32 面会翌日
面会の翌日、俺は講堂のソファに腰を下ろしていた。
鈴木と宮田が来てくれたことで、心の中の重みが少しだけ和らいだ気がした。
でも、それと同時に、胸に引っかかるものがあった。
――――白松さんが来なかったこと。
いや、正確には、来なかった理由だった。
「俺が白松さんに会ったら、きっと無理をする」
鈴木も宮田も、それを分かっていたから、あえて彼女を連れてこなかった。
その気遣いには感謝しているし、二人の判断が正しいことも分かっている。
……それでも、やっぱり会いたかった。
「何考えてるの?」
不意に聞こえた声に、俺は顔を上げた。
そこには、カオルが立っていた。
「……いや、別に」
視線をそらしながらそう答えると、カオルは少しだけ首をかしげた。
「何か悩んでる顔してたよ。講堂まで来るくらいだし、気分転換したいんじゃない?」
彼女は俺の隣に座ると、何も言わない俺を見つめたまま、静かに言った。
「面会があったんでしょ? 昨日、誰か来てたみたいだし」
カオルの観察力には、いつも驚かされる。
俺が閉じ込めておきたいと思っていることほど、彼女には簡単に見透かされてしまう気がする。
「クラスメイトが来た」
それ以上、話すつもりはなかった。
でも――――
「……で、会いたい人には会えなかったんだね」
彼女のその一言が、まるで胸の奥に針を刺すように響いた。
「……どうして分かるんだよ」
俺の問いに、カオルは微笑んだ。
「私も同じだから」
彼女は膝を抱え、窓の外に視線を移した。
「私の場合、母親のことだけど……会いたいなんて思ったことはない。でも、最初の頃は、なんで自分だけがこんな場所にいるのか、すごく苦しくて仕方なかった」
彼女の声はどこか震えていた。
「でもね、ある時気づいたんだ。……会えないのがたぶん、お互いのためなんだって」
彼女の言葉を聞いて、鈴木や宮田の配慮を改めて思い出した。
「……そうかもな」
俺は小さく頷いた。
「俺も、白松さんに会ったら、たぶん無理しちまうんだろうな。平気なふりして、『大丈夫』とか言ってさ」
カオルはじっと俺を見つめ、小さく笑った。
「桜井くんって、きっとそういう人だよね。でも、それって悪いことじゃないと思う。ただ……今は、少し休む時期なんじゃない?」
その言葉に、肩の力が少し抜けた気がした。
しばらくの沈黙が続いたあと、カオルがぽつりと呟いた。
「会いたい人がいるって、いいことだよね」
「カオル……?」
彼女は苦笑いしながら続けた。
「私には、そういう人がもういないから。だから、桜井くんが羨ましいなって思っただけ」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
「でもさ、だからこそ、ちゃんと元気になって会いに行ってほしい。無理しないで、自分らしくいられる状態でね」
カオルの声は穏やかで、でもどこか切ない響きがあった。
「……ああ、分かったよ」
俺はそれだけ答えた。
ふと、カオルが立ち上がり、講堂の隅に置かれたピアノの前に座った。
「ちょっと弾いてもいい?」
「もちろん」
彼女が奏でるメロディは、静かでどこか懐かしい響きがした。
彼女の指が鍵盤を滑るたびに、心の中のわだかまりが少しずつ解けていくようだった。
曲が終わると、カオルは振り返り、俺に微笑みかけた。
「どうだった?」
「悪くない。……いや、すごくよかったよ」
カオルは嬉しそうに笑ったあと、真剣な目で俺を見つめた。
「桜井くん、元気になって、ちゃんと白松さんに気持ちを伝えなよ」
その言葉に、俺は少し驚きながらも頷いた。
「……ああ、そうだな」
頷きながら、なぜかカオルの笑顔が少し儚く見えた。背中を押してくれているのに、その声のどこかに、置いていかれるような色があった気がした。
気のせいかもしれない。でも、気のせいだと言い切れなかった。
その夜、病室で目を閉じた。
カオルの言葉が頭の中で繰り返されていた。
――――無理しなくていい状態で会いに行く。
それが今の俺の目標だ。焦ることはない。ここで、ちゃんと回復して、自分らしくいられる状態で、外に出る。
白松さんにまた会える日まで、少しずつ前に進んでいく。
窓から、春の終わりの風が入ってきた。カーテンがそっと揺れた。
その風の温度が、今日初めて、夏に近いと感じた。




