第6話 マリア様
その時だ。
トントン......突如、誰かが自分の背中を叩く。
「ん? 何?」
圭一は反射的に後ろを振り返る。すると......
バコンッ!
「のうわぁ~!」
圭一は奇妙な呻き声を上げると、そのまま崩れるように倒れ落ちた。口からは血が滴り落ち、真っ白な雪が朱に染まる。余りの一瞬の出来事に、さすがの圭一もなす術がなかった。
すると地べたにうずくまる圭一の目の前に、30インチはあろうかと思われる大きな足が現れた。その足の持ち主は、圭一の髪の毛を鷲掴みにし、強引に立ち上がらせる。
「もう一人居たの知ってた?」
圭一の目の前に仁王立ちする男......それは、部下から隊長と呼ばれていた大門なる男に他ならない。
「お前、黙って見てりゃあ調子に乗りおって......おや、何だかいっぱい人が集まって来たぞ。おう、ゴンドラも着いたみたいだ。そろそろ終わりにせんとな。長居は無用だ。さあ、あの世に送ってやる!」
周りを見渡せばギャラリーはいつの間に数十人に膨れ上がっていた。ビールを片手に大いに盛り上がっている集団もいる。
そんなギャラリーの様子などには目もくれず、大門なる大男は圭一の襟首を掴み上げ、止めを刺すべく右腕を大きく振り上げたのである。
ダメだ......何も抵抗出来ない......終わった。
圭一の心が諦めの境地に達し掛けた正にその時だった。
トントン......
突如誰かが、大門の背中を叩く。
ん、何だ?......殴り掛かる寸前のところで背中を叩かれ、一瞬ではあるが、大男の体にバランスの崩れが生じる。次の瞬間、体が宙に浮き、気付けば大男の巨体は雪が積もる地面に転がっていた。
バサッ、バタバタ!
一体何が起きたんだ?!......大門は信じられないような表情を浮かべながら、雪まみれになった大きな顔を上げる。すると、そこに立っていたのは、一人の年若き女性だった。
大きな二重の目にブラウンのショートヘアー......童顔とも言えるその顔は、ニコッと愛くるしい笑顔を浮かべている。
圭一は、それまで火の消えていた両の目を爛々と輝かせ、思わずその者の名を叫んだ。
「エッ、エマさん!」
雪はなおも激しく降り続け、やがてそれは純白のリングを形成していく。
「圭一......遅れて悪かったな。大丈夫か? 立てるか?」
エマは口から血を流して倒れ込む圭一に優しく声を掛けた。実に痛々しい姿だ。これまで圭一とは、何度と無く共に死地を潜り抜けてきたが、たった一撃でここまでダメージを受けた圭一を見た事がない。
並外れた攻撃力も去ることながら、凡そ棒で殴られた程度ではびくともしない強固な身体を圭一は持ち合わせているはずだ。この痛々しい姿が意外でならない。
やがて圭一は、大門に不意討ちを食らった事への悔しさと、エマが助けに来てくれた事への嬉しさが混ざり合う、複雑な笑みを浮かべながら訴えた。
「エマさん......気を付けて下さい。こいつ只者じゃありません。パンチが全く見えませんでした。こんなの初めてです」
喋る圭一の口からはなおも血が迸っていた。口の中がざっくり切れているのであろう。
「分かった......注意するよ。それより早く美緒達を介抱してやってくれ。相当ダメージ受けてるぞ。それから......こいつは大丈夫。あたしに任せとけ。さぁ、早く行け!」
「御意!」
圭一は一言そう答えると、ふらつく足で立ち上がり、今地上に到着したばかりのゴンドラへと駆け出して行った。
よしっ、まずは0K......エマは1回大きく深呼吸すると、ゆっくり後ろを振り返った。その時大門が見たエマの顔は、圭一に話し掛けていた時のマリア様を彷彿させるような優しい顔と全くの別人であった。




