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第三話:追跡者と、見えざる指先

カインたちの没落は、オルテンシアの街を震撼させた。

「聖域商会」の崩壊は、単なる一商会の破綻ではない。王国の経済基盤の一角が、たった一晩で『数字の魔術』によって消し飛ばされたことを意味していた。

僕の宿屋は、相変わらず平和だ。

しかし、その平和を乱すノックの音が、今日の朝一番に鳴り響いた。

「おはよう、アルト。……また、お邪魔させてもらうわよ」

扉を開けると、そこにはティナが立っていた。以前のような氷のような視線ではない。だが、その瞳には、僕の正体を暴こうとする獲物を狙う狩人のような執念が宿っている。彼女は、王都の魔導監査局から派遣された「特別捜査官」の肩書きを背負っていた。

「宿屋の息子が、どうしてこれほどまでに市場の深淵を知り尽くしているの?」

彼女は勝手にカウンターに座り、僕が淹れたコーヒーを一口すすった。

「あなたのキッチンからは、芋の皮の匂いと、世界を変える数式の匂いがするわ」

(……手強い)

僕は笑顔の裏で、彼女の魔導服に仕込まれた盗聴器の数と、彼女の背後に潜む監査局の狙撃手の配置を計算する。彼女は僕を捕まえに来たのではない。僕の「アルゴリズム」そのものをスカウトし、国家の統制下に置こうとしているのだ。

だが、僕を狙っているのはティナだけではなかった。

オルテンシアの街の外れ、異国の国境付近。そこでは、僕のことを「金融テロリスト」と断定した隣国の諜報機関『黒い帳簿ブラック・レジャー』の特務部隊が、密かに包囲網を敷いていた。

彼らにとって、僕の存在は経済そのものを麻痺させる「核兵器」だ。

彼らは僕を「生け捕り」にする気などない。暗殺用の魔導ライフルを構え、宿屋の屋根裏に照準を合わせている。

「アルト、外の空気が変わったわ」

ティナがコーヒーカップを置き、険しい表情で窓の外を見た。

「この街に、王国の息のかかった人間以外が紛れ込んでいる。……殺気よ。あなたを狙っているわ」

彼女は僕の正体を突き止めるために来たはずなのに、今は僕を守るために銃を構えている。矛盾した行動だ。だが、今の彼女にとって、僕の「計算能力」は、国を立て直すための最後の希望なのだろう。

「……なら、踊る準備はできているよ」

僕はエプロンを外し、宿屋のカウンターの裏に隠していた予備の計算端末を起動した。

(街中の監視カメラ用魔石をハッキング。ターゲットの数、12名。狙撃手の位置、3箇所)

「ティナ、あの窓を突き破って、左の路地へ飛び込め! 3秒後に、僕が街中の街灯を過負荷させて閃光弾代わりにする!」

「……ええ、計算は任せるわ!」

僕たちは宿屋を飛び出した。直後、僕たちの頭上にあったはずの瓦が、狙撃手の弾丸で粉々に砕け散った。

「アルト、どうやって反撃するの! 相手は軍のプロよ!」

「反撃? いや、そんなことしない。……彼らが使う『軍用魔導具』の供給源を、今この瞬間に遮断するだけさ」

僕は端末を叩き、街の魔素パイプの圧力を一時的に極限まで高めた。

異国の部隊が装備していた魔導ライフルは、あまりにも高純度の魔素を要求する設計だった。僕が市場全体の供給バランスを数ミリ秒だけ操作し、彼らの武器に過剰な魔力を流し込む。

「な、なんだ……銃が……熱いッ!」

ライフルが内部から赤熱し、爆発した。

悲鳴を上げる特務部隊。彼らは武器を失い、ただの武装した集団へと成り下がった。

「今だ! ティナ、追い払え!」

ティナは迷わず、魔導杖を振りかざして一気に制圧した。

数分後、そこにはボロボロになって逃げ惑う部隊の姿だけが残された。

僕は呼吸を整え、瓦礫の中で呆然とするティナを見た。

彼女は僕の顔をじっと見つめ、そして、くすりと笑った。

「……やっぱり、あなたは『宿屋の息子』じゃないわね」

「ただの料理人だよ。ただ、少しだけ『市場』の読みが得意なだけだ」

彼女は僕に近づき、その耳元で囁いた。

「バレたわよ。あなたが『ゴースト』だってこと。……どうする? 私を排除する? それとも、私の手を取りて、共にこの世界を計算し尽くす?」

追っ手は去った。だが、僕の隣には、最大の理解者にして最大の敵である少女が居座っている。

平和な日常は、完全に終わりを告げた。

ここからは、国家権力と世界中の相場師たちを相手にした、終わりのない『金融戦争』の幕開けだ。

「……腹が減ったな。まずは朝食の続きだ。食べてから考えよう」

「ふふ、そうね。……最高の一杯、期待してるわよ、私の相棒」

僕たちは崩れた瓦礫を避け、何食わぬ顔で宿屋へ戻る。

背後では、僕の支配した市場が、今日も何千人もの運命を左右する数字を刻み続けている。

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