夏の友人 陸
屋台でラムネを買おうとしたら、隣に彼女がいないことに気付いた。
慌てて周りを見回してみるが、彼女の姿はどこにもない。彼女とはぐれてしまったようで、僕は焦った。
浮かれていて彼女の浴衣の裾を握るのを忘れていた。しくじった。
人混みを速足ですれ違いながら彼女を探すが、彼女は見当たらない。焦燥感は増すばかりで、僕は闇雲に足を動かすしか出来なかった。
やっと彼女を見つけたのは、人気のない拝殿の裏だった。彼女はその場に蹲り、どこか様子がおかしい。
「やっと見つけた!」
僕の声に反応して顔を上げた彼女の顔は、真っ青になっていた。
「急にいなくなるから驚いたよ。どうしたの?何かあった?」
彼女は何も答えず、言葉の代わりに涙を流した。迷子になって僕を見つけたときと、同じ表情をしていた。
僕は彼女の為に、何がしてやれるだろう。抱きしめてあげたいけれど、そんなことをしたら敵認定されそうで、出来ない。僕はどうしたらいいか分からなくて、何が彼女にしてあげられるか分からなくて、相当焦っていたらしい。
そんな僕を見た彼女が、笑ってくれた。
良かった、笑えるくらいには元気があるみたいだ。
「…ベンチに行こう。そこでもう一度ゆっくり休もう?」
こくりと頷き立ち上がろうとする彼女に、手を出した。今の僕には、こんなことしかできないから。
少し迷った様子だったが、彼女は僕の手をとってくれた。
僕と手を握るのは彼女は嫌だと思うけど、嫌がられても、今は彼女を離したくない。彼女が手を振りほどこうとしたが、僕はその手を強く握った。
「迷子になったんだから、大人しく繋がれてないと駄目だよ」
そう言うと、彼女は抵抗することをやめて大人しく僕に手を委ねた。
僕は彼女の手を引いて歩いている間中、嬉しさと不安とでごちゃ混ぜになった気持ちを抱え、ベンチに向かった。
ベンチに着くと、二人で座った。手は、離さない。
彼女は何も言わず、僕も何も言わなかった。彼女はじっと地面を見つめ、沈黙を貫いている。
泣いていた理由を教えて欲しくて、地面じゃなくて僕を見て欲しくて、握っていた手をさらに強く握った。
すると彼女は驚いて僕の方を見た。
「やっと僕を見てくれた」
悪戯に成功した子供みたいな顔をしていたらしく、そんな僕を見て彼女は不貞腐れたような顔をした。
「な、何ですか…」
「せっかく隣にいるのに会話もない、目も合わせないのは寂しくて」
「そ、そうですか…」
僕の方は向いてくれた。
あとは、涙の理由が知りたい。
「ねえ、さっき何かあったの?」
「いえ、その…足を痛めて少し休んでいただけです」
「嘘は駄目だよ」
そう言うと、少し赤かった顔は真っ青になった。
彼女は泣いていた理由を、隠したいらしい。だけど僕は、知りたいんだ。
「足を痛めただけであんなに顔を真っ青にして蹲っているわけないでしょ?何があったの」
「そ、れは…」
「僕は君が心配なんだ。どうか教えてくれないかな」
悲しい顔をしているより、君は笑っている方が絶対素敵だ。
だから僕は、君が笑顔になる為にはなんだってするから。
「ねえ、お願い。どんな些細なことでもいいから、僕は君の憂いを取り除きたい」
例え僕が、君の憂いの原因かもしれなくても。
君は、僕と別れた理由を思い出して、泣いていたの?
だとしたら、僕とはもう、会ってくれないのかな。
でも僕は会いたいよ。ねえ、小夏ちゃん。僕はどうしたらいい?
「あなたは…私と会えなくなるのが、怖いの?」
突然、彼女がそう言った。
僕は心臓が止まるかと思った。やっぱり、思い出したの?
なら僕は、僕の思っていることを伝えなくちゃ。
「僕はもう、君とあんな別れはしたくないんだ…」
「あんな、別れ?」
あんな別れ。彼女は不思議そうな顔をしている。
別に別れの理由を思い出した訳ではないのか?
でもこの際、思い出してもらった方が、僕の為でも彼女の為でもあるのかもしれない。
僕は彼女に少し、僕から核心に近い過去のことを話す。
「前に、次の年の夏から君が神社に来なくなったって言ったでしょ?」
「うん」
「…本当は違うんだ。本当は夏祭りで会った次の日から、君は神社に来なくなった」
そう言うと、彼女はハッとしたような顔をして、黙ってしまった。
今度こそきっと、別れの理由を思い出したのだろう。
僕は俯いて、彼女が口を開くのをただただ、待った。
「…ごめんね、また明日って言ってくれたのに返事しなくて」
しばらくすると、彼女がそう言ったのが聞こえた。顔を上げると、申し訳なさそうな顔をした彼女がいた。
何故、そんなに申し訳なさそうな顔をしているの?驚いて目を見開いた。
「思い…出したの?」
「少なくとも、会わなくなった切っ掛けは思い出した」
ああ、ついに思い出してしまったのか。
僕は今まで伝えることすら叶わなかった、11年分の想いを彼女に伝えた。
「ごめんね!最初は君が来なくなって、病気にでもなって会いに来れなくなったと思っていたんだ。だけど何日か待っても君は来なかった。それで僕は君と最後に会ったときのことを思い返して、君がまだ怒っているんじゃないかって思った。僕はあの日、君の気に障るようなことをしてしまっていたのかって思ったら、焦ったんだ。まさか君が会いに来てくれなくなるなんて思わなかったから。僕はあの日あの場所で最後に見た君の不機嫌そうな顔が、ずっと忘れられなかった。そしてずっと後悔してたんだ。不快な思いをさせてしまったかもしれないことを。そして謝ることもできずに君が来るのを待っていることしかできない自分の不甲斐なさを、噛み締めることしかできなかった」
一気に話してしまったが、彼女に伝わっているだろうか。
一息ついて、もう一度口を開いた。
「やっぱり僕が君の気に障るようなことをしちゃってたのかな?だから君は怒って僕に会わなくなってしまったのかな?至らなかった僕で、本当にごめんね…」
やっと、伝えられた。
彼女は、何を思っただろうか。
「ち、違うの!あれは私が悪いの!あなたは全く悪くないから謝らないで!」
彼女の反応は、僕の予想とは全然違ったものだった。
彼女が悪い?どういうことなのだろうか。
「でも…」
「でもは、なし!今からその理由を教えるから黙って聞いて!」
彼女は、僕に会わなくなった理由を教えてくれるという。
僕はそれを教えてくれるに値する存在なのだろうか。
「話して…くれるの?」
「……それが、一番手っ取り早いから」
「ありがとう!」
ありがとう、小夏ちゃん。
僕がずっと知りたかったものは、僕が思っていたものとは、全然違うものなのかもしれない。
聞くのはやっぱり怖いけれど、彼女と繋がっているこの手が、僕に勇気をくれる。
僕は、彼女がぽつりぽつりと呟くように話すその内容を、聞き漏らさないように黙って横で聞いていた。
◇ ◇ ◇
彼女の話を聞いていてわかったのは、彼女が来なくなったのは、彼女が泣いていた理由は彼女のお姉さんが原因のようだということだった。
どうやら彼女はお姉さんにコンプレックスがあるらしく、僕を見ていたお姉さんを見て、僕がお姉さんの方に取られてしまうと思ったようだった。
僕が君以外に靡くなんてこと、ないのに。彼女は姉にコンプレックスを抱きつつも、無意識にどこか崇拝しているような感じがある。彼女自身は気付いていない。
きっと彼女のお姉さんに対する気持ちというのは、僕が考える以上に複雑で、難しいものなのだろう。それこそ、僕を忘れてしまう程に。それ程までに、彼女をお姉さんが縛っている。
彼女のお姉さんが、羨ましい。彼女を占める多くが、お姉さんじゃなくて僕になればいいのに。僕は彼女のお姉さんに嫉妬した。
話を聞いて、僕が原因じゃないというのは確かなようで、僕はやっと、何かから解放されたような気持ちになった。
「…そういう訳だから、私が全部忘れてあなたに会えなくなっちゃったの。ごめんなさい」
君が謝ることなんて、何もないよ。
僕は君が、僕に怒って会いに来なくなった訳じゃないって分かって、嬉しいんだ。
安心感に包まれて、言葉を口にする代わりに涙が出てきた。
「…どうしてあなたが泣くの」
彼女が僕の涙を拭ってくれる。
君から僕に、触れてくれている。嬉しくて、口の中に留まっていた言葉たちが零れ落ちた。
「だって君は、僕が嫌いになったわけじゃなかった。だから、嫌いになったから会いに来てくれなくなった訳じゃなかった…。それが凄く、嬉しくて」
本当に、嬉しいんだ。
泣いているのに笑っている僕を見て、彼女もおかしそうに笑った。
「僕は君にずっと嫌われたと思ってた。だから君を久々に神社で見かけたとき、声を掛けるか迷ったんだ。でも、あの時声をかけて良かった。君に、嫌われていたわけじゃなかったんだから。こうしてまた君と、昔のように過ごせているんだから」
零れる言葉はどれも、11年間溜め込んでいたもので。中々止まってはくれない。
そんな僕を見て、彼女は優しく抱きしめてくれた。
「ごめん。私があなたを忘れてしまったことが、今の今まであなたを苦しめてしまうような結果になるなんて思わなかった。本当にごめんね」
そう言って強く抱きしめてくれる彼女の抱擁は、祖父母のそれととても似ていて。温かくて、安心感から涙が流れるのを促した。
君がそんな風に思うことはないよ。僕が勝手に苦しんでいただけなんだから。そう言いたいのに、喉が締め付けられるように痛くて、言葉には出来ずに口の中で消えていった。
僕はただ、彼女の体温に寄りかかるしかできなかった。
しばらくすると涙も嗚咽も止まった。僕が寄りかかっているのは重いかと思い動いたら、彼女が抱きしめるのを止めようとしたので僕は咄嗟に彼女を抱きしめた。
「僕を離さないで」
もう少し、君の体温を感じさせて。もう僕を、置いていかないで。
「…離さないのはあなただと思うんですが」
「だって腕解いたら離れていっちゃうじゃん」
「暑いし、落ち着いたからもう大丈夫でしょ?」
「まだ大丈夫じゃない」
「嘘つけ」
「あはは、バレたか」
彼女とくだらないやりとりが出来るくらいには、僕は落ち着きを取り戻したようだ。
だけど、離さないでほしいのは本気なんだけどな。
「いい加減腕を解いて!」
「なんで?」
「なんでじゃない!やっぱりあなたは女の敵だ!」
「え!?敵じゃないよ!ごめん!」
僕の邪な思いを察知したのか、さっきまでの優しかった彼女はどこへやら、いつもの彼女が戻ってきた。
慌てて腕を解くと彼女は僕から結構な距離をとって座り直した。思わず苦笑してしまう。
しばらくすると彼女はベンチから立ち上がり、少し赤い顔をして僕に話しかけてきてくれた。
「ごめん、喉渇いたから飲み物買ってくる」
「僕が買ってくるよ。何が飲みたい?」
「いや、いいよ。自分で買えるから」
「僕に買わせて。それが浴衣のお礼だと思って」
「それ、お礼になってないと思うんだけど」
「いいから」
彼女は色々と思い出して疲れているだろうし、さっきのこともある。
ここでゆっくり休んで待っていてもらうことにした。
お茶が欲しいといった彼女の要望を叶える為に、屋台に並んだ。時間帯のせいなのか、さっきよりも混んでいてすぐにはお茶は買えそうにない。
早く彼女に会いたくて少し苛々して並んでいると、見知らぬ女性に話しかけられた。
「あの、すみません」
その女性は、どことなく彼女に似ている気がした。
ふと視線をその女性から外すと、彼女と目が合った。血の気が引いた顔色で、目が合ったと思ったら、彼女はそのまま走って僕から遠ざかっていく。
彼女を追っていこうとすると、さっきの女性が話しかけてきた。
「あ、あの!少しだけ、話を聞いてもらえませんか!」
今はそれどころじゃない。早く彼女を追いかけないと。
「ごめん、人を待たせてるんだ」
「お願いします!少しでいいんです!時間を下さい」
鬱陶しい。だけどこういうタイプの奴は、話を聞くまで粘る。
「…分かった。場所を移そうか」
「はい!」
彼女がいなくなってしまったのなら、もうお茶を買う必要なんてない。
僕は見知らぬ女性に憎しみを覚えそうになりながら、並んでいた屋台から離れた。
小夏ちゃん、どうして君は僕を、置いていってしまったの…。
夜陰くんが闇落ち寸前な件について。




