【番外編】食事会
数カ月後。
王宮の騒ぎもようやく落ち着いた頃、俺たちは北方から再び王都へやってきた。
俺とリエネ、それからリシュアンの三人だ。
レオノーラの即位式が終わり、俺たちが北方へ戻る直前、レオン陛下と約束していた。
今度は一度、ゆっくり食事でもしよう、と。
その約束を果たすためだ。
場所は王宮ではなく、リエネの両親の屋敷である。
その話をしたとき、ユリウス殿下にも声をかけた。
「王宮ではなく?」
殿下は、わずかに眉を上げた。
「その方が気楽だろ?」
「それは、あなただけでは?」
そうかもしれんが。
「じゃあ……やめておくか?」
「別に、僕はどちらでも構いません」
なんだよ。
素直じゃないな。
そういうわけで、食事会の場所は義父母の屋敷に決まった。
王宮よりは堅苦しくない。
レオン陛下もレオノーラも、即位以来、ほとんど王宮から出られていないと聞いていた。
うん。
あいつらにとっては、よかったはずだ。
俺が息苦しいだけで。
「お前、何を勝手に王族を招待している」
先に屋敷を訪ねて事情を説明すると、義父は開口一番そう言った。
「いや……その。レオン陛下も喜んでいましたし」
「喜んでいれば、王と王妃と王弟を勝手に我が家へ招いてよいのか」
「でも、ほら……あいつらにも家族団欒を味わわせてやりたいというか……」
義父は眉間を押さえ、深く息を吐いた。
「お前の気持ちは分かった」
「本当ですか……!」
「だからといって、招かれる側と屋敷の主人を飛び越えて話を決めるな。準備をする人間の都合を、少しは考えろ」
「……はい」
正論だった。
横では、義母が嬉しそうに両手を合わせている。
「あなた、食器はどうしましょう。王家の方をお招きするときの作法……ああ、確か書庫に本があったはずだわ」
「いや、そんな大層なものじゃ――」
「お前は黙っていろ」
「はい……」
しゅん、と肩を落とす。
リエネは、そんな俺を呆れた目で見ていたが、その口元は少しだけ笑っていた。
「あなたが余計なことを言うからでしょう」
「余計じゃないだろ……大切だろ。家族で食事をするのは」
リエネが目を細める。
「ええ、そうですわね」
「だろ?」
「ですが、あなた一人で決めてよい話ではありません」
ぐうの音も出なかった。
◆
当日。
屋敷の前の通りには、朝から王宮の近衛兵が配置されていた。
物々しい鎧姿ではなく、上着の下に軽装の防具を身につけ、通行人に紛れるように立っている。
それでも、普段とは違う人の動きに、近隣の住民たちが遠巻きに屋敷を眺めていた。
やがて、王家の紋章を小さく掲げた黒塗りの馬車が、ゆっくりと屋敷の前に止まった。
前後を騎馬の近衛兵が固め、少し離れた場所にはもう一台、護衛を乗せた馬車が控えている。
……やっぱり大事になってるな。
なんか、すまん。
最初に馬車を降りてきたのは、レオン陛下だった。
濃紺の上着に、目立った装飾のない落ち着いた服装をしている。
続いて、淡い色のドレスをまとったレオノーラが降りてきた。
こちらも王妃としての儀礼服ではなく、北方にいた頃を思わせるような控えめな装いだった。
最後に馬車から姿を現したユリウス殿下も、年相応の仕立てのよい上着を身につけている。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
ユリウス殿下が、玄関前で綺麗に一礼した。
それを見て、義父と義母も深く頭を下げる。
「こちらこそ、わざわざお運びいただき――」
「どうか、あまり堅苦しくなさらないでください」
レオン陛下が苦笑した。
「今日は、家族の食事に呼んでもらっただけですから」
「……家族。ええ、そうですな」
義父が穏やかに微笑む。
その言葉に、レオノーラも嬉しそうに目を細めた。
「お祖父様、お祖母様。ただいま戻りました」
「おかえりなさい、レオノーラ」
義母は、王妃となった孫娘を前にしても、以前と変わらない声で迎えた。
レオノーラもまた、王妃としてではなく、一人の孫娘として義母の手を取る。
その様子を見つめるレオン陛下の表情も、ふっと和らいだ。
やはり、ここにして正解だった。
「姉上、改めて……即位、おめでとうございます」
リシュアンが一歩前へ出る。
「リシュアン」
レオノーラはぱっと顔を明るくし、そのまま弟へ近づいた。
「少し背が伸びたのではなくて?」
「前に会ったの、数カ月前ですよ」
「数カ月あれば伸びるでしょう」
「そんなに変わっていないと思います」
そう言いながらも、リシュアンは嬉しそうだった。
今度はレオン陛下が声をかける。
「リシュアン、私たちが王都にいる間、北方のことを任せてしまったな」
「いえ。途中からは父上も領地へ戻っていましたし、私はできることをしただけです」
「それでもだ。ありがとう」
リシュアンは少し照れたように視線を逸らした。
それから、改めてレオン陛下へ向き直る。
「兄上……ではなく、陛下。即位、おめでとうございます」
慌てて呼び方を直したリシュアンに、レオン陛下は笑った。
「ここでは兄上で構わない。以前のように、気軽に話してくれたら嬉しい」
「……分かりました、兄上」
リシュアンも、少しだけ笑った。
「リシュアン。こちらがユリウス殿下よ」
レオノーラが、今度は弟をユリウス殿下へ紹介する。
リシュアンとユリウス殿下は、互いの顔を見た。
「リシュアン・ヴァルグレイブです。お会いできて光栄です、ユリウス殿下」
「ユリウスです」
ユリウス殿下は一度うなずき、リシュアンを見つめた。
「あなたが、レオノーラ陛下の弟なのですね。よく話を聞いています」
リシュアンの眉が寄った。
「姉上。僕の何を話したの?」
「いろいろよ」
「本人の許可なく、いろいろ話さないでください」
「悪いことは話していないわ」
「本当ですか?」
「馬へ乗るとき、急ぐと今でも鐙へ足をかけ損ねることがあると聞きました」
ユリウス殿下が、平然と言った。
「姉上!」
「ほら、悪いことではないでしょう?」
「よくないです!」
ユリウス殿下が、わずかに口元を緩めた。
どうやら、初対面の挨拶としては悪くなかったらしい。
「立ち話も何ですから、どうぞ中へ」
義母に促され、俺たちは屋敷へ入った。
王と王妃と王弟を招いた食事会。
考えてみれば、ずいぶん大変なことをしてしまった。
玄関の外には近衛兵。
廊下の端にも、屋敷の使用人に混じって護衛が控えている。
厨房では、料理人たちが朝から顔を引きつらせていた。
あとで特別手当を出してやらないとな……。
レオノーラは楽しそうに義母と話し、レオン陛下は義父と並んで歩いている。
リシュアンも、さっそくユリウス殿下へ北方の話をしていた。
「北方には、冬になると湖がすべて凍る場所があります」
「湖が?」
「はい。上を歩けます」
「割れないのですか?」
「たまに割れますね。友人が悪ふざけで何度も跳んでいたら、足元が割れました」
「……なぜ、そんなことを」
「本人も、割れるとは思っていなかったそうです」
「その人は無事だったのですか?」
「近くにいた大人に引き上げられました。それからは、二度としないと言っていました」
「それは、そうでしょうね」
そんな会話を聞きながら、俺はリエネの隣を歩いた。
「なあ。やっぱり、ここにしてよかっただろ?」
「そうですわね」
「だろ?」
リエネは、前を歩く子どもたちを見つめた。
「あなたの思いつきには、毎回振り回されますけれど」
「毎回……?」
「ええ。自覚ありませんの?」
言い切られた。
すまん。まったく自覚がなかった。
「でも今回は、悪くありませんでしたわ」
「それ、褒めてるのか?」
「私なりには」
なら、まあいいか。
食事が始まると、最初こそ皆どこか緊張していたものの、義母が料理を勧めるうちに、少しずつ普段どおりの空気になっていった。
「こちらは、レオノーラが幼い頃から好きだった料理なのですよ」
義母が、レオノーラの前に置かれた皿を示して笑った。
「昔は好きなものばかり食べて、嫌いな野菜は綺麗にお父様のお皿へ移していたわね」
「お祖母様!」
レオノーラが慌てて声を上げる。
「見つかってお父様が叱ろうとすると、今度はお父様の口元へ料理を差し出すのです」
「その話はなさらないでくださいませ!」
レオン陛下は、興味深そうに義母へ顔を向けた。
「それで、お父上は?」
「陛下もお聞きにならないでください!」
「口を開けて待っていました」
レオン陛下が堪えきれずに笑った。
「ほかには、どのようなことを?」
「これ以上聞かないでくださいませ!」
レオノーラが止めるより早く、義母は嬉しそうに話を続けた。
「北方へ遊びに行ったときには、誰よりも先に雪の中へ飛び込んでいってね。服が濡れて冷たくなったと、泣きながら帰ってきたこともありました」
「お祖母様! その話までなさらないでくださいませ!」
「自分から飛び込んだのですか?」
「レオン陛下まで! 違う話にしてください!」
顔を真っ赤にしたレオノーラを見て、レオン陛下はますます楽しそうに笑っている。
どうやら、レオノーラも今日ばかりは王妃ではいられないらしい。
隣に座るリシュアンも、口元を押さえて笑っていた。
「姉上は昔から、じっとしていられませんでしたからね」
「リシュアンまで何を言うの!」
「本当のことでしょう。僕が部屋で本を読んでいると、いつも無理やり外へ連れ出して」
「あなたが放っておくと、一日中部屋から出なかったからでしょう」
「雪が降っている日にまで連れ出す必要はなかったと思います」
「あの日は、せっかく綺麗に積もっていたのよ」
「それで姉上は雪へ飛び込んで泣いたのですね」
「……あれは、思ったより深かっただけよ」
「僕まで巻き込まれました」
「最後は楽しんでいたでしょう?」
「姉上が帰らせてくれなかったからです」
姉弟の言い合いを、ユリウス殿下が不思議そうに眺めている。
レオン陛下はそれに気づくと、ユリウス殿下へ少し身を寄せた。
「驚いたか?」
「少し……。レオノーラ陛下にも、そのような頃があったのですね」
「もちろんよ。ユリウス殿下にも、幼い頃はあったでしょう?」
義母が笑いかけると、ユリウス殿下は少し考え込んだ。
「今も、十分に幼いと言われます」
「そうね。今のうちなら、少しくらい失敗しても大丈夫ですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。あとで家族に笑われるくらいで済みますから」
ユリウス殿下は目を瞬いた。
王宮では、王弟殿下に向かってそんなことを言う者はいないのだろう。
しばらく黙ったあと、わずかに顎を引いた。
「……失敗するつもりはありませんが、覚えておきます」
義母は楽しそうに笑った。
「ええ。それで十分です」
うん。
やはり、この屋敷にしてよかった。
俺が満足しながら料理へ手を伸ばした、そのときだった。
「ところで」
向かいに座っていた義父が、静かに俺へ顔を向けた。
嫌な予感がした。
「お前に聞きたいことが山ほどある」
「……俺、今日くらいは家族団欒を味わいたいのですが」
「安心しろ」
義父の笑顔は穏やかだった。
目だけは、まったく笑っていない。
「私とお前も家族だ」
逃げ道がなかった。
助けを求めてリエネを見る。
リエネは優雅に茶を飲みながら、にこりと微笑んだ。
「よかったですわね、あなた。お父様も、久しぶりにゆっくりお話ししたいそうですよ」
「リエネ……」
味方は、いない。
やっぱり、王宮にしておけばよかったかもしれない。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
途中、悩んだり迷ったりすることもありましたが、皆さまからいただいた温かい応援の言葉に何度も励まされ、最後まで書き切ることができました。
感想や応援を届けてくださった方、そっと最後まで見守ってくださった方、本当にありがとうございます。
父ちゃんたちの物語を、ここまで一緒に見届けていただけたことを、とても嬉しく思います。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




