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ひと夏の友人  作者: 遊々
本編
9/23

第九話

 彼に姉のことを、自分が彼を忘れた経緯を話すのは、物凄く時間がかかった。どれくらい話していたかは分からないが、途切れ途切れに話したので相当かかっていたのではないだろうか。

 それでも彼は、そんな私の話を黙ってただひたすらに聞いていてくれた。全て話し終えると、極度の緊張からかまたあの症状がでた。胸が苦しくて空いている手で胸を抑えると、彼はゆっくりと頭を撫でてくれた。彼の手があまりに優しく触れるから、胸の苦しさは種類を変えた。バクバクと音を立てていた心臓は、今はドキドキと高鳴っている。それと同時にあの症状は鳴りを潜め、入れ替わるように恋の病の症状が出始める。一体今日一日で私は何度赤面すれば気が済むのだろう。

 恋とはなんて単純で、馬鹿馬鹿しいのだろう。でも今はそれにすら感謝できる。だっていつもの後ろ向きで卑屈な気持ちは、恋に押されて出てこないのだから。


 しかし撫でられるのは、子供扱いされているようでなんだか気に入らない。なのに嬉しくて、矛盾した心に戸惑った。恋をしてから矛盾ばかりで、自分の気持ちについていけないことが多々ある。それでもそれも楽しくて、やはり恐ろしい病なのだなと思った。

 徐々に平静を取り戻してきたので、再び口を開いて最後まで言いたかったことを言いきった。


「…そういう訳だから、私が全部忘れてあなたに会えなくなっちゃったの。ごめんなさい」


 ちなみに嫉妬の下りや、彼を姉に取られたくなかったなどの詳しい所はできるだけぼかして伝えた。黒歴史といえるであろう部分は誰だって人に話したくないと思うんだよね。

 そして彼への恋心を自覚してしまった今、過去の彼へ抱いていた好意と今抱いている好意の形は違えど、好意を抱いていたことは確かなので、それを彼に知られるのは耐えられない。恥ずかし過ぎる。

 よって内容を少しぼかしたのは必要不可欠だったのだ。好きな相手に子供の頃のことと言えど『あなたを取られたくなかった』なんてストレートに言えるか。無理だろう。

 でもぼかしきれているのか非常に不安である。ある程度伝えないと私が忘れるほどショックを受けたことが伝わりづらい。でも詳しい所を話すと嫉妬心に苛まれていた私がバレてしまう。さじ加減が難しい所である。彼が上手く誤魔化されてくれているといいんだけれど。


 全て話し終えてしばらく待っても、彼から返事がない。風が吹いていない今、私たちの周りを重い沈黙が包んでいた。せめて風でも吹いていれば、もう少し軽かったかもしれないのになどと馬鹿なことを考えた。平静を取り戻したが、冷静さまでは取り戻せていなかったようである。


 もしかして彼は私が一方的に忘れて会いに行かなくなってしまったことに、腹を立てているのだろうか。

 待ち合わせをしなくても会うのが当然のようになっていた私たち。それは私たちの、約束も同然の暗黙の了解だった。だから私がその()()を突然破ったようなことをしたのが許せなかったとしてもおかしくはない。それとも来なくなった理由があまりに馬鹿馬鹿しくて、呆れられてしまっているのだろうか。

 そう考え始めたらもう駄目だった。怖くて怖くて、身体が震えた。こんな身勝手な理由で会いに行かなくなった私を、彼は許してくれるのだろうか。

 怖くて震える手が、一層強く握られた。日の光が当たらずに黒く染まった地面から視線を彼の方に向けると、何故かポロポロと涙を流す彼がいた。泣きそうだった顔は、今はもう泣き顔になっている。


 待って、なんであなたが泣いてるの。今の話の中で、泣ける要素などなかったと思うのだけれど。

 戸惑いつつも、とりあえず私は空いている方の手で彼の涙を指で拭った。いつか彼が、私にしてくれたように。


「…どうしてあなたが泣くの」

「だって」


 拭っても拭っても、大粒の涙が零れてくる。

 こんな時にこんなことを思ってしまうのもなんだが、彼の泣き顔はとても綺麗だった。


「君は、僕が嫌いになったわけじゃなかった。だから、嫌いになったから会いに来てくれなくなった訳じゃなかった…。それが凄く、嬉しくて」


 もう少しで嗚咽が漏れそうな、少し苦し気な声。だけど顔は嬉しそうに笑っていて、なんだかそれがおかしくて私も少しだけ笑った。


「僕は君にずっと嫌われたと思ってた。だから君を久々に神社で見かけたとき、声を掛けるか迷ったんだ。でも、あの時声をかけて良かった。君に、嫌われていたわけじゃなかったんだから。こうしてまた君と、昔のように過ごせているんだから」


 私は、どれだけ長い間彼を苦しませてしまったのだろうか。安心したような顔をして、本当に嬉しそうに笑う彼を見ていると、心が苦しくなった。

 もう高校生になったのに、こんなに泣くほどずっと私に嫌われたんじゃないかと気にしていた彼。私が忘れてしまったことが、彼を苦しめていたなんて思いもしなかった。

 それと同時に彼が私と過ごした日々を、こんなに大切にしていてくれていたことが嬉しい。私と遊んで、楽しいと思ってくれて、こんなに大切に思っていてくれた人がいたなんて。私にもそう思われるくらいの価値はあったんだな、と温かい気持ちになった。

 そして弱々しい姿を晒す彼を、私は謝罪の意味も込めて抱きしめた。普段ならこんなこと絶対できないけど、今だけはできる。きっと今勇気を出さなかったら私は、これからも勇気を出すことができないから。


「ごめん。私があなたを忘れてしまったことが、今の今まであなたを苦しめてしまうような結果になるなんて思わなかった。本当にごめんね」


 私以上に震えている彼の身体を、更に強く抱きしめる。彼を抱きしめるなんて彼を好きだと自覚した私にはあり得ない行為だが、今は恋心はちらつきもしないから平静でいられている。

 多分、泣いている子供を抱きしめる母親のような気持ちでいるからだと思う。子供を産んだこともないのに何を言う、という感じだがそういう気持ちになってしまっているので仕方がない。

 私は彼が落ち着くまで、ひたすらに彼の体温に寄り添っていた。


 彼を抱きしめたまま夜空を眺めていると、身動き一つとらなかった彼がもぞりと動いた。私が抱き着いているのは邪魔かと思い、離れようと腕を解くと逆に私が彼の腕の中に収められていた。


「僕を離さないで」

「…離さないのはあなただと思うんですが」

「だって腕解いたら離れていっちゃうじゃん」

「暑いし、落ち着いたからもう大丈夫でしょ?」

「まだ大丈夫じゃない」

「嘘つけ」

「あはは、バレたか」


 どうやら彼は軽口を叩ける程度には回復したらしい。そのことに安堵すると、途端に今の状況が思い出されて羞恥心が湧き上がってきた。

 彼の腕から逃れようとするが、なかなか強力な力で私の身体を拘束しているので抜け出せない。

 待って、今は母親の気持ちじゃないから。落ち着いていられないから。今の私はただの16歳の女の子だから!だから離して!


「いい加減腕を解いて!」

「なんで?」

「なんでじゃない!やっぱりあなたは女の敵だ!」

「え!?敵じゃないよ!ごめん!」


 やはりこの言葉は効果覿面(こうかてきめん)のようだ。切り札は持っておくべきだな。

 彼が焦ったように急いで腕を引っ込めた。やっと解放してくれたので、私は彼と適度な距離(60cmくらい)をとりつつベンチに座りなおした。彼は苦笑しながらその距離を詰めることなくベンチに座る。流石、分かってるね。これ以上近づいて来たら思いっきり離れてやろうと思っていたところだ。

 もう少しで恥ずかし過ぎて倒れるかと思った。イケメンの抱擁は恐ろしい威力を持つのだな。幼気な女子高生をあっという間に茹で上がりそうなほど真っ赤な顔にしてしまうのだから。


 彼に翻弄され、私はいつの間にか疲労と喉の渇きを覚えていた。喉が渇いていることに関しては、先ほどダッシュをしたからというのと、夏の暑さのせいもあるかもしれない。

 飲み物が欲しくなり、私はベンチから立ち上がって彼に声を掛けた。


「ごめん、喉渇いたから飲み物買ってくる」

「僕が買ってくるよ。何が飲みたい?」

「いや、いいよ。自分で買えるから」

「僕に買わせて。それが浴衣のお礼だと思って」

「それ、お礼になってないと思うんだけど」

「いいから」


 これ以上続けても不毛な争いになりそうだったので、仕方なく私は折れることにした。

 彼に冷えたお茶を頼み、ベンチで待機した。嬉しそうに買いに行った彼を見ていると、なんだかパシリをさせてしまったようで申し訳なさが込み上げてくる。でもそれをお礼だと思えと本人に言われてしまえば、私はそれに従うしかないのを彼はよく分かっている。彼が私のことを理解してくれていることが、なんだか少しむず痒かった。


 ベンチでぼーっと彼の帰りを待っていると、昔を思い出す。確か、前もこんなことがあった。

 あれは彼を忘れる切っ掛けとなった嫌な記憶だ。私がベンチを離れてしまったから、姉と彼を見つけてしまったのだ。苦いものが込み上げてくるのを無理やり飲み込み、夜空を見た。

 星空はこんなにも綺麗なのに、どうして私の心の内はこんなにも汚いのか。いくら前より前向きになれたとはいえ、私はやっぱり後ろ向きに考えてしまうのがデフォルトになっているらしい。

 少しは変われたが、根本は変わっていないのだという現実を改めて知らされたような気がした。


 空を見上げていると、知っている声がした。あれはテストが返却された時に、通知表を受け取った時に勝手に私のを覗いてきた、終業式の日に敵認定をしたクラスメイトの声だ。

 気のせいだと思おうとしても、嫌な声は耳に入ってきてしまう。どうやら友人と夏祭りに来ているらしい。このベンチで休憩しようという声まで聞こえてきた。

 あんな奴と顔を合わせるなんて冗談じゃない。ベンチを離れるのは彼に待っていてと言われているのもあり、得策ではないが致し方ない。あいつらが来る前に、私はベンチをあいつらの声がしない方へと向かって颯爽と離れた。


 声が聞こえなくなった頃、彼に何も伝えていないことを思い出して彼を探した。嫌な思い出が甦るが、今はこれしか手段がなかった。

 彼を探して屋台のある通りを彷徨っていると、彼を見つけた。彼はお金を渡して飲み物を受け取っている所だった。丁度いい時に見つけたな、と声を掛けようとして喉が凍り付いた。


 姉が、彼のすぐそこにいたのだ。

 彼は、気付いていない。


 とてつもない既視感と、嫌悪感。いつか見た場面そのままだ。吐き気が込み上げてきて、今見ているものから目を逸らしたいのに逸らせない。

 姉が彼に話しかけるのではないか。彼が気付いて姉を気に入るのではないか。そう思ったら、目を離すことなどできなかった。

 だけど、何事もなく二人はすれ違うかもしれない。姉は彼に惹かれないかもしれない。彼は姉に気付かないままかもしれない。そんな期待をして不安を打ち消そうと足掻いた。


 だがそれも無意味だった。姉が、遂に彼に話しかけたのだ。

 頬を上気させ、誰もが見惚れるような蕩けそうな表情で彼を見る姉は、女の私が見てもとても色気のある愛くるしい顔をしていた。彼が話しかけてきた姉に気付き、姉の方を見た。

 これ以上は、見たくない!

 彼から視線を外そうとすると、一瞬だけ彼と目が合った。だけど私は怖くて、もう彼を見ることなく背を向けて駆けた。


 それからはあまり覚えていない。慣れない下駄で無我夢中で走り、家まで辿り着いた。家の扉を開いたら下駄を脱ぎ捨て、自分の部屋の襖を乱暴に開け、部屋に入ると力一杯襖を閉めた。電気も点けずに暗い部屋の隅に座り込み、小さく丸まって座った。座ってから足が凄く痛くなっていることに気付いたが、それどころではなかった。


 足よりも、心の方がずっと痛かった。


 彼にまた、昔と同じようなことをしてしまった。別れも告げずに私だけ勝手に帰ってきてしまったので、前より酷いかもしれない。

 彼はあんなに私と会えなくなることを、恐れていたのに。私に嫌われてなかったって、嬉しそうに泣いてくれたのに。私は何をしているんだろう。

 姉と彼が出逢ってしまったのを見たら、一目散に逃げだしていた。言い訳にしかならないけれど、考えるよりも身体が先に動いていたのだ。

 謝りたいのに、今は会いたくなくて謝れない。今彼に会ったら、私は昔のように彼に的外れな八つ当たりをしてしまいそうで怖かった。

 私は過去の私から全然成長していないようだった。呆れるほど愚かな、幼い子供のまま。渇いた笑いが部屋の中に小さく響いた。


 ふと、彼に借りた浴衣が目に入る。これは彼に借りた浴衣だ、だからいつかは返さなくてはいけない。返さなければいけないということは、彼に会わなくてはいけない。

 そんな当たり前のことに気付き、嫌な汗が背を伝った。こんな高級そうな浴衣をずっと借りている訳にはいかないので、彼に返す為に会わなくてはいけない。

 そして彼は夏の間しかこちらにいないといっていた。つまりいつまで彼がこちらにいるかは分からないのだから、なるべく早くに返さなくてはいけない。

 会いたくないのに、彼に浴衣を返す為に会わなくてはいけない。心も頭も整理ができずに唸っていると、襖を叩く軽い音がした。


小夏(こなつ)、いるの?」


 聞こえてきたのは、母の声だった。

私生活が忙しくて更新が遅くなりそうです。

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