【088】情報屋の実力
全身を覆い隠す黒いフード付きの服装に、複雑な幾何学模様が描かれた仮面をつけた謎の人物。
そんな、どこからともなく現れた怪しげな風体の男に、聖女を失って悲観に暮れていた剣聖エインですら瞠目した。
いや、むしろこの場では彼だけが知っている人物の登場に、まさかという思いを懐きながらも敢えて真意を問いただす。
「お、お前は情報屋……。なぜここに……」
「どいてくれ剣聖殿。いまはそれよりも、そちらの聖女様の息を吹き返さなければならないのでね」
聖女の息を吹き返す。
確かに情報屋がそう言ったのを聞いた剣聖エインは、そんなことが起こり得るのかという疑問を持ちながらも、しかしこの得体の知れない人物がそう言うのであればあるいは、という希望を心に灯した。
そもそもこの場において、自分たちに出来ることなど何もないのだ。
ただ神降ろしの反動を受け、死にゆく定めの聖女を見守る事しかできないのであれば、一か八かでも勝算のある方に賭けたい。
唐突に現れた情報屋のおかげで、少しだけ冷静さを取り戻した彼はそう考え、謎の人物を取り押さえようと身構える近衛騎士たちに指示を出した。
「待ってくれお前たち、この人は俺の知り合いだ。不正の証拠を提供してくれた、今回の立役者でもある。その人がまだ何か打つ手があるというのであれば、好きにやらせてやってくれ……」
「し、しかしエイン副団長……」
そう言うも、当然ながら近衛騎士たちは簡単に警戒を緩める事はできない。
なにも聖女を第一に考えているのは剣聖エインだけではないのだ。
人類の希望であり、皇女であり、今まさに神降ろしという奇跡を体現した本物の聖女に心酔しないものなど、教国の者には存在しなかった。
だがこの場で近衛騎士たちの間で交わされる問答など、情報屋であるチュウキューに関係があるはずもない。
「別にかかって来るというのならば止めんよ。気持ちは分かるのでね。無駄死にしたいのであれば剣を抜くと良い。聖女の魂を修復する片手間に相手をしてやる」
仮にも皇女の身辺を警護する最高位のエリート騎士たちに対し、一切臆さずに問答無用でズカズカと歩いて来る情報屋の姿は、どこか底冷えのするような殺気を纏っていた。
それは見る者が見れば、たとえここに教国が擁する十万の軍勢が存在しようとも、視線すら向けずにやるべきことを成すであろう実力が垣間見えるものだ。
これにはさすがの近衛騎士たちも息を飲み、剣を手に取ることすら忘れて立ち尽くすばかりであった。
そのことが剣聖エインにも分かったのか、正気を取り戻した部下が下手なことをしないうちにしっかりと釘を刺す。
「…………ッ!! いいか! これは命令だ! 彼への下手な手出しは、教国への反逆と見做す。分かったら静かにしろ。それとも、彼に殺される前に俺に殺されたいか?」
「は、はっ! 了解致しました、副団長!」
「それでいい」
彼等がやり取りをする中、こんな事にかまけるのは時間の無駄だと言わんばかりに無視を決め込む情報屋は、倒れ込む聖女の下に辿り着くと手を翳し、瞳を赤く輝かせる。
そこには本人にしか分からない魔法的な意味合いがあるのか、不思議な魔力の流れで何かを調査しているようにも見えた。
「どうだ情報屋。何か分かったか?」
「まあ、だいたいはな。確かに魂の一部が破損した今の状態だと、放置していれば死に至るか、良くて植物人間として二度と目を覚まさないだろう。しかし、ここをこうすれば……」
ぶつぶつと何かの言語を呟き、超越的な魔力制御で周囲に大小様々な魔法陣を浮かび上がらせると本格的な治療に入る。
しかもその魔法陣の数がとんでもなく、彼の周りにある魔法陣の数だけでも、優に数千個を超えるほどだ。
この数がどういう事を意味するのか、人間の基準では確かに一流の域にいるフランケル侯爵には理解できた。
いや、理解できてしまった……。
「ば、馬鹿な! 莫大な魔力で一つの巨大魔法陣を構築するならばともかく、必要最低限の魔力だけを利用して、数千個の魔法陣を併用して治療に当たるだと……。あ、ありえない……!!」
莫大な魔力による巨大魔法陣とは、聖女の起こした奇跡の究極魔法のことである。
もちろんそれも究極と言えるような一つの到達点だろう。
だがこの者はそんな選ばれた者にしか扱えない力任せの超常現象ではなく、極めさえすれば誰にでも可能な、極小魔法陣を描く「魔力制御」とそれら数千個を平行して維持する「処理能力」という観点で、人間の極致、いや、魔法の極致とも言える到達点を披露しているのだ。
あまりにも圧倒的な魔法の制御能力に、まるで芸術作品を見ているかのような気分に陥った侯爵は、心の中でひれ伏す。
「そうか! 分かったぞ……! あなた様は傷ついた聖女イーシャ様を助けに降臨された、魔法神様、なのでございますね?」
「違うが」
「いや、しかし……!」
「黙れ、作業の邪魔だ」
が、しかし。
にべもなく一刀両断される侯爵。
そうしてその超常的技術を持つ謎の男を彼らが見守る中、十分ほどが経過したころ。
ついに全ての処置を終えたのか、ふぅ、と一息ついた男の前には規則正しい寝息を漏らす、生気を取り戻した聖女の姿が横たわっていたのであった。
「お、お嬢様の顔色が……!」
「よし、これでいいだろう。しかし見事なものだな。まさかこの侯爵領に居る全ての病人と、既にアンデッドになっていた末期の不死病患者まで元の人間に戻すとは。こんなこと、俺にも不可能だぞ」
アンデッドになる前であれば自分にもどうにかできたが、完全に症状が進行してしまえば元に戻すのは不可能だったと、情報屋チュウキューは語る。
であるならば、約束通り想像を超える結末をもたらした聖女と剣聖には、それなりの褒美が必要だろうとも考えるのであった。
「誇れ、教国の者達よ。お前達の信ずる、聖女イーシャ・グレース・ド・カラミエラはそれだけの偉業を成し遂げたんだ。今回聖女を助けたことに対するお代は、それでチャラにしてやる。良いものを見せてもらったからな。それと剣聖……」
「な、なんだ?」
今回起きた騒動の元凶である不死病を広めた黒幕は、南大陸にいる。
もしこのままで終わらせたくないのであれば、向こうの大陸で旅を続ける金髪碧眼の少年と合流しろ。
ここから先は、この世界の今を生きる、お前達の物語だ。
それだけ言うと、彼は踵を返し、どこかへと消え去っていくのであった……。
◇
……あっぶねぇーーーー!!
うわ、あっぶねぇーーーー!!
もう少しで聖女ちゃん死んじゃうところだったよ!
召喚したのが下級神とはいえ、いきなり身の丈に合わない存在を降臨させるなんて何考えてるのよ!
もう少し向かうのが遅れたら、本当にぽっくり逝ってたね、あれは。
本気で間一髪だった。
「とはいえ、今回の本当の元凶はもう他大陸に逃げちゃってるんだよなぁ」
今回の騒動となる不死病、そして侯爵に「禁呪と偽った死の儀式」の魔法陣を用意したのは、全ては悪徳商人に偽装した魔族の手によるものだ。
どうやら目の上のたんこぶである教国を攻略するための第一段階として、どこぞの魔族が動き回っているらしいのだが、まあこれでその計画は見事にぶっ潰れたわけである。
たぶん、今回の件で聖女が釣れて始末できれば良し、もしそうでなくとも、教国における正義の象徴であった侯爵を陥れれば御の字とでも考えていたのだろうが、そうはいかんよ。
なにせあの国にはもう、罪を認め自ら当主の座を引くであろう侯爵の真っ当な正義感を継いだ妻と娘が復活しているんだからな。
あとは聖女ちゃんがフランケル侯爵家にどのような沙汰を下すかだが、まあ彼女たちの様子を見る限りではそんなに心配することもないだろう。
せいぜい元侯爵になるだろうガレリア・フランケルのおっさん個人の発言力が、ちょっと弱まるくらいである。
「それよりも問題は、あの魔族の動向だな……」
今は西大陸から南大陸に逃げた商人魔族、どうやらより上位の魔族、恐らくは四天王とか呼ばれるやつらの手下だったみたいで、計画が失敗したことを事細かく上司に報告しているらしい。
敵もなかなかのやり手のようだ。
だからこそ、このままでは煮え切らないであろうエイン君の為に有益な情報を提供してあげたのだが、あれで言いたい事は伝わっただろうか。
ちょっと端折り過ぎた気もするので、深読みしていないかが心配である。
「ま、どう転ぶかは分からんが。どうやら我が息子アルスには不思議な引力があるようだから、どこかで彼らは合流するのだろうな」
アルスは現在、俺の妻であるエルザの兄、エルガの案内で辿り着いたダークエルフの故郷を発ち、南大陸で起きる魔族の問題にちょくちょく対処しているところだ。
どうやら魔族は南大陸を中心として人間の攻略を進めることにしたようで、あの商人魔族も含め色々と工作をしているらしい。
数年前からやつらの動きが活発になってきたとは思っていたが、ようやく本格的に乗り出してきたようだ。
「さて、吉が出るか、凶が出るか。我が息子様の夢の続きを、楽しませてもらおうじゃないか……」
そうして俺は、いずれ仲間達と叶える夢を語ってくれるというアルスの旅に、再び目を向けるのであった。
これにて、幕間の章~教国の腐敗編~は終了です。
次回、一話だけエピローグ挟みます。




