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終章 49

 イレーネ・フランツは格納庫にあって、次々と補給に戻る銀灰色の機体を眺めていた。

 彼等が、イレーネ自身の為に戦ってくれていること、そして自分たちの未来をかけて戦っていることは解っている。

 見れば、戻る機体はどれも被弾しているし、パイロット達は憔悴していた。

(それなのに、自分が地上で呆けていて良いのだろうか?)

 考えれば考えるほど、アルベール・フォンクがヴァイス・シュツルムを使った事は止むを得なかったのだと思う。もしも、二正面作戦になっていれば、すでに負けているだろうから。

 それなのに、自分はコンラートを失った悲しみから、それを冷静に判断出来ないでいた。

(本当に苦しかったのは、アルベールの方だったんじゃないか)

 そう思えば、いても立ってもいられなくなって、この場所に下りてきたのだ。

「ルコント少佐。わたしの機体は……?」

「いつでも飛べますよ!」

 アルベール・フォンクの命令を無視するとしても、今は構わない。

(何より、あの命令は、わたしを心配してくれてのことだろうから)

 機嫌や体調が直った訳ではないし、悲しみが癒えた訳でもない。けれど、自分にとって何より大切なものは、やはりアルベール・フォンクなのだと、イレーネ・フランツは再確認していた。

 だから彼女は、漆黒の機体を駆って大空を飛ぶ。

 コンラートの仇は、今はとれない。けれど、アルベールには謝らなければいけないと思う。

 そうしなければ、彼の方が自分の罪の重さに潰されてしまうだろうから。

 だからアルベールには、この戦いで無茶をして欲しくない。その為に、イレーネ・フランツは戦場へと向かうのであった。

  

 一つの空域に、アルベール・フォンク、アンセルム・エナル、ハンス・バウアーが揃っていた。

 ハンス・バウアーが到着してすぐに、アンセルム・エナルも同じ空域に到着したのである。それでようやく、この空域の戦力比が互角になったという所であろうか。

 だが、それでも尚、ブラッケ空戦隊の攻撃は熾烈を極め、アルベール・フォンクの力をもってしても、ブラッケを仕留めるには至らなかった。

 そこへ、漆黒の機体を駆るイレーネ・フランツが現れたのだ。一瞬、真紅の機体に並ぶと、大きく旋回して後方に下がる。

 赤毛の青年にとっては、それで十分であった。

「イレーネ……」

 黄金の髪を持つ彼の恋人が、自分を許したのだと、その時に悟ったのである。

 これ以後、ブラッケを援護する機体がイレーネ・フランツに葬られ、アルベール・フォンクは自由にブラッケを追うことが出来た。

 戦力比が、フォンク空戦団に傾いた瞬間であった。

 他の空戦隊長達も、相互に連携を取り、青く染められた機体を次々と追い立てはじめる。

「くっ……!」

 ブラッケの尾翼に機銃弾が当たり、不快な金属音が鳴り響く。

 焦燥が、ブラッケの表情を彩った。それでも、アルベール・フォンクの追撃は止まず、しかも、彼の背後を奪おうとすれば、イレーネ・フランツが邪魔をするのだ。

 ブラッケには、もはや打てる手立てが無かった。

(やはり勝てないか……)

 ブラッケの脳裏には、そんな思いが浮かんだ。しかし、それでも彼は、ここで死ぬつもりはない。

 ブリジットの笑顔も同時に浮かんでいたのだ。

 アルベール・フォンクは、炎に包まれ始めた浅葱色の機体を見つめ、僅かな変化を知る。

「脱出するつもりか」

 力を込め始めた指を外し、操縦桿を手前に倒して真紅の機体を上昇させたアルベール・フォンクである。下方では、降下してゆく落下傘が見えた。

 どうやら、ヴォルフ・フォン・ブラッケは上手く脱出したようであった。

 別に、殊更見逃そうと思っていたわけではない。ただ、アルベール・フォンクはすでに殺人に倦んでいた。まして、顔見知りを殺すことは躊躇われたのだ。

「それに、イレーネを助けてくれた恩もある。これで貸し借りなし、だ」

 こうして、ブラッケを失った部隊は徐々に統制を失い、撤退を余儀なくされた。

 他の敵部隊も、燃料、弾薬ともに限界点に達したのか、散々にデジャンやシャルリエに蹴散らされていた。

 それでも、フォンク空戦団としては「何とか凌いだ」という表現が正しいであろう。それほどまでに、損害は大きかったのだ。

 参加兵力、四三六機のうち、一八二機が撃墜、或いは未帰還であったのだから。


 空での戦いが終結した時、地上での戦いも終息に向かっていた。

 数に勝る政府軍に対し、フォンク軍は防戦一方であったのだが、あるきっかけでそれが覆ったのである。

 それは、一部の政府軍による寝返りであった。

 しかも、寝返った部隊は予備兵力として温存してあった、後方に控える歩兵師団であったのだから、ランディ・ヴァレリアンにとっては始末が悪い。前後から挟撃される事になったのだ。

 加えて、フォンク軍の側面を攻撃する為に分けた別働隊までもが、独自にジョレスに降伏していた。これが致命的であった。

 もはや、兵の大半はアルベール・フォンクを支持し、ランディ・ヴァレリアンと言えども統率出来る状況ではなくなっていたのだ。

「さすがに、これまで、か」

 現段階でアルベール・フォンクが生きている以上、ランディ・ヴァレリアンの策は失敗したといえる。万策尽き果てたのだ。

 __ならば__

 ランディ・ヴァレリアンは、本営で人を払い、唯一人、自らに向かう砲弾の音に耳を澄ませていた。

 敗北し、逃げ道も無いのだ。この上は、潔く死ぬべきであった。

 たとえそれがブリードリヒを解き放つ結果になったとしても、これ以上、自らに果たし得る望みはないのだ。それに、腐っても将帥である。負けて囚われるなど、矜持が許さなかった。

 机に銃を置き、暫しこの世を惜しむランディ・ヴァレリアンである。

 だが、そんな時、ふとランディ・ヴァレリアンの意識が途切れた。

「やれやれ、降伏という選択肢もあろうに早計なことだな。それに、策が失敗していなかったらどうするのだ……」

 意識は、フリードリヒのものに変わっていた。そして、ランディ・ヴァレリアンの声音を使い、部下に降伏の旨を告げる。

 すでに戦いに倦んでいた部下たちも喜色を浮かべ、司令官の意思を電信に乗せてジョセフ・ジョレスの元へ飛ばす。

 こうして、フォンク軍の勝利によって内乱は終結したのである。


 早朝から始まった戦いは、日暮れと共に終結していた。

 アルベール・フォンク達は続々とナントの基地に帰還し、口々に互いの健闘を称えあう。だが、同時に失われた戦友を悼む思いも共有していた。

 滑走路では、各隊長達が互いに握手をしたり、無事を確認して笑いあっている姿が、オーリク中尉の視界にも映っていた。

 自らも小隊長として出撃したのだから、当然の事である。

 だが彼の胸中は、この場に居る誰とも異なっていた。

 彼には、かねてよりランディ・ヴァレリアンから与えられた命令があった。そして昨日、その実行命令が電信で届いたのである。

 ランディ・ヴァレリアンが彼に与えた命令は、アルベール・フォンクの抹殺であった。

 「その時」が来るまで、ナントで潜伏せよと言われていた。

 しかし「その時は」アルベール・フォンクが二ヶ月消えても、叛旗を翻しても訪れる事がなかった。

 いっそ、自分はすでにランディ・ヴァレリアンに忘れられているのではないか? と思ったこともある。

 とはいえ、フォンク空戦団は居心地がよかった。それならば、いっそ忘れていて欲しいとも思っていた。

 だが、ついに実行命令は出された。

 まさか、アルベール・フォンクがこのような存在になるなど、予想だにしていなかったオーリクである。しかし、ランディ・ヴァレリアンはこの日のことを予測して自分を送り込んでいたのだろうか?

 オーリクの疑念は深まる。

 上官であるデジャン大尉には悪いと思っていた。

 自身の立場を話すことは出来なかったが、共にナントに配属されて寝食を共にしてきたのだ。裏切っている、という思いが大きい。

 オーリク中尉は、腰のホルスターに手を伸ばすと、僅かばかり躊躇った。

 この戦いは、アルベール・フォンクが勝つだろう。国民だって、それを望んでいる。なのに、命令に従って彼を殺す事は正義なのだろうか。

 だが、航空団司令の命令は絶対である。

 叛意があって、現実に叛旗を翻したアルベール・フォンクなのだ。司令は慧眼だっただけではないか。

 何より、アルベール・フォンクと比べて、俺の小ささは一体なんなのだ……。

 ”ごくり”と唾を呑み込むと、オーリクは赤毛の青年に向かって歩みを進めた。

 笑顔を作り、祝う為と思わせて。

「フォンク司令!」

 笑顔を浮かべたオーリクに、長身を翻して対するアルベール・フォンク。しかし、彼の手にしているモノは、紛れもなく銃であった。


__銃声が響く__


 朱色に染まった空に流れる雲が、いやにゆっくりと動く。

 空から帰還する機体の轟音に遮られても、その銃声は、誰の耳にも聞こえていた。

 驚いたように見開かれたアルベール・フォンクの瞳には、恐怖など一切感じられない。むしろ、慈愛すらあるようであった。

 オーリクは、それを見て途端に恐怖にかられ、銃を投げ捨てて路面に蹲る。

 その姿を見るまでもなく、アンセルム・エナルが動き、オーリクの腕を捻り上げ、身動きを封じた。

「オーリク中尉……?」

 リオネル・デジャンは目を白黒させているが、状況を呑み込むと、怒声を発していた。

「何をしたっ! 貴様、何をしたかわかっているのかっ!」

 撃たれた箇所を押さえて、アルベール・フォンクは微笑を浮かべていた。

「まあ、そんなに責めるなよ? 首謀者を聞いてくれ。俺はちょっと軍医に見てもらうから」

 優しげなその声は、表情を蒼白に変えてアルベール・フォンクを見上げるイレーネに、心配をかけまいとした努力であった。

「軍医を!」

 グレゴール・シャルリエの声が響いた。

 彼は、アルベール・フォンクが撃たれた箇所を正確に見定めて、絶望的な思いに駆られていた。しかし、今、それを言うことは出来ない。自身の医学的な知識が、今はいっそ恨めしかった。

 アルベール・フォンクは、それでも自らの足で軍医局に向かおうとしている。

 その姿を見つけたハンス・バウアーが、自機から飛び降りると駆け寄ってきた。

「し、司令? ……一体何が?」

「心配するな、かすり傷だ」

 無理に笑顔を作るアルベール・フォンクの言葉を、ハンス・バウアーが信じるはずも無かった。

 何より、赤毛の司令官の足元には、すでに大きな血溜まりが出来ている。かすり傷の訳がないのだ。


 取り押さえられたオーリクは、満足の笑みを浮かべ、奥歯に仕込んだ毒を飲み込んだ。

 彼は、最終的にランディ・ヴァレリアンの命令に従ったが、それは忠実であったが故の事ではない。

 アルベール・フォンクは一代の英雄である。すでにして歴史に名を残すであろう。

 ならば、翻って自分はどうだ。

 そう考えた時、彼には何も無かった。

 だからせめて、アルベール・フォンクを殺した者として、歴史に名を残そうと考えたのだ。

 浅はかな欲望であった。

 だが、地上でも大空でも無敵の勇者であったアルベール・フォンクが、浅はかな欲望の前に倒れたのである。

 「人は、誰しも平等である」と、かみ締めて、オーリクは短い生涯を終えた。その表情は穏やかに微笑み、一片の悔いすら残していないかのようであった。

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