図書室
朝の通学路で、ふと前を歩く白松百合子の姿を見つけた。
青空の下、長い髪が風に揺れる。その後ろ姿はどこか儚げで、自然と目が奪われる。
「おはよう、桜井くん」
振り向いた彼女が微笑む瞬間、俺は息を飲んだ。
「お、おはよう」
返事をする声が少し震えていたのは、きっと俺だけが感じていたことじゃない。
どうやら彼女と同じタイミングで登校するのは初めてらしい。そんな偶然が、少しだけ嬉しかった。
「昨日……大丈夫だった?」
彼女の唐突な言葉に、一瞬、心臓が跳ねた。
「えっ?」
動揺を隠せない。まさか、昨日の竹中たちとの一件を見られていたのか?
「なんだか疲れた顔してるみたいだったから……」
彼女は心配そうに俺の顔を覗き込む。
「いや、ちょっと寝不足でさ。ははは」
とっさに笑顔を作ってごまかしたけれど、内心は穏やかじゃなかった。彼女がどこまで知っているのか、分からない。この顔の傷のことにだけは触れないでほしい——そう思っていた。
授業が始まったが、教科書を開いても全然集中できない。火傷のヒリヒリとした痛みも気になるけど、それ以上に気になっているのは、今朝の白松さんの様子だ。
彼女は俺のことを心配してくれていた。それが嬉しい反面、昨日の情けない自分を見られていないか——そんな不安が頭をよぎる。
放課後、チャイムが鳴るとすぐに白松さんの姿を探した。
「白松さん、どこ行ったんだ……」
でも、彼女はすぐに誰かと帰ってしまったらしく見つからなかった。俺は仕方なく校門を出ると、そこには鈴木が立っていた。
「お前、今日元気ないけど大丈夫か?」
鈴木がいつもの軽い調子ではなく、真顔で俺を見つめてくる。
「大丈夫だよ、なんでもない」
軽く流そうとしたけど、鈴木は俺の頬の絆創膏を指差して言う。
「嘘つけよ。火傷してるじゃん」
「これ? 昨日バイト中にちょっとやっちゃってさ」
「そっか……。けど、まあ無理すんなよ」
鈴木はそれ以上追及しなかったけど、目の奥に何かを察したような色が見えた。
「そうだ、明日の昼休み、図書室へ行くといいことあるぞ……多分な」
そう言い残して、鈴木は片手を振りながら帰っていった。
「いいことってなんだよ……」
翌日の昼休み、鈴木の言葉が気になって俺は図書室へ向かった。
扉を開けて中に入ると、目に飛び込んできたのは高い本棚に手を伸ばす白松さんの姿だった。
「図書室、よく来るの?」
思わず声をかけると、彼女は少し驚いた表情で振り返った。
「うん……本、好きだから」
彼女は小さく笑った。その笑顔にホッとしながら、俺は続けた。
「どんな本読むの?」
「いろいろだけど……詩とか、青春ものが多いかな」
「青春ねぇ……俺には縁遠いなぁ」
苦笑いしながら答えると、彼女は首を傾げた。
「そんなことないと思うけど。桜井くん、いろんなことに一生懸命じゃない?」
その言葉に、胸が少しざわついた。
「俺が……一生懸命?」
自分ではそんな風に思ったことなんてなかった。けれど、彼女の言葉はどこか温かかった。
ふと、彼女の手にしている本のタイトルが目に入った。
「風の行方」——そんな名前の本だった。
彼女はその本を少しだけ隠すように持ちながら、微笑みを浮かべていた。
「白松さん、もしかして……何か悩み事とかある?」
俺がそう尋ねると、彼女は一瞬驚いたような顔をして、それから小さく微笑んだ。
「ううん、何もないよ。……悩んでるように見える?」
「いや、なんとなく。その本のタイトルが、何か意味がありそうで」
彼女の笑顔はどこかぎこちなくて、切なさがにじんでいるように感じた。でも、それ以上聞くことができなかった。
「行くね、お昼休み終わっちゃう」
そう言って、彼女は本を抱えながら図書室を出て行った。
白松さんのどこかミステリアスなところに、俺はどんどん惹かれていった。
彼女が抱えている何かを知りたい——そんな思いが強くなる。
でも、それはまだ俺が踏み込んではいけない領域なのかもしれない。




