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終章 47

 コンラート・アスマンは、イレーネ・フランツの秘密を知っていた。

 なぜなら、彼女がフランツ・ブランドであった頃からの長い付き合いである彼は、イレーネ・フランツが唯の風邪ではない事に気がついていたからだ。

 だから、軍医の元を訪れ、イレーネの症状を聞いていた。

 その後の経緯を見れば、彼女が誰にも身体の変化について語っていない事など分かる。コンラートも同じく、これを秘した。

 だから彼女が参謀長になった事も理解できた。多分、苦肉の策だったのだろう。

 あの日、コンラート・アスマンは真実を曝してイレーネを止めようかとも考えた。しかし、状況がそれを許さないことは誰の目にも明らかだった。

 故に、イレーネ・フランツを守ることを誓ったのだ。

 命がけで、という程の殊勝なものではないが、それでも覚悟はしていた。

 そして、戦場で浅葱色の機体に出会ったのだ。

 戦場で、ブラッケに抗し得る者は、確かにイレーネ・フランツだけだ。けれど、戦わせてはいけなかった。胎児に悪影響があるのだ、本人さえ回避したのだから、尚更だ。

 コンラート・アスマンは、イレーネ・フランツが好きだった。もはや認めざるを得ないほどである。だが、それは決して報われる事がないのだ。

 だから、唯ひたすらに守りたかった。そして、守っている、という思いでささやかな充足感も得られるのだ。

 コンラート・アスマンは、必死にブラッケに喰らいついた。負けることなど解りきっている。だが、それがどうしたというのだ。

 しかし、決着は長引いていた。それは望む所ではあったが、その理由は明白であった。

 ブラッケが手加減しているのだ。

 それを理解した時、コンラート・アスマンの誇りは酷く傷つけられた。

「戦う価値さえないというのか!」

 ブラッケがそう考えていないであろう事は、推測できる。しかし、それでも尚許せなかった。

 コンラート・アスマンは、憤懣を機銃弾に変えてブラッケに叩きつけると、旋回し、近くに見える敵機さえも無造作に撃ち落した。

 ブラッケがやる気を見せないならば、他を落とすだけだ。無論、ブラッケを逃がしたりもしない。

 そう考えた時、浅葱色の機体が急速に反転してきた。

 ブラッケが、本気になったらしい。

 その瞬間からコンラート・アスマンが意識を失うまでの時間は、僅かの間であった。

 しかし、結果としてコンラート・アスマンはイレーネ・フランツの全てを守ったのである。

「世話の焼ける人だ……まったく、せめて幸せになってくれ……」

 淡い光に包まれながら、コンラート・アスマンの最後の思いは、これだけだった。

    

 翌日、ベーゼルの敗報は、瞬く間にスクラン全土に広まり、いやが上にもアルベール・フォンクの勇名を高める。情報の手配は、戦場にありながらジョセフ・ジョレスの手腕であった。

 電信と従軍記者、それに他国の従軍武官等を巧みに活用したのである。

 どのような戦い方であれ、勝利には違いないのだ。ならば、喧伝するのみである。

 その結果、一夜にして首都であるランスすらランディ・ヴァレリアンに対し、アルベール・フォンクと講和すべし、との風潮が顕著になってきていた。

 もはや、スクランにとってアルベール・フォンクは救国の英雄であり、逆賊などではないのだ。

「出来て、あと一戦か」

 首都に居るダニエル・バルサからもたらされた情報を分析し、ランディ・ヴァレリアンは思考を巡らせた。

 自身を窮地に陥れたジョレスの手腕が、ただ、眩しい。

 それ程の男だからこそ手元に置いたのではなかったか。だが、それが今、見事に自らの喉元を食いちぎろうとしている。

 もはや、首都に軍を帰せば、交渉の卓につかなければならなくなるだろう。何より大統領の死を、これ以上隠し続けるにも無理がある。

 暫し目を瞑ると、ランディ・ヴァレリアンは溜息混じりに決意をした。

「出来れば、このような手段を使いたくはなかったが……」

 アルベール・フォンクの巨大化した名声は、いかにランディ・ヴァレリアンが勝利を収めたとしても収束を見せる事はなかろう。

 逆に考えれば、アルベール・フォンクを討ち果たせば、フォンク軍は崩壊することになる。たとえ、彼の死に方がどうであったとしても、だ。

 沈み往く太陽に眉目を顰め、ダニエル・バルサに幾つかの指示を電信で伝え、明朝の総攻撃を部下に命じたランディ・ヴァレリアンであった。


 八月十二日早朝、朝靄も晴れる前から、フォンク空戦団の基地では警報音が大音響で鳴り響いた。

 政府軍の機体が大挙して押し寄せている、との報が齎されたのだ。一〇〇〇機近くが確認出来ているという。

 作戦指揮室に幹部全員を集め、アルベール・フォンクは即座に出撃の命令を下した。

「此方も出せる数だけの戦闘機を出す!」

 アルベール・フォンクの言葉が終わると、各空戦隊長は扉に走り、滑走路へ向かう。

 だが、イレーネ・フランツの顔色が、どうにもおかしいのだ。

 無言で立ち上がり、遅れて扉に向かうイレーネ・フランツに赤毛の司令官は声をかけた。

「どうした、体調が悪いのか?」

「悪いが、それがどうした」

 昨日からの険悪な関係は未だ解消されず、イレーネ・フランツはアルベール・フォンクと目を合わせようともしなかった。

「休んでいろ」

「馬鹿を言うな。おれが出なくて戦いに勝てるか!」

「お前、昨日……ブラッケから逃げたんだろう」

「なっ! 逃げたわけじゃない! ただ……」

「ただ、なんだ? 理由があるなら聞く。だが、とにかくそんな顔色の悪い奴の手を借りる気にもならん、お前は残れ」

「くそっ! 勝手なことを言いやがって。ああ、残ってやる。お前みたいな人殺しの下でなんか飛びたくもないしな!」

 扉の横にある壁に拳を打ちつけて、イレーネ・フランツは司令官を睨みつけた。

 愛情と憎悪が入り混じり、どうにもならない感情が彼女の心を波立たせる。

 むしろ、理由を聞きたいのは自分だ、と、言ってしまいたかった。

(なぜ、ヴァイス・シュツルムなんかを使ったのだ?)と。

 アルベール・フォンクは部屋を出ると、長い廊下を走り、格納庫を目指した。

 昨日、ハンス・バウアーに話を聞いたところ、イレーネ・フランツはブラッケとの戦いを避けたと言う。もしもそれが、彼に対して恩義を感じていたが故の事ならば、きっと今日も戦えないであろう。反対に、コンラート・アスマンの仇をとろうなどと復讐心に駆られて感情を乱していれば、そこに付け込まれて負ける事になる。

 イレーネの顔色から、様々な思いを巡らせたアルベール・フォンクであった。


 滑走路からは、次々と銀灰色をした機体が舞い上がってゆく。

 アルベール・フォンクの機体も、すでに真紅の姿を眼前に現していた。エンジンは轟音を轟かせ、早く空に上がりたいと急いているようである。

 機体に乗り込む前に、整備士長ルコントが現れて、アルベール・フォンクに敬礼をした。

「司令! どうかご無事で!」

 見れば、彼の背後に続いて整備士の一同が一斉に敬礼をしている。 

 たしかに、敵の規模を考えれば幾人が生き残れるのか、不安な程の戦力差であろう。だが、これに勝たなければ、全ての事が徒労に終わるのだ。

「勝つよ。今回も」

 頷き、答えて礼を返し、アルベール・フォンクは機体を前進させる。

 上空は、すでに真紅の機体を待ちわびた者達で埋め尽くされていた。


 眼下に、ジョレスの率いる部隊が見える。土塁を積み上げ、野砲を展開し、散兵をしいて、さながら一夜にして要塞が完成したかのようであった。

 ジョレスは、ランディ・ヴァレリアンが攻めてくる、と、考えていた。と、いうよりも、戦うのならば、攻める以外の選択肢など、ランディ・ヴァレリアンには残されていないのだ。

 追い詰められたであろう古い友人を思うと、ジョレスは「降伏勧告」を行おうか、と一瞬だけ考えた。しかし、頭を振って自らの思いを否定する。

 ここに至っても、兵力ならば、未だジョレスが劣っているのだ。

 この陣地にランディ・ヴァレリアンが攻め込んで、初めてようやく対等になるだけのこと。大勢が決まったとしても、此方がアルベール・フォンクを失えば、先日のベーゼルと同じく崩壊するではないか。

「まだ、勝ってはいない……」

 ジョレスは上空を駆ける友軍の戦闘機を見上げ、真紅の機体を見つけるに至り、愕然とする。

「馬鹿な。司令官が戦場に出るなど……あの男は、まだ自分の価値を理解していないのか!」

 だが、同時にアルベール・フォンクを抜きにして、自軍の三倍にも達する敵を撃退するなど不可能であろう。

 思えば、”ぎり”と、奥歯をかみ締める以外の術を、ジョセフ・ジョレスは持たなかったのである。 


 暫く進むと、すぐに対陣であるランディ・ヴァレリアンの軍を眼下に納めた。

 ゆっくりではあるが、着実に前進をしている。恐らく、側面に回る別働隊もあるのだろうが、それはアルベール・フォンクには見えない。それらの対応は、あくまでもジョレスに任せるしかないのだ。

 それよりも、前方に無数の敵影が迫っていた。

 自分のおよそ三倍、一〇〇〇機以上である。

 無責任な立場であったなら、さぞ勇躍したアルベール・フォンクであろう。しかし、今は全軍の命運さえも背負う立場である。

 勝たなければならないし、出来うる限り、部下にも生き残って欲しい。

 地の利だけは、此方にある。敵の補給は困難なはずだ。逆に、此方は弾切れになってもすぐに補給して戦場に戻れる。

 アルベール・フォンクが高度を上げると、付き従う機体群も同じく上昇した。しかし、敵も同様の動作をする。

 これ程の大部隊同士であれば、所詮、奇襲などは不可能であった。

 互いに距離を縮めると、もつれる様に格闘戦に入る。

 真紅の機体とて、それは同様であった。戦場に突入すると、アルベール・フォンクの周囲には、敵機が一斉に群がった。群がるのは、唯一の識別標である、垂直尾翼の赤色が無い者等である。

 機体を捻り、上昇し、下降しつつアルベール・フォンクは火線を縦横に放つ。

 一機、二機、三機と容易く撃墜するが、アルベール・フォンクが本来倒すべき相手は、彼等ではなかった。

 標的は、あくまでもヴォルフ・フォン・ブラッケである。青の部隊を探さなければならない。恐らく、アレを止められるのは、アルベール・フォンク自身だけであろうから。


 グレゴール・シャルリエは、眼前に迫った銀灰色の大軍に、背筋を凍らせていた。

 それ程に、圧倒的な物量であったのだ。かつては味方であった敵。或いは、そこには共に戦った仲間がいるかも知れない。

 だが、彼の前方にある真紅の機体は躊躇うことなく強大な敵に突入してゆく。

 シャルリエにも、撃墜王の自負があった。

 それ故に、自らの心を奮い立たせて強大な敵に挑むのだ。

 それにしても、先日の敵も多かったが、今日の方が更に多い。ベーゼルの脅威が無くなったのだから当然と言えば当然だが、その数にはうんざりさせられる。

 敵中に突入すると、複数で一斉に襲われた。

 だが、それはシャルリエから見れば、お粗末な連携だ。容易く機体を左右に振ってかわすと、宙返りを一つして、二機の背後に出る。そこからは冷静に、一機ずつ狙いを定め、炎上させていった。

 しかし、一息つく間もなくすぐに次の敵が現われる。

 だが、同様に敵の連携は粗雑なものでだった。周囲の味方機も、上手く二機編隊戦術ツーマンセルによって敵を凌ぎ、撃退している。

 損害が皆無という程ではないが、グレゴール・シャルリエの部隊は三倍の敵に対しても、十分に戦えていた。

 もっとも、三倍であるが故に、敵が途切れるということもなく、常に彼等の精神は張り詰めていたのだけれど。


  

 

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