第7話 父、現実を突きつけられる
王都へ向かう準備は、やることが多すぎた。
リシュアンには、急いで救助費用の請求書をまとめてもらい、ギデオンとバルドには王都まで同行する護衛の選抜を任せ、バーデンには証言者として王都へ連れていく兵の調整を頼んだ。
そして俺は、傭兵の手配である。
宿駅や街道口には最低限の領兵を残し、足りない分は、昔から付き合いのある傭兵団に任せることにした。
傭兵といっても、昨日今日雇った連中ではない。
商隊護衛、冬の街道警備、山賊退治。何年も北方の道で働いてきた連中だ。
正直、こいつらの人柄を信用しているわけではない。
契約を守る連中だと知っているから、信用している。
「旦那様、それ褒めてます?」
傭兵団長が渋い顔をした。
「褒めてるさ。王都の貴族よりずっと信用してるぞ」
「それは光栄ですな」
「それに、うちは金払いがいい」
「そこがこちらも信用できます」
うん。
正直でよろしい。
そういうわけで、留守はリシュアンを中心に、ギデオンの副官と傭兵団が支えることになった。
王都へ向かう準備は、どうにか形になっていく。
だが、ひとつだけ、俺の胸に引っかかっていることがあった。
レオノーラだ。
王都兵の世話をし、荷造りを手伝い、レオノーラはいつも通りよく働いていた。
いつも通りすぎた。
だからこそ、気になった。
「レオノーラ」
俺は屋敷の中を動き回る娘に声をかけた。
「少し、休憩しよう」
レオノーラは、抱えていた布束を侍女へ渡すところだった。
「お気遣いありがとうございます、お父様。でも、まだやることが残っておりますから」
「それは他の者に任せればいい」
「ですが――」
「父命令だ」
俺がそう言うと、レオノーラは目を瞬かせた。
「……お父様が、そういう言い方をなさるのは珍しいですね」
「たまには威厳を出したくなるんだよ」
「ふふ」
笑った。
けれど、いつもより少しだけ薄い笑みだった。
俺はそれに気づかないふりをして、廊下の先にある小さな休憩室へ向かった。
そこは、普段なら侍女たちが茶を飲むために使っている部屋だ。
今は屋敷中が慌ただしいせいで、誰もいない。
俺は椅子を引いた。
「どうぞ」
「お父様ったら……。ありがとうございます」
レオノーラは素直に腰を下ろした。
俺は用意していた紅茶……ではなく、チャイを小さな茶器に注いだ。
前世で、異国料理にハマった時期がある。
その時に覚えたのだ。
今世では、家族に振る舞う俺の密かな楽しみのひとつになっている。
「甘い香り……。お父様の、このお茶。久しぶりです」
「忙しかったからなぁ」
「ええ。本当に」
レオノーラは、茶器の中を見つめていた。
その横顔が、妙に大人びて見えた。
昔は、この茶を出すと、美味しいと言って何度もおかわりしてくれた。
俺も調子に乗って飲ませすぎて、リエネに怒られたものだ。
それが今は、背筋を伸ばし、茶器をそっと持ち上げて、香りを確かめている。
……娘の成長は、嬉しい。
嬉しいが、たまに胸に刺さる。
「……お父様、ごめんなさい」
「どうした?」
「わたくしの身勝手な行動で、お父様も、お父様の大切な領地も巻き込んでしまい……」
「……いや、まあ、驚いたけどな」
俺は天井を仰いだ。
「でも、どのみち巻き込まれていたと思うぞ」
レオノーラは、黙って俺を見る。
「王都の連中が北方に目をつけていた時点で、遅かれ早かれ何かは起きていた」
俺は茶器を手に取った。
「それに……未来の国王の即位を手助けした家として、箔がつくかもしれんぞ」
冗談めかして言うと、レオノーラは目を伏せた。
「わたくし、お父様なら殿下を手助けしてくださると信じておりました」
「……身分を隠したまま会わせたのは、そういう理由か?」
「はい。王子としてではなく、レオン様がどんな方かを見ていただきたかったのです」
「……王子と知っていたら俺が腰を抜かすと思ったから、ではないんだな?」
レオノーラは、くすりと笑った。
「レオン殿下は、とても誠実で真面目な方ですから。肩書きではなく、人柄を見ていただければ、きっと……」
「助けると思った?」
レオノーラは、すぐには答えなかった。
茶器を持つ指先が、ほんの少しだけ動く。
「……はい」
「レオノーラは、お父様をよくわかってるなぁ」
「申し訳ございません……」
「怒ってるわけじゃない。ただ、もうちょっと早く言ってほしかったかな。父親としては」
「……はい」
俺はチャイを飲んだ。
うまい。
うまいが、喉の奥が妙に詰まる。
「……殿下とは話せたのか?」
「はい。少しだけですが」
「なんて言われた?」
レオノーラは、茶器へ視線を落とした。
「王都へ行き、王になると」
「で?」
俺は、茶器を持つ手に力を込めた。
「……玉座に座ったら、迎えに行くと」
「ぶっ」
危うく吹き出しかけた。
何だ、そのキザすぎる台詞は。
どうせあの顔で、さらっと言ったのだろうと思うと腹が立つ。
俺の時なんて……いや、思い出したくもない。
「……嬉しくないのか?」
「そんなことはございません。とても、嬉しかったです」
「じゃあ、なんでそんな顔をする」
レオノーラは答えなかった。
俺は、はっとした。
もしかして。
「レオノーラ、心配するな」
「はい?」
「お前の持参金は、ちゃんと用意してある」
俺は、きりっとした顔で言った。
「お前がどこに嫁いでも恥ずかしくないように、俺がせっせと貯めていた金が――」
「お父様」
レオノーラが、落ち着いた声で俺の言葉を遮った。
「あ、はい。何でしょう」
「お願いがございます」
「……何だ?」
「モルガン子爵家との縁談を、進めていただけますか」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
モルガン子爵家。
夜会で、レオノーラの手をいつまでも離さなかった、あの男の家だ。
「モルガンって……あの気持ち悪い男……」
「お父様が王都から戻られてからで構いません」
「え? なんで?」
「モルガン子爵家は、王都でも古い家柄です。けれど、第一王子派にも王弟派にも深く入り込みすぎてはいません」
「だから?」
「王都の旧家と縁ができれば、我が家への扱いも変わります。王都の都合だけで、こちらをただの辺境男爵家として扱うことは難しくなるはずです。わたくしが嫁げば――」
「ま、待て、レオノーラ……!」
俺が声を強めると、レオノーラは口を閉ざした。
「お前は、殿下のことが好きなんだろ?」
「……」
「何故そうなる。殿下と結婚したくないのか?」
「……お父様。わたくしには、王家がこんなに不安定な中、殿下を支える自信がございません」
「な……」
「それに、王妃なんて。わたくしには無理です」
「俺は……そうとは思わんぞ……」
「殿下には、旧家の令嬢のような、相応しい方がいらっしゃいます」
「……レオノーラ。お前は、そんな諦めやすい子じゃないだろ」
「わたくしは、現実的に考えたまでです」
頭が、ぐらりと揺れた。
いや、間違ってはいない。
間違ってはいないのかもしれない。
だが。
「モルガン子爵家のご令息は……優しい方です。きっと、わたくしも慕うことができると思います」
「お前……本気で言ってるのか」
「はい」
レオノーラは、ゆっくりと立ち上がった。
「お父様、ご馳走さまでした」
「……待て、レオノーラ」
レオノーラは扉の前で足を止めた。
俺は、椅子から立ち上がることもできないまま、娘の背中を見た。
「……お前の夢は、王子様と結婚することじゃなかったのか?」
レオノーラの肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……お父様」
レオノーラは、背を向けたまま言った。
「わたくしはもう、子供ではありません」
そう言って、レオノーラは部屋を出た。
扉が、音を立てずに閉まる。
俺は、しばらく動けなかった。
茶器の中の茶は、まだ甘い香りを立てていたのに、口の中はひどく苦かった。
◆
翌朝、俺たちは王都へ向けて出発することになった。
これ以上、屋敷で確認を重ねていても、王都は待ってくれない。
第一王子派も王弟派も、こちらが迷っている間に次の手を打ってくるだろう。
なら、先に動くしかない。
王都へ向かう荷馬車は、夜明け前から庭に並んでいた。
「……荷馬車、足りてよかったなぁ」
思わず呟くと、隣でバーデンが笑った。
「普段から街道商売しててよかったわねぇ」
「旦那様」
ギデオンが、馬上からこちらへ頭を下げた。
「護衛は配置済みです」
「目立つよなぁ」
「目立ちます。ですが、隠すより自然です」
「そうそう、証言者も決まったわよ。オルト爺の部下から古参兵が一人、伝令役だった子が一人、あとは最初に旦那様が拾った若い子」
「若い子って、ロイの友人か」
「ええ。名前はエリック。本人が行くって聞かないのよ」
「怪我は?」
「軽症だからね。でも、無理はさせないわ」
「そうしてくれ。オルト爺は?」
「後から動ける兵を連れて来るって」
王都へ連れていく兵は、全員ではないが、最初の便としては十分な人数になった。
宿駅番たちが荷を最後に確かめ、女衆が馬車に乗る兵へ毛布を渡していた。
王都兵の中には、黙って頭を下げる者もいる。
敵だったはずの者たちが、北方の女衆に頭を下げている。
何とも妙な光景だった。
「父上」
振り返ると、手に紐で括った書類の束を抱えたリシュアンが立っていた。
「こちらが、救助費用の総明細です」
「助かる……おお、読みやすくできてる」
「あとこちらは、毒物搬入疑惑に関する北方街道側の控えです」
「もうできたのか?」
「頑張りました」
「よくできた息子だ」
俺が言うと、リシュアンは目を伏せた。
「父上……お気をつけください」
「おう」
「父上は、ときどき、正しければ通ると思っておられます」
俺は固まった。
息子からの印象、それ?
俺、そんなにピュアか?
「ですので、バーデン殿の話をよく聞いてください」
「俺は子供かっ」
「わっ、やめてくださいっ」
俺はリシュアンの頭を腕で抱え込んだ。
リシュアンは慌てて逃げようとしたが、まだまだ甘い。
「……リシュアン、留守を頼むぞ」
「はい」
「あと、ちゃんと寝ろ」
「……わかってますよ」
そこで、リシュアンが少しだけ笑った。
「あなた」
次に声をかけてきたのは、リエネだった。
「こちらを」
リエネは、小さな革袋を俺に差し出した。
「薬と、針と糸と、替えの手袋です。王都へ着く前に、どれか一つは必ず失くすでしょうから」
「俺への信用が低くない?」
「経験に基づいております」
「……反論できんな」
リエネの指先は、少し冷たかった。
「助けてくる。必ず、とは言えんが」
「あなたが、できる限りのことをしてくださるのは存じております」
「……そんな、出来のいい男じゃないぞ、俺」
「いいえ。わたくしの夫ですもの」
さらっと言うな。
照れるだろ。
俺が咳払いをしたところで、バーデンが横からにやにやしていた。
「なんだよ」
「いえ、別に?」
「うるさいぞ」
「何も言ってないわよぉ」
言っている。
顔が。
その時、屋敷の玄関からレオン殿下が出てきた。
旅装に着替え、厚手の外套を羽織っている。
王都の若い貴族らしい華やかさはない。なんなら、おっさんくさい格好だ。
なのに、周囲の空気が変わる。
王都兵たちが、自然と姿勢を正した。
やっぱり、王子なんだよなぁ。
レオン殿下は俺たちの前まで来ると、深く頭を下げた。
「男爵。奥方。リシュアン殿。北方の皆様、お世話になりました」
「いや、殿下。まだ終わってないから」
「そうですね……。ですが、ここで受けた恩は、生涯忘れません」
そこへ、レオノーラが姿を見せた。
淡い水色の外套を羽織り、銀の髪飾りで髪をひとつにまとめている。
いつものように、貴族令嬢らしい落ち着いた足取りだった。
けれど俺には、昨日の休憩室で見た横顔が頭から離れなかった。
レオノーラは、レオン殿下の前まで歩いていった。
「レオン殿下」
殿下の表情がやわらいだ。
「レオノーラ嬢」
……いや、何だこの空気。
後ろでは馬が鼻を鳴らしているし、荷馬車の車輪はきしんでいるし、バルドが若い兵に荷縄の結び方で怒っているんだぞ。
なのに、二人の周りだけ別世界みたいになっている。
「王都までの道中も、王都に入られてからも、どうかお気をつけください」
「ありがとう」
「北方で、殿下のご無事をお祈りしております」
レオン殿下は、少しだけ沈黙し、それからまっすぐレオノーラを見た。
「レオノーラ。あなたに伝えた言葉は、変わりません」
レオノーラは、とても綺麗に微笑んだ。
「お待ちしております」
レオン殿下の目元が緩んだ。
だが、俺は胸がざわついた。
待つ、とは言った。
だが、何を待つのか。
迎えを待つ言葉なのか。
それとも、迎えが来ない日を待つ言葉なのか。
分からなかった。
「行ってまいります」
「はい。行ってらっしゃいませ」
レオン殿下が馬車へ向かうと、レオノーラはその背中を見送った。
俺は、その横顔を見た。
泣いてはいない。
それが、どうしようもなく嫌だった。
「レオノーラ」
俺が声をかけると、レオノーラはこちらを見た。
「……帰ったら、また茶を飲もう」
レオノーラは少し目を瞬かせ、やわらかく微笑んだ。
「はい。楽しみにしております」
俺は笑って頷いたが、胸の奥は重かった。
出発の合図がかかり、馬車の車輪がゆっくりと動き始めた。
俺は馬に乗り、隊列の先を見た。
北方の空は白く曇っていた。
春は近いはずなのに、風はまだ冷たい。
門の前には、リエネとリシュアンとレオノーラが並んでいる。
領民たちも、怪我の残る兵たちも、こちらを見送っていた。
俺は手綱を握り直した。
「行くぞ」
声をかけると、ギデオンが頷き、バルドが弓を背負い直す。
馬車の側面を軽く叩いたバーデンに、俺は小さく言った。
「……面倒事に巻き込んですまんな」
バーデンは、一瞬だけ目を丸くした。
「……ほんと、今さらね」
「改めて思うとな」
「まあ正直、面倒だけど」
「……だよなぁ」
「嫌なら来ないわよ。他の連中もね」
俺はバーデンを見た。
「……そっか」
少しだけ笑って、前を向く。
「王都に着いたら、酒を買い漁ろう」
「あら、いいわね」
馬車が、ゆっくりと進み出す。
俺たちが作った街道を、王都へ向かって。
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