22 勉強会
放課後、教室でテスト勉強の話になったとき、宮田が言い出した。
「鈴木くん、どうせ勉強してないんでしょ?」
「うぐっ……いや、一応、気持ちはあるんだよ?」
鈴木がへらへら笑いながら答えるが、宮田の目は鋭い。
「じゃあ、私の家で勉強会しましょ。みんなでやれば少しは進むでしょ?」
「えっ、宮田んち?」
鈴木が目を丸くする。俺も少し驚いたが、宮田はきっぱり頷いた。
「桜井くん、あなたも手伝ってよね。どうせ家でサボるでしょ?」
「おい、俺まで巻き込むなよ」
俺が苦笑いしていると、白松さんが控えめに口を開いた。
「あの、私も行っていいかな?」
「もちろん! ゆりも来てくれるなら心強いわ」
宮田が笑顔で答えると、白松さんは安心したように頷いた。こうして俺たち4人で宮田の家で勉強会をすることになった。
土曜日の午後、俺たちは宮田の家に集合した。白い壁の外観に小さな花壇があり、手入れが行き届いていて整然としている。
「お邪魔しまーす」
靴を脱ぎながら鈴木がキョロキョロと家の中を見回す。
「へえ、意外と広いんだな」
「失礼ね。意外って何よ」
宮田がやれやれと呆れた顔をしながら俺たちをリビングへ案内する。
「相変わらずきれいね」
白松さんが部屋を見渡して感心した声を漏らすと、宮田が少し照れたように笑った。
「勉強会なんだから、気にしないで座ってて」
俺たちはそれぞれ席に着き、早速テキストを広げた。宮田が指示を出し始める。
「じゃあ、まず数学から始めるわよ。鈴木くん、どこが分からないの?」
「えっと……全部?」
鈴木の言葉に宮田がため息をつくと、白松さんが優しくフォローする。
「じゃあ、基礎のところから確認してみようか。ここなら、ゆっくり一緒に考えられると思うよ」
「お、白松さん優しい! 俺、頑張るわ!」
鈴木がそんなことを言い出し、宮田は「さっさと始めなさい」と突っ込む。
最初のうちは全員真面目に取り組んでいたが、案の定、鈴木の集中力は長続きしなかった。
「なあ桜井、この問題わかるか?」
鈴木が俺に寄ってくる。
「それ、さっき宮田が教えたやつだろ?」
「いや、覚えてない……」
「もう!」
宮田が怒った声を上げるが、鈴木は「まあまあ」と軽く流している。
白松さんはそんなやり取りを笑いながら見ていたが、ふと紅茶のカップを片付けようと立ち上がった。
「ちょっとお茶を淹れてくるね。少し休憩してもいいかも」
休憩タイム、白松さんが用意してくれた紅茶とクッキーを手に、俺たちはリラックスした雰囲気で雑談を始めた。
「宮田さんって、意外と家庭的だよな。こういうの手作りなんだろ?」
鈴木がクッキーを頬張りながら言うと、宮田が少し照れたように答えた。
「お母さんが作ったのよ。私は全然……」
「いやいや、十分すげえって!」
「でも、白松さんもこういうの似合いそうだよね」
俺が何気なく言うと、白松さんは「えっ?」と顔を赤くしてうつむいた。
「お、桜井、ナイスフォロー! 白松さんがいると癒されるよなー」
「それで勉強が進むならいいけどな」
俺が突っ込むと、みんなが笑った。
勉強に戻った後も、鈴木の暴走は止まらない。
「なあ、桜井。この問題、解けたら俺、今日中に宿題全部終わらせる!」
「ほんとかよ。じゃあ、解いてみろ」
「……無理だわ」
「お前さ……」
俺が頭を抱えると、宮田が「ちょっと黙って集中して!」と本気で怒り出す。
勉強会が終わる頃には、俺たちは思った以上に問題をこなしていた。
「いやー、意外と進んだな!」
鈴木が満足そうに伸びをしながら言う。
「それは、宮田さんと白松さんのおかげだろ」
俺がそう言うと、鈴木は「まあ、確かにな」と頷いた。
宮田の家を出たのは、夕方6時を少し過ぎた頃だった。
「またみんなで勉強しようね」という白松さんの言葉が、まだ耳に残っていた。
駅へ向かいながら、俺は スマホで時間を確認した。バイトまで40分。着替えて移動すれば、ちょうどいい。温かい時間の余韻が、まだ体の中にあった。でも足は、もう次の場所へ向かっていた。
バーガーショップに着くと、土曜の夜らしく店内は混んでいた。カウンターの中に入った瞬間、先輩のスタッフが「助かった、人手足りなくて」と言った。俺は「はい」と答えて、エプロンを結んだ。
最初のうちは、普通にこなせていた。
そのとき、客が吸っていた煙草の匂いを嗅いだ瞬間、嫌な記憶が蘇って手が頬に伸びた。それでもバイト中だ。手を動かす。注文を受けて、端末に打ち込んで、次の客へ。
「すみません、このセット、ポテトをLサイズに変更してたんですけど」
客の声に、俺は端末の画面を見た。Mサイズのままだった。
「申し訳ございません。すぐに作り直します」
謝りながら、厨房に声をかけた。大した失敗じゃない。でも、続いた。
しばらくして、グループ客が来た。10人近い注文だった。バーガーの種類、サイズ、トッピングの有無。端末に打ち込みながら、頭が追いつかなくなっていくのがわかった。
「これ、ナゲットが入ってないんですけど」
トレーを受け取った客が言った。確認すると、たしかに抜けていた。ナゲット2つと、ドリンクのサイズも1つ違っていた。
「大変申し訳ございません。すぐにお持ちします」
「さっきから待ってるんですけど。子ども連れで来てるのに」
客の声が、少し大きくなった。周りの視線が集まる気配がした。
「本当に申し訳ございません」
頭を下げながら、耳の奥が熱くなった。恥ずかしいのか、焦っているのか、自分でもよくわからなかった。
足りない分を揃えて、もう一度謝って、客が席に戻っていくのを見送った。背中に視線を感じた。
「桜井くん、ちょっといい?」
店長に呼ばれた。カウンターの端に移動する。
「今日、ミス多いね。体調悪い?」
「いえ……すみません」
「謝らなくていいから、原因を教えてほしいんだよね。このままだと他のスタッフにも迷惑かかるし」
「疲れてました。気をつけます」
店長は少し間を置いてから「今日は早めに上がっていいよ」と言った。
「でも、シフトが――――」
「いいから。無理して続けてミスされる方が困るんで」
優しい声だった。だからこそ、余計に堪えた。
エプロンを外しながら、さっきの客の顔が頭に浮かんだ。子ども連れで来てたのに、という言葉も。ミスをしたこと自体より、それを指摘された瞬間の自分の顔が、どんな顔をしていたか気になった。
店を出ると、夜の空気が冷たかった。
勉強会のあの温かさが、もうずいぶん遠い気がした。
スマホを見ると、白松さんから「今日ありがとう、楽しかったね」とメッセージが来ていた。
返信を打つ気になれなかった。画面を消して、ポケットに入れた。
俺はただ、駅へ向かって歩いた。




