第一部 穴蔵に生きる
当たり前の転生
以前付き合っていた彼女の部屋には、壁にトゲトゲの物が張り付けられていた。
ピラミッド型の形をしたものが正方形の四角のなかにいくつも並んでいた。それが何枚も壁に張り付いている。色は白と黒の市松模様のように交互に並べられていた。武骨な形の割りに少し洒落て見えた。
それらは防音のためのもので、触ってみるとスポンジのような素材で出来ているのが分かる。
部屋の主である彼女は、パソコンで動画を作ったり、ゲームを生配信で行うようなことを趣味にしていたのだった。
いや、趣味というにはいささか行き過ぎで、今思えば彼女はそればかりを行っていたように思う。あまり触れてはいけないと思い、その話題をすることも避けていたから、実情はそれほど詳しくはなかった。
結局、その彼女とは些細なすれ違いの元、破局してしまった。今ではどんなきっかけだったのかも思い出すことはできない。
分かるのは、自分が大人になり切れなかったのだということ。
その当時のことを時々思い出す。
あのトゲトゲの壁に包まれた小さな部屋の中で過ごした時間は、何でもない平凡なものばかりだった。けれど、時間がすぎれば過ぎていくほど、当時のことが頭にこびりついて離れないのだ。
ちょうどそれくらいの時期にやっていた仕事で、派遣のアルバイトをしていたことがあった。高層ビルのオフィスに荷物を運ぶ仕事だった。
それ自体はそれほど難しい仕事ではなく、誰でも出来るような内容だったが、拘束される時間だけが非常に長かったのだけは覚えている。
待ち時間に入った休憩室の中からは、高層ビルから見下ろすように景色を眺めることが出来た。
そのビルは確かに高層で、周りの建物よりも少し高い位置から、周囲を眺めることができたのだ。
ふと自分がちっぽけな存在に思えた。
この高層ビルには稼ぎの良さそうな、良いスーツを着た人間がたくさんいる。
たまたま仕事先がこのビルだっただけの自分は、何者なのだろうか。
休憩室にある自動販売機で買った缶コーヒーの苦い味と共に、ときどき思い出す。
アラトはぼんやりとした身体を起き上がらせる。
こちらを心配そうに覗く少女と目が合った。
「心配した。熱がひどかったから」
長い耳と褐色の肌の彼女の種族は人ではない。もうこの数年、見た目が変わらない彼女の姿は、ずっと少女のままだった。あと数年もすればアラトの身体も彼女を追い越すだろうが、まだまだ小さい体の自分がもどかしかった。
リアンナは水が入ったお椀をこちらによこす。
水は貴重だった。それでもアラトは手を伸ばし水を飲みほした。今はそれが重要なことだと分かっていたからだ。
まだけだるいアラトの身体をリアンナが抱きしめた。
肌寒い地下の空気が通り抜けていく。仄かに暖かいリアンナの体温に包まれながら、自分が何者だったのかをふと思い出すのだった。
白衣を着た女が、こちらを見ている。身体が薄っぺらく健康状態もあまりよくなさそうな顔をしているが、それでもアラトやリアンナよりはましだった。
『ようやく目が覚めたね』
アラトやリアンナ達の周りには人がいないわけじゃない。二人がいる場所は浮浪者たちが寝床によく使う場所だった。しかしその女のことを誰も見向きもしない。
アラトの耳には届いていたが、リアンナには聞こえていなかったのか目をつむったままだった。
アラトの身体は弱っていた。あれから数日たってようやく普段通りに身体を動かせるようになった。
その間リアンナは一人でどこかへ行き、帰ってくる頃には何かしらの食べ物を調達してきたのだった。
「あんたは、何者なんだ?」
白衣の女に向かって声を掛ける。アラトが過去の記憶を取り戻す以前に彼女のような存在は見た覚えが無かった。
『私が、あなたをこの世界に送ったの』
表情を変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
どうにも分からないことばかりだが、どうやら自分は日本で生きた記憶を持ったままアラトという少年として生まれたらしい。
『あなたには探してほしい人がいるの。おそらくこの近くにいるけど、分かるのは女ということくらい。どんな人間なのか、どんな見た目をしているのかは分からない』
悪びれもせず、そんなことを言う。
頼みを聞くくらいは別にやぶさかではない。しかし、今のこの身体ではまともに活動できる自信はなかった。
「それにしてもどうしてこんな子供の姿なんだ」
『あなたにはいくつかの能力を持たせてある。この世界の人間は不思議な能力を持ってる。それに合わせただけだから、周りより強くなれるかどうかは保証できないけれど。そして生まれ変わったあなたはようやく記憶と能力を取り戻すことが出来ただけ』
話し疲れたと言って、それきり白衣の女は姿を消した。
しばらくしてリアンナが戻ってくる。彼女はどこで手に入れたのか槍を持ち歩いていた。
それを壁に立てかけると、鞄から取り出したパンをこちらに渡して再び離れていった。おそらく水を取りに行ったのだ。
今のアラトはリアンナに世話になりっぱなしである。
自分の年齢がいくつか分からないが、体つきから見ても十歳を超えるか超えないかだ。
いつからこんな生活をしているかは覚えていない。両親の存在すらも記憶になく、物心ついたときにはリアンナと共にいた。
「どこで食べ物を手に入れているの?」
「地上で買い物してるだけ」
リアンナは口数が少ない。特に食事やお金のこととなると、更に口が重くなる。
「連れて行って。俺も金を稼ぎたい」
リアンナは困ったような顔をした。
「俺の身体も動かせるようになってきたし、手伝わせてほしい。それとも何か問題が?」
「どこかの所属になって、精霊と契約しないと……」
精霊。精霊とはなんだ。アラトの困惑をよそに、リアンナは荷物をごそごそと取り出した。
「私は槍士の精霊と契約してる。所属になるにはお金が必要」
リアンナはそういって、鞄に着けた槍のバッジを見せてきた。これが槍士の所属である証だという。
「もし本気でなりたいなら、これを売ってお金に変える」
リアンナが鞄から取り出したのは、白い半透明の石だった。光が当たると虹色に反射して美しい。
これがリアンナ曰く『精霊石』だという。
これがどんな価値のものなのかもアラトには分からない。リアンナが今まで大事に取ってきたというだけでも貴重なものだと分かる。
「一番安い所属はどこ?」
「精霊は大事なもの。そんな適当に決めたらダメ」
リアンナは悲しそうな顔を浮かべた。
結局すぐにどうこうすることはできなかった。
リアンナにお金の価値を教えてもらいながら、能力を鍛えることにした。
「ユニカ」
『なに』
「こんな能力で何ができるんだ」
『知らない。あなたの前世で得た知識や技術や才能をこちらに来るときに変換しただけ。能力が弱いなら、それだけあなたが怠けていただけ』
そう言われてしまうと何も言えなくなる。あれから白衣姿の女であるユニカから能力の使い方を教えてもらい鍛えているが、いまいち使い道が分からない。
アラトの目の前にはふわふわと浮かぶ木製の皿。お椀型のお皿一つを宙に浮かべることが出来る程度の力しかない。
ユニカから教えてもらった能力で、リアンナの手伝いをしたかったが、これでは何の役にも立てない。
やはり、精霊と契約を交わすしかないのだろうか。
『それにしても不思議な場所ね。こんな大きな穴が開いているというのに、何の問題も起きていないなんて』
ユニカの言葉に釣られて、壁の反対側を見る。
アラトの目前には真っ暗な巨大な穴が奥深く延々と続いているのが見えた。
その穴に沿うように足場が組み立てられている。それが何層も積み重なっていて、その層の一つにアラトは立っていた。
地上から一段下が一層目。そしてアラトがいるこの層は三層目だ。
一層目は陽の光をさえぎる物もなく、地上から一段低いだけの場所。
この三層は、頭上に二層目の足場がある。意外としっかりとした足場が建てられており、崩れる心配はないようだが、陽の光は浴びにくく、気温も低い。じめっとした空気はなんとも身体に悪そうだった。
最近リアンナの帰りが遅い。
アラトがわがままを言った所為か、リアンナが無理をしているようだった。いつの日か、すりむくような怪我をしているのも見つけた。
どうしたのか問い詰めても、なんともないと答えるだけ。
ある時リアンナの後ろをついていくと、一層の大きなゲートの中に入っていくリアンナを見つけた。
あの中でお金を稼ぐことができるのだとは分かったが、リアンナが槍をもってしかも怪我をするような場所だ。何も持たないアラトが一人で入っても戻ってこれる保証もない。
相変わらずユニカから教えてもらった念動力の力は使い物にならなかった。
これが威力のあるものだったら、アラトはリアンナについていったかもしれない。
アラトは地上に上がった。
地上に上がったアラトは、陽の光が強く感じられた。
地上を歩く人間は種族が様々だ。リアンナのように耳のながいエルフのような種族は珍しいが、耳や毛が生えた獣人や、爬虫類のような顔をした種族が歩いている。
アラトが通りを歩くと、じろじろと視線を感じた。
子どもの身体で、大人にじろじろと見られるのは、ちょっとした恐怖だった。自分の身体を改めてみるも、これだと目立つのも仕方なかった。
アラトの身体は小汚く、どこから見ても浮浪児にしか見えない。
実際その通りなので仕方ないのだが、基本浮浪児は穴から出てくることはないらしい。
地上の綺麗な世界には自分の居場所はないのだと、とぼとぼと帰る羽目になった。
「安く所属になるにはどこがあるの」
リアンナが帰宅し、食事の間に色々と質問をしていく。この世界を学ぶには彼女を頼るしか道はないのだ。
「精霊と契約するならちゃんとしたところでないと」
「そうは言うけど、具体的にどんな精霊がいるのかも俺は知らない」
リアンナに精霊に対することを教えてもらうことに成功した。
精霊とは、契約した相手に協力し能力を与えてくれる存在なのだそうだ。
「私は槍士の精霊。最初は弱いけど、魔物を倒していけば強くなれる」
リアンナは言葉数少な目に、物事を的確に教えてくれた。彼女の年齢は分からないし、聞いたこともないが、見た目通りの年齢ではないことは分かる。
「じゃあこの街で契約できる精霊は限られているってこと?」
「そう。でも多い方。私も全部は分からない」
「あとから、別の精霊と契約をすることは出来ないの?」
「できなくない。でもよっぽどのことが無い限りよくない。弱くなっちゃう」
いまいち弱くなると言ってもよくわからない。例えば育成ゲームのような内容なら、新たな精霊と契約したら弱くなるのは当然のように思える。
しかしリアンナが言いたいのはそういうことではないらしい。同じだけ育成したら同様のレベルまで育てても比較して弱くなる。そういうことを言いたいらしいのだった。
「だけど、このままじゃいつまで経っても……」
リアンナが袋から精霊石を取り出そうとするが、アラトは手で押さえた。こんなところで取り出して誰かに見られたら一大事だ。
「俺だってそれが大事なものだってことくらいわかるよ」
そう言うとリアンナは俯き、悲しそうな顔をした。
「とにかくあまりお金がかからないところをいくつか教えてほしい」
『健気だね。あなたの母親のつもりなのかも』
リアンナとアラトは明らかに種族が違う。彼女は褐色肌のエルフだが、アラトは普通のヒト種であるのが分かる。
「ひとまず精霊とやらと契約をしてこないと」
『興味深いよ。この世界は不思議なことであふれてる』
「あんたの教えてくれた念動力だって十分不思議だが」
『別に私だって使えるわけじゃない。そういう能力があなたに追加されたというのが分かるだけ』
そうだったのかと、ユニカの言葉を飲み込みながら、アラトは再び地上に出ることになった。
アラトが選んだ所属は『探索者』というものだった。それほど人気のある精霊ではなく、能力もすべてが平均的な精霊だという。
出来れば魔法を使ってみたい欲求もあったが、やはり『魔法使い』などは人気の精霊のようで、所属するにもそれなりの金額が必要ということだった。
あとは一般的な『剣士』や『戦士』といった所属になるのにも意外とお金が必要で、金銭だけでなく剣や武器などが必要になってくる。
アラトが門を叩いた『探索者』は古ぼけた小屋に年老いた爺さんが一人いるだけだった。
案外アラトのような子どもが精霊を得るために、ここに来ることは珍しくないようで、淡々と契約は進んでいった。
爺さんが取り出した石はリアンナが持っていた精霊石と似ていたが、一回り小さかった。
「これは精霊と契約するために必要な石だ。なくなりはしないが『探索者』をマスターした精霊が必要だ」
アラトが物珍しそうにしたのが分かったのか、探索者の爺さんが説明してくれる。
契約が終了し「これで終わりだ」と爺さんはそっけない態度を取った。
これ以上こちらにかかわる気はないらしい。
見上げると自らの頭上に小さな人型の生物がふわふわと漂っている。今は目を瞑り眠っているかのようだ。
精霊はアラトの服を真似ているのか、麻布の小汚い恰好をしている。
あるいはこれが探索者の精霊の見た目なのかもしれない。
「ありがとうございました」




