


「え?」

「だって、隣に桜井くんがいるって思ったら、集中できなくて」


 顔を赤くしながらも、まっすぐ言った。


「……俺も、実は同じだった」


 白松さんはほっとしたように笑った。


「良かった。私だけじゃなくて」


 二人で笑った。窓の外で日が傾いていた。



 カフェを出て、近くの書店に寄った。白松さんが「ちょっと見たい本があって」と言ったからだ。

 書店に入ると、本の匂いがした。白松さんは迷いなく文芸書のコーナーへ向かった。


「あった、これ」


 手に取ったのは、村上春樹の『海辺のカフカ』だった。


「カオルさんが好きだって言ってた本。私も読みたくて」

「そうなんだ」


「それとね……」


 白松さんが一度口をつぐんだ。


「桜井くんにも、プレゼントしたい本があるの」

「え?」


「待ってて」


 彼女が棚の間を歩き回る。しばらくして戻ってきた時、手に詩集を持っていた。


「この詩、すごく優しいの。桜井くんに読んでほしいなって」


 受け取ると、薄くて軽かった。でも、なんだか重みのある気がした。


「ありがとう。大切に読むよ」



 書店を出ると、もう夕方近かった。空がうっすらと茜色に染まっている。


「もうこんな時間か」

「うん。楽しい時間って、あっという間だね」


 駅まで並んで歩く。途中、白松さんがそっと俺の手を握ってきた。今度は迷わずに握り返した。

 改札の前で立ち止まる。


「今日、すごく楽しかった」

「俺も。また二人で出かけよう」


「うん」


 白松さんが少し迷うような顔をした。


「あのね……」

「ん?」


「次は、私の家に来ない?」

 心臓がどきっとした。


「家に……?」

「うん。両親にも、桜井くんのこと話したくて」


 彼女がわずかに緊張した声で続けた。


「お父さんもお母さんも、会いたがってるの。大切な人だって、話してるから」


 大切な人。その言葉が、胸にゆっくり沈んでいった。


「いいのか? 俺なんかが行っても」

「いいのって、何言ってるの」


 白松さんが首を振る。


「桜井くんに来てほしいの。私の家族に、会ってほしいから」


 まっすぐな眼差しだった。


「わかった。ぜひ、行かせてもらうよ」


 白松さんが、ほっと息をついた。


「ありがとう。じゃあ、日にち決めようね」

「ああ」


 改札を通った白松さんが、ホームへ続く階段を上っていく。その背中が見えなくなるまで、俺はそこに立っていた。


 帰りの電車の中で、メッセージが届いた。


「今日は本当に楽しかったです。次は、もっとたくさんお話ししたいな」


 思わず笑った。窓の外、夕暮れの街がオレンジ色に染まっていた。


「俺も楽しかった。次も楽しみにしてるよ」



 部屋に戻って、詩集を手に取った。最初のページを開くと、白松さんの字で一文が書かれていた。


「桜井くんへ。この詩集を読むたびに、今日のことを思い出してください。白松百合子」


 ベッドに横になって、詩集をゆっくり読み始めた。詩の言葉が、静かにしみこんでくる。途中で目を閉じると、今日の白松さんがぶつぶつ浮かんできた。ワンピース姿。映画館でそっとハンカチを当てた横顔。書店で本を選ぶ真剣な目。


「彼女の家か……」


 小さく呟いて、天井を見た。緊張はある。でも、それより楽しみな気持ちのほうが強かった。


 窓の外で、秋の風がさわさわと木の葉を揺らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。