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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第一章

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02 一歩ずつ


 白松さんとの距離が少しずつ縮まってきた5月の終わり。


「桜井くん、ちょっといい?」


 授業の合間に、白松さんが俺の席までやってきた。まっすぐに見つめる瞳に、思わず言葉が詰まる。


「な、何?」

「数学のプリント、解説してもらえないかな」


 彼女がそう言って差し出したのは、昨日配られた応用問題のプリント。先週の試験で俺は珍しく彼女より2点だけ高かったのだ。


「あ、いいよ。でも、俺より白松さんの方が出来るでしょ、普通」

「この単元だけは苦手で………」


 微かに頬を染める白松さんの姿に、心臓が高鳴った。


 放課後の図書室。隣に座る白松さんの肩がときどき触れる。シャンプーの香りが漂ってくるせいで、問題の説明に集中できない。


「ここは、この公式を応用して……」


 説明しながら、俺は彼女の横顔をちらりと見た。長いまつげ、真剣な眼差し。プリントに向けられたその視線は、学ぶことへの純粋な熱意に満ちていた。


「そうか、そういう考え方があったんだ」


 彼女が理解したときの微笑みは、この世の何よりも眩しかった。


「桜井、いつも白松さんと話してるな」


 翌日の昼休み、鈴木が俺の弁当箱を覗き込みながら言った。


「ま、まあ、ちょっと」

「羨ましいぜ。白松さん、美人だし頭いいし。でもなんか近寄りがたい雰囲気あるよな」


「そうかな……?」


 俺にとって彼女は、遠い存在のはずなのに、なぜか自然と話せる相手だった。


「ところでさ」鈴木が声を潜めた。「バイト、一緒にやらないか?」


「バイト?」

「俺、この前バーガーショップ始めたんだよ。結構楽しいぜ」


 俺は少し考えた。今まで勉強だけに集中してきたけど、高校生活を充実させるならバイトも悪くない。それに、白松さんに何か奢れるくらいの小遣いがあったら……。


「いいな、紹介してくれよ」

「マジで? よっしゃ!」


 鈴木は満面の笑みを浮かべた。



 バイトの面接が決まった土曜日。


「今日は何時に行くの?」という母親の問いに、「10時から」と答えて家を出た。


 朝の空気は清々しく、何か新しいことが始まる予感がした。

 商店街を抜け、大通りを歩いていると、ふと視界に白松さんらしき人影が映った。ワンピース姿で歩いている。


 心臓がドキリとした。手を振ろうか迷った瞬間、彼女はショッピングモールに入っていった。追いかけるべきか一瞬考えたが、面接に遅れるわけにはいかない。


「次に会えるのは学校か………」

 少し名残惜しい気持ちで足を進めた。


 バーガーショップの面接はあっさり終わった。


「では来週から、よろしくお願いします」

 店長と握手を交わし、俺の初めてのバイト生活が決まった。


「よっし!」


 店を出た後、思わず小さくガッツポーズ。これで白松さんに胸を張って「バイト始めたんだ」と言える。

 帰り道、コンビニに寄って冷たいジュースを買った。充実感と少しの興奮で喉が渇いていた。


 窓外を見ながらジュースを飲んでいると、中学時代の記憶がよみがえってきた。あの頃の自分は、何も考えていなかった。ただ流されるまま、狭い世界に閉じこもっていた。


「今は違う」


 自分の声に少し驚いた。確かに今の俺は変わりつつある。勉強に励み、バイトを始め、新しい友人ができ、そして……恋をしている。

 それは、閉ざされた世界から一歩踏み出した証だった。


 初めてのバイト当日。


「よろしく頼むぜ、桜井!」

 鈴木が俺の背中を叩いた。


「お前より早く一人前になってやるよ」

「へっ、100年早いな!」


 笑い合いながら、俺たちは制服に着替えた。


 最初の仕事はレジ打ちの見学。ベテランのバイトの女性が手際よくオーダーを受け、レシートを渡していく様子に見入った。


「次はあなたやってみて」


 緊張しながらレジに立つ。初めての客は年配の女性だった。


「いらっしゃいませ」

 震える声で挨拶し、注文を聞く。パネルを操作する指が汗ばむ。


「あの、もう一度お願いします」

 聞き取れなかった注文を恥ずかしながら聞き直す。客は優しく微笑んで繰り返してくれた。


 なんとか無事に会計を済ませ、ほっと息をついた。


「初めてにしては上出来だよ」


 先輩バイトの言葉に、少し誇らしい気持ちになった。

 バイト初日の帰り道、夕暮れの空が赤く染まっていた。


「疲れたー!」


 鈴木と一緒に帰りながら、今日あった出来事について話した。


「最初のお客さん、ちゃんと対応できたか?」

「なんとかな。緊張したけど」


「俺なんか初日、お釣り間違えて大目玉だったぜ」

「マジかよ」


 そんな日々が続いた。

 すべてが少しずつ、だが確実に変わっていく。


「桜井、今日も閉店まで?」

「ああ、木曜日はいつも最後まで入ってるんだ」


 バイトを始めて一ヶ月が過ぎた頃、俺と鈴木は店内の常連になっていた。

 週に三日、放課後から夜まで働く生活。疲れはするけれど、それ以上に充実感があった。


「よーし、今日も頑張るぞ!」


 エプロンを締め直して、俺は笑顔でレジに向かった。

 この生活も、あと一ヶ月経てば、もっと慣れるんだろうな。


 そんな風に思っていたある日のこと。

 バイト帰りに、運命は思いがけない形で俺の前に現れた。



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