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待つ力 

 

 開放病棟での生活にも、だいぶ慣れてきた。


 閉鎖病棟にいた頃よりも自由が増え、決められた時間内なら病院の敷地を散歩することも許されるようになった。


 それでも、社会との距離はまだ遠く感じる。

 学校へ戻る日、友人たちと再び笑い合える日――そんな未来を思い浮かべるたび、胸がざわついた。


 そして何より、『白松さんに会える日』


 その日が来ることを楽しみにしているはずなのに、どこかで怖さも感じていた。


 俺はちゃんと前に進めているのか?

 会ったとき、平気な顔でいられるのか?

 また無理をして、「大丈夫」なんて嘘をついてしまうんじゃないか?


 そんな不安を抱えながらも、俺はリハビリの日々を続けていた。


 ある日の午後、病棟の中庭でぼんやりとベンチに座っていると、鈴木からメッセージが届いた。



 鈴木「お前、ちゃんと飯食ってんのか?」



 相変わらずの短い文章に、思わず笑ってしまう。



 俺 「ちゃんと食ってるよ。お前は?」


 鈴木「俺は食いすぎてヤバい。宮田に怒られた」


 俺 「相変わらずだな」


 鈴木「お前もな」



 そんな何気ないやり取りが、今の俺にはありがたかった。


 少しずつ、元の自分を取り戻せているのかもしれない。



 翌日、講堂へ足を運ぶと、カオルがピアノの前に座っていた。


 鍵盤に指を置いたまま、じっと窓の外を見つめている。



「弾かないのか?」



 俺が声をかけると、カオルは振り返り、小さく笑った。



「考え事してた」



「何を?」



「桜井くんのこと」



 その言葉に、一瞬動きが止まる。



「……俺の?」



 カオルは頷いた。



「うん。最近、ちょっと表情が変わったなって思ってた」



「変わった?」



「前より、少しだけ前を向いてる感じがする」



 彼女はそう言って、軽く鍵盤を叩いた。


 柔らかい音が講堂に響く。



「白松さんに会えるの、楽しみ?」



 唐突な質問に、言葉が詰まった。



「……楽しみ、だけど」



「だけど?」



「ちょっと怖い」



 俺は正直に答えた。



「久しぶりに会って、どう接していいのか分からない。無理はしないって決めてるけど……それでも、白松さんの前ではまた強がっちゃいそうな気がする」



 カオルはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。



「桜井くん、待つのって得意?」



「待つ?」



「うん。誰かを待つこと、自分の気持ちが届くのを待つこと……そういうの」



 俺は考えたこともなかった。



「……どっちかっていうと苦手かも」



「だろうね」



 カオルは微笑む。



「桜井くんは、ずっと頑張ってきた人だから。頑張れば何かが変わるって思ってたんじゃない?」



 その言葉に、息をのんだ。


 図星だった。


 俺はずっと、努力すれば報われる、行動しなければ何も変わらないと思っていた。

 でも、今は――



「待つことも、大事なのかもな」



 カオルは静かに頷いた。



「うん。無理しないで、自分のペースで進むことも大切だよ」



 彼女の言葉が、心にゆっくりと染み込んでいく。



「白松さんも、きっと桜井くんが焦らずに戻ってくるのを待ってると思うよ」



「……そうかな」



「そうだよ。だから、焦らなくていいんだって」


 そう言って、カオルはまたピアノを弾き始めた。


 今度の曲は、どこか優しく、春の終わりを告げるようなメロディだった。




 その夜、ベッドに横になりながら、カオルの言葉を思い返していた。


 俺は、白松さんに会う日を待っている。

 でも、それは今すぐじゃなくてもいい。



 自分のペースで、一歩ずつ前へ。



 『待つ力』――それを学ぶことが、今の俺に必要なことなのかもしれない。


 白松さんに会える日まで、俺は焦らず、もう少しだけここで過ごしてみよう。


 そう思いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。




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