第44話 これはシナリオなのです
ジョエル様の深い溜め息に、ミリアムはキョトーンと目を丸くします。これは恐らく、予想外の反応に驚いているのだと思います。ご挨拶をしたのに相応の返答がなかったから、というのもあるでしょうけれど……私の目には男性から冷たくあしらわれたことがないから状況が飲み込めない、と見えてしまいました。ちょっと偏見が過ぎるかしら。
「聞こえなかったか? 俺は挨拶を求めたわけではない。なんと言ったのかと聞いたんだ」
「お姉さまのことを心配していたと……」
「その前だ。『アリーチェが粗野な男たちに連れ去られた』と聞こえたが」
目だけで周囲を窺うと、ギャラリーは盗み聞きを隠すどころか私たちを囲んで一部始終を見逃すまいとしていました。
ひそひそと聞こえてくる声の多くは、冷淡なジョエル様の様子にむしろホッとしているご様子。ジョエル様って、普段どれだけ怖いお顔で過ごしていらっしゃるのか……。
気を取り直したミリアムが何度も頷いて胸に手をやり、善良な妹を演じます。
「ええそうですわ。だからあたくし、生きた心地がしなくて。お姉さまの身に何かあったらって」
「なぜそれを知っているんだ?」
「え?」
言葉を失うミリアムから視線を上げ、ジョエル様はぐるりと会場を見渡しました。
「アリーチェの名誉のために言っておく。彼女は確かに賊の手によって一時的に身柄を拘束されたが……ファウスト術士であるロヴァッティ卿による防御魔法とファビオ王子殿下の的確な差配により、速やかかつ無傷のうちに銀竜騎士団が救出した。かすり傷ひとつ負っていないことは、王宮侍医が証明している」
本当は防御魔法をくださったのも救出に駆けつけてくださったのもジョエル様ですけど。ここは権威によって私の名誉を守ろうとしてくれているのだと思います。
ジョエル様が再びミリアムに鋭い視線を投げかけました。
「だが、拉致の事実を知っているのはごく一部の限られた者のみだ。マリーノ伯爵に対してでさえ『行方不明』と伝えてあった」
「それは……」
「どこから情報が漏れたのか確認する必要がある。あとで話を――」
ジョエル様の言葉は一斉にざわつきだした周囲の人の声によってかき消されました。人垣が割れて、なにやらキラキラした人たちが近づいて来ます。
それはファビオ王子殿下とその婚約者である公爵令嬢キアラ様でした。おふたりともキラッキラのブロンドなので眩しいくらい輝いて見えます。
「周りにだーれもいないから陛下が拗ねちゃってさぁー。何やってんのか見て来いって。あれ、お取込み中?」
「アリーチェを襲った例の件で、ミリアム・マリーノ伯爵令嬢が何か情報をお持ちのようです」
ファビオ殿下はちらっとミリアムに視線を投げましたが、すぐにこちらへ向き直りました。
「ふぅん。じゃあ後で誰か人をやって話聞かせてもらって。それよりさー、アリーチェ嬢を紹介しろってキアラがそれはもううるさくて」
「まぁ殿下! それは内緒にしてくださいって申し上げましたのに」
なんかすごい……。ファビオ殿下が現れた途端ミリアムがまるで脇役に、いいえ、空気のようになってしまいました。この目で見たことはないのですけど本や話に聞く舞台照明、スポットライトというものがあるのなら、今は確実にファビオ殿下と彼を囲む小さな範囲だけを照らし出していると思います。
「先ほどは素敵なデビューだったわ、アリーチェ様。先日のことも簡単にお聞きしたけれど、フォンタナ公爵様がひどく取り乱していらしたとか」
「えっえっ、いえ、え、そう、でしたか」
キアラ様がにっこりと笑いながら話しかけてくださいました。わ、わ、精霊様みたいに綺麗!
「キアラ嬢も人が悪いな。俺のイメージが損なわれてしまう」
「ジョエルは少しくらいイメージ壊したほうがいいと思うけどね?」
ファビオ殿下の言葉に私とキアラ様が目を合わせて笑い合いました。
それから周囲にいた殿方たちは殿下やジョエル様を、ご令嬢たちはキアラ様と私を囲んで歓談を楽しみます。
社交におけるルールやマナーというものは、私はまだまだお勉強中なのですけれど……。お喋りをするのも高位の方が話しかけてくださってから、という決まりがあります。
ファビオ殿下とキアラ様がいらっしゃってどうなったかと言うと、一瞬にして私が社交界に受け入れられた、ということです。噂が独り歩きしていたせいか、ずっと冷ややかな目で見られていたように思うのです。でも今は誰もが私に笑顔を向けてくれる。
きっとここまで計算した上で話しかけてくださったのだと思います。ありがたいやら恐れ多いやら、これから毎晩お城に向かって感謝のお祈りをしなくては!
一方でミリアムは……ファビオ殿下からもキアラ様からも声がかからず、人々の輪から弾かれてしまっています。そもそも、先ほどのジョエル様の言葉が疑惑となって皆さんの心に引っかかっているのでしょう。
一部の限られた人間または犯人でなければ知り得ない情報を、ミリアムがなぜ知っていたのか、もしかしてと。
だから上手に誤魔化せばよかったのに。そして、この後も上手くやればいいのですけど。
私たちの描いたシナリオはこれで終わりではありませんから。
この場で起こした騒動は、あくまで私の社交界における立場を改善するためのものです。キアラ様が手を貸してくださるのは予想外でしたけど。
このままではいけないと思ったミリアムは、きっと短絡的な行動に出るはずです。その時に――
「わたくし、本当にアリーチェ様とお話ししてみたかったのよ? ねぇ、今度お茶にご招待してもいいかしら!」
「はい、よろこんで!」
やっぱりキアラ様は精霊様だと思います!