第29話 謝罪がしたいのだそうです
盗み聞き事件から1週間が経ちました。あれから3度、付与術の授業が行われたのですが、少しペースが早くなったように感じるのは気のせいでしょうか。
ロヴァッティ伯爵が忘れていったペン、私はどこかで落としてしまったようなのですが、何事もなく伯爵が使っていらしたので一安心です。
ジョエル様とはなんとなくギクシャクしているように感じるのですが、そもそもすごく仲良しだったわけでもありませんし、今までと変わりないようにも思います。多分、私がひとりで不安になっているだけでしょう。
それに相も変わらずご多忙のようで、お食事を一緒にとることもほとんどありません。たまにお会いすると、ひどい顔色をしてらして驚いてしまいます。と同時に、早く付与術をマスターしなくちゃって思って胸が締め付けられたり。
「はぁぁあ」
もう何度目になるかわからない溜め息が出ました。
今日も今日とてジョエル様はお仕事で外出です。屋敷のお花のお世話をしつつ気分転換を、と思っているのですが……。
き……きゃあああああ!
どうしましょう! 切り過ぎた! ボヤっとしながらお花の茎を切り揃えていたせいで、ちんまりしたお花がたくさん生まれてしまいました……。なんてこと!
この高さのお花ではテーブルフラワーにするべきなのですけど、飾れる場所など限られているというかもう飾ってあるというか……。
とりあえず花瓶をと階段をのぼりながら、いつかの書斎での出来事を思い出しました。
あの日見たジョエル様に吸い込まれていく白い光は、もしかしたら封印から漏れた彼の記憶や感情かもしれません。その封印を壊してしまえたら、だなんて身勝手な思いを胸の奥の奥に押さえつけて、一段一段のぼっていきます。
どれだけ手前勝手な欲を抱いても、あの書斎はきっとしっかり施錠してあることでしょう。それが私とジョエル様とを隔てる扉なのだと思います。
代わりに開けてくれたのは、彼の執務室……。
「あ。ジョエル様のお部屋にお花を置いてもいいかしら。鍵の開いているところならどこでも飾っていいって言われたし……いいことにしちゃおう!」
お花はその姿と香りで心を癒してくれますから。少しでもジョエル様の疲れを癒せたらいいのですが。
きっちりと整頓されたジョエル様の執務室へお花を飾り、後片付けに戻る途中でマッテオに呼び止められました。手には銀のトレイ、その上には封筒がひとつ載っています。
「アリーチェ様、マリーノ伯爵家より書状が。お部屋に置いておきましょうか」
「いま預かります、ありがとう。……この字はミリアムだわ」
行儀が悪いことは百も承知で、その場で開封してしまいました。だって婚約に関わる話かもしれないと思ったら、部屋に戻る時間さえもったいない気がして。
ところが予想に反して、その手紙は謝罪から始まっていました。フォンタナ公爵家へ押しかけて無礼を働いたことについて、丁寧な言葉で謝っているのです。
「こないだのこと、侍従の皆さまにも申し訳ないですって。ミリアムがまさか皆に謝るだなんて意外だわ。知らないうちにあの子も大人になってたのね」
「さようでございますか」
ホッホと笑うマッテオの横で、さらに手紙を読み進めます。
未来の公爵夫人との間に、いかなる確執も残してはならないとお父様がミリアムを叱ったのだとか。必ず直接謝罪をするようにと言われたので、お会いしましょうと続きます。
謝罪だけでなく、公爵家での暮らしぶりなども落ち着いて聞かせてほしい、だなんてまるで仲の良い姉妹のようなお誘いでした。にわかには信じられなくて二度三度と繰り返して読み直しましたが、やはりお喋りしましょうと言っているようです。
公爵家との間に波風を立てたくないというのは、お父様らしい言葉だと思います。今後の家同士の付き合いを考慮して、姉妹の関係性を向上すべきだと説得されたのかもしれませんね。
読み終えて、どうしたものかと考えながらマッテオを仰ぎました。
「妹から、お気に入りのドルチェリアがあるので一緒にお茶をしないか、というお話なのだけど……それは社交に含まれる?」
「そうですね、ご家族とお会いになるのはなんの問題もございませんが、外出を伴うようでしたら旦那様に確認したほうがよろしいでしょう」
「そう、ですよね」
お外に出るときには護衛もつけてくださいますし、彼らの予定を調整する必要があるはずですものね。
社交を禁じられた理由についてはよく知らないのですが、私はまだ居候の身ですし勝手にお客様を呼んだり、自由気ままにお外に出たりしてはご迷惑がかかるのだろうと思います。
ですから、ジョエル様に確認をとることに関して否やはありません。しかし、しかしですよ。なんだか顔を合わせづらくて!
恋心を自覚してしまったうえに、その想いがジョエル様にとっては迷惑なのだと思ったらもう……。
「旦那様はいつお帰りになるかわかりませんし、このマッテオが確認しておきます。お嬢様は確認でき次第すぐにお返事できるよう準備なさるとよいでしょう」
「ありがとう、マッテオ! お手数おかけします……」
「ホッホッ、お安い御用でございますよ。ささ、一緒にお花の片づけをいたしましょうか」
「あー! そうだったわ、すぐやります!」
階段を駆け下りる私の背中を、「危ないですよ」とマッテオの優しい声が追いかけてきました。