120 忍と紳士
三人称
マオ達の話が丸く収められていく間も、シノと死の影は攻防を続けていた。
互いに杖を、クナイを、傘を、手裏剣を影から生み出しては刃を交え、相手が下がったならば空かさず後方の空間を針山へと変える。
地面らしい地面など無く、縦横無尽に現れては消える二人。
「死の影」としてある種真っ当に生きてきた上に、今は異常個体ともなった死の影の方が優勢に見えたこの戦いで、シノは死の影の予想以上に健闘していた。
「凄いですねぇ。魔王領でしたか、あそこの瘴気の恩恵ですかぁ?」
「…そう、かも知れぬでっ、ござるな」
無数のナイフの雨を降らせる死の影の問いに、クナイで頭上のナイフを弾き落とすシノが答える。
「予想以上の健闘」ではあったが、シノの劣勢には違いなかった。
それは暇潰しに話しかけて来る死の影に律儀に返答を返していなかったとしても変わりはなかっただろう。
「っ、」
頭上に注意を向けていたシノに横からフォークが飛んで来る。
咄嗟に飛び退いたが、代わりにナイフの一本が肩を掠めた。
それでも怯まず手元のクナイを死の影に投げるも、顔の前に構えた本の表紙で軽く止められる。
シノは致命的な怪我を負っていない。
顔に関して言うならば、傷一つ負っていない。
ただ死の影は全身どこにも傷一つ無かった。
「うーん?うーん…」
構えるシノを眺め、首を傾げる死の影。
視線は怪我、否、破れた服に向けられていた。
「もしかしてそれ、ただの布ですかぁ?」
「それ」と死の影が指差すのは、特に疑問の原因が顕著に現れていた足もとだ。
シノは今、忍者装束を身に纏っている。
体のラインよりゆったりしたたっつけ袴にも、カトラリーが貫通した穴が空いていた。
しかしその中の脚には当たっていない。
つまりは身体へのダメージは受けていない。
だから当然機動力が落ちるなんてこともない。
それが死の影には不可解だった。
魔物は服を着ない。
例え衣類を纏った姿だとしても、服に見える部分も自身の魔素で形成している自身の一部だ。
だから傷付けばダメージを受ける。
にも関わらず、シノのダメージは見た目よりも軽微だ。
それも当然。
人間が衣類が破けた事を「怪我」と呼ばないように、シノもまた「怪我」はそれほど負っていないのだから。
と言っても特注の忍者装束はシノのお気に入りなので、破れたことを遺憾に思っている事には違いないのだが。
「成程成程ぉ。そんなところまで人間にかぶれてたんですねぇ」
シノの回答を待たずして死の影がうんうんと納得を示す。
その余裕な素振りに攻撃の手を緩めないシノだが、死の影はひらひらと陽炎のように躱してしまう。
「気になっていたんですよねぇ」
「っ、」
気付けば死の影はシノの背後にいた。
シノの首に腕を回し捕える死の影。
「その人間、もっと“小さな状態”で死んでいませんでしたかぁ?」
死の影との身長差でシノの足が浮く。
それでもぶら下がる程ではないが、フローラはどうだっただろう。
病弱で発育が悪かった事を差し引いても、まだそれなりに幼い少女だった筈だ。
少なくともフローラの様な少女が冒険者達にこぞって求婚を求められていたら、何人かは警備隊を呼んでいただろう。
が、始まりの町でシノがチヤホヤされていた所でそんな犯罪臭はしない。
それは周囲から「妙齢の女性」として認識されているから。
「まさかとは思いましたが、その姿、君の妄想の産物ですかぁ?」
「…」
シノの身体に死の影の手が這う。
体のラインを確認する様に。
「っそうだと言ったら、何でござるか」
腕をふりほどけないと悟ったシノが、勢いを付けて死の影を背負い投げる。
シノを解放し宙に着地した死の影は「関心した」という表情を浮かべた。
「素晴らしい!“いもしない”人間の姿を君は模せるのですねぇ!」
パチパチとたった一人の拍手が闇に溶ける。
フローラは存在した。
しかし「大人のフローラ」は存在しなかった。
魔者、死の影は相手の姿を模して相手の命を奪う。
今その瞬間。
目の前にいる獲物の背格好、人相、声、服装。
それ等を鏡の様に写し出す。
死の影の今の姿である長身痩躯の紳士も、まさにこの姿で彼に出会い、そして死んだに違いない。
逆に言えばそれしか本来はできないのだ。
模倣は彼等の食事手段であり、生命活動に欠かせない行為であり、必要な技術であり、「人の姿」になる事が目的ではない。
「特定の人物と同じ」にならないと意味がないのだから、人以外の生き物も、想像上の人間も写し出す必要は無く、故にその術を持たない。筈だ。
当時のフローラの姿でいただけならば死の影もそこまで驚く必要はなかっただろう。
しかし見たこともない服の下の形を、未来の姿を反映させているとなれば、シノの執念を甘く見積もっていたと言わざるを得なかった。
「嗚呼なんて無意味…!否、それで自身の首を絞めているのだから寧ろ悪趣味ですねぇ…!」
死の影は絶賛しているのか貶しているのかなんとも言えない賞賛をシノに送る。
本人は至って真面目に褒めているのだろう。
「しかし、そんなモノは強者の行う戯れです。君程度の存在が見せていい余裕ではない」
スッ、と死の影が手を上げる。
上部に無数のナイフが形成される。
手を振り下ろす。
ナイフが降り注ぐ。
逃げ場なんて無いくらいに、鋭い影の雨がシノを襲う。
金属とは程遠い音を轟かせ、ナイフは地面に落ちては弾けて消えて行く。
その中心に居るであろうシノの姿はもはや捉えられない程だ。
「串刺しでも、霧になるまで切り刻まれていても。僕は君を愛してますよぉ」
にこにこと楽しそうな笑みを浮かべながら独りごちる死の影。
「?………っ!」
しかしナイフが落ちきり静かになった時、死の影は驚きを隠せなかった。
シノがそこに立っていたから。
逃げようと藻掻くでも、撃ち落とそうとクナイを振るうでもなく。
シノは静かに立っていた。
その手には真っ黒な一本の傘を差し翳して。
「拙者、腐っても死の影…」
傘に刺さったナイフを振り落とし、閉じた傘を杖の様にして死の影のポーズを真似るシノ。
「真似るのは本質でござろう?」
マスクをおろした下の表情は、眉を顰め口を歪めた、見下した様な笑みだった。
わざとそれを見せつける様に死の影に笑いかける。
「…成程。その傘は僕の真似、という事ですかぁ」
シノの手元の傘を見て目を細める死の影も口元を歪めて微笑んでいた。
影で形どられたシノの傘は死の影の作り出した傘よりも直線的で、どちらかと言えば和傘に近いシルエットをしていた。
忍び装束のシノには寧ろ似合いの形だが、実際は単に死の影の傘を見様見真似で作り出した為の荒削りだ。
それでも咄嗟に初めての形を創り出せたのは、傘はそれなりに入り組んだ形をしているものの、魔王城の知り合い──インが気に入って持ち歩いている分、視界に捉える機会が多くて再現がしやすかったからだろう。
「嬉しいですねぇ。私の真似をしてくれるだなんて」
帽子をクイ、と下げた死の影がうつ向き呟く。
その表情は見えないものの、声色だけで酷く楽しそうなそして嬉しそうな感情は伝わって来た。
「でもそれだけでは僕を倒す事はできませんよぉ?」
顔を上げた死の影の瞳がシノを捉える。
真っ直ぐと、彼女だけを見つめる。
次はどんなサプライズをしてくれるのかと心踊らせながら。
「そうでござるなぁ…」
手持ちを傘からクナイに戻し、マスクもし直したシノが、無表情でもわかりやすく思案する素振りを見せる。
事実、シノの能力は目の前の死の影が異常個体じゃなかったとしても劣っていた。
彼がシノと「遊ぶ」気がなければ、一瞬で殺されていてもおかしくはない。
それくらいはシノにもわかっていた。
一度に生成できる量も違う。
質量で押したならば、負けるのがどちらかは目に見えている。
「こういうのはどうでござるか?」
影が形を作り出す。
絵に描いたような「忍者」の形をした影が三体。
服のシワまで作り込まれたそれらは、先程の傘とは比べ物にならないデティールでそこに立っていた。
「魔王城暗躍部隊。我が自慢の精鋭達にござる」
物言わず、ありもしない風に首元の布をはためかせる三人の影。
「…どこまでも君は人間が好きですねぇ」
少し不愉快そうな死の影。
クオリティの差は興味の差。
さも実在したかの様にリアルな影は死の影に、シノにはフローラ以外にも執着する人間がいたかの様に錯覚させていた。
しかし当然、実際にはこんな格好の人間はこの世界に存在しない。
マオの持ち帰った漫画から着想を得た、シノの完全なオリジナル。
「君も不思議な格好と思っていましたが、彼等の民族衣装だったのですねぇ…」
漫画も忍も知る由もない死の影は、明らかに苛立っていた。
「そんなモノ、すぐに消し去ってあげます」
地面が海の波を思わせるうねりを見せる。
高波となった影が三体の影を呑み込む。
「人間など非力です。再現したところで使えませんよぉ?ましてや外見を作り込んだところで…!?」
片が付いた、そう死の影が油断した所だった。
目の前には人の胴、否、枝の伸びた「丸太」が転がっていた。
あの三体ではない。
「っ!」
上方から複数飛んで来る何か。
死の影が杖で弾き飛ばすと、金属音と共に弾かれたそれ──手裏剣は床に刺さり溶けて消える。
「!?」
正面へ注意を向けた死の影の背後に逆さ吊りで迫って来たのはもう一つの影。
クナイで死の影の首を掻き切ろうとしたが、寸での所で躱した死の影が周囲を警戒しながら後方へ下がると、突如目の前の影が捲くれ、三人目が姿を表した。
「はぁ!?」
予想外続きの動きに驚きながらも、吹き矢を構えていた三人目にナイフを投擲した死の影だったが、困惑の表情は隠せない。
なにしろ目の前の人影が煙幕と共に先程の丸太に化けたのだから。
しかも気が付けば三体の影はシノの背後に整列しているではないか。
「それとそれ、それにそれ!人間ではなかったのですか!?」
シノの背後に指を指し、納得いかないとばかりに声を荒げる死の影。
それも致し方の無いことであった。
死の影はあくまで真似る者。
自身も影も、自分の見聞きした物を写し取っているに過ぎない筈なのだ。
傘は「弾く物」。
フォークは「刺す物」。
「何を」という部分は多少魔力で補強できても、物の本質は見た事が無いと再現できない。
死の影が武器に剣や槍を持ち出さないのも、貴族や町民をターゲットにしてきたから。
にも関わらずシノの作り出した三体の影は空を飛び、瞬間移動し、時空を裂いて現れた。
いくら魔法使いを見ていたとしてもこんな動きは存在しなかっただろう。
「?人間でござるよ」
死の影が「魔者のコピー」を疑おうが、シノは酷く純粋にそれを否定した。
そう、シノが忍者を見たのはマオの持ち帰った漫画を始めとした創作物の中。
どんなに人間離れした動きをしていようと、忍者は「人間」なのだ。
そしてシノはそれらの現象を異世界の人間の動きとして信じた。
魔法すら裸足で逃げ出すような荒唐無稽な動きすら現実に持ち込んだ。
その結果がこの三体の影である。
精密故に三体を生み出すだけでも容易な事ではないが、シノは更に増やす「奥の手」も知っていた。




