記憶 3
暫くの間、みんなで話をしていると、部屋の扉がノックされた。ローザさんが扉を開けると、金髪オールバックの穏やかそうなお兄さんが部屋に入って来た。デッサンもあったし、この人は私が記憶を失う前に交流があった人だろう。確か、ノイモーントさんは、フォーゲルシメーレさんが薬を持って来てくれると言っていたし、この人がそうだと思う。
「解呪の薬、お持ちしました。こちらは傷薬です」
フォーゲルシメーレさんはシュヴァルツに二つの容器を手渡した。黒の容器と緑の容器。黒が解呪の薬らしい。変な材料、使ってないよね? ちょっと心配になってしまう。
「それ、私に塗るんですよね?」
「ええ」
フォーゲルシメーレさんは穏やかに微笑み、こくりと頷いた。一見すると悪い人ではなさそうだ。嫌な感じもしない。でも、念には念を入れておかないと!
「何が入っているんですか? 変な物、入れてないですよね?」
「変な物?」
「ナントカの爪とか、ナントカの目玉とか」
私の発言に、フォーゲルシメーレさんが思わずといったように噴き出した。何かおかしなことを言ったのだろうか? 急に笑われるとか、あまり良い気はしない。ちょっとムカッとなってしまった。
「何か?」
「失敬。記憶を失くされていても、性格は変わらないものだなと。アオイ様はアオイ様なのだな、と――」
笑いを堪えるフォーゲルシメーレさん。私は私? 意味が分からない。ふと、隣に座っているシュヴァルツを見ると、彼は何故か明後日の方向を向いて、肩を震わせていた。この人、こうやって笑う事があるのか。あまり表情が変わらない人なのかと思っていた。意外。
シュヴァルツの後ろでは、ラインヴァイス君が下を向いて必死に笑いを噛み殺している。そんな彼を、アイリスちゃんがキョトンとした眼差しで見つめていた。アイリスちゃんだけじゃない。ブロイエさんもローザさんも、キョトンとしたようにシュヴァルツやラインヴァイス君、フォーゲルシメーレさんを見つめていた。私の発言は、三人にしか分からない笑いのツボだったらしい。
「何でそんなに笑うの? 私、そんな変な事言った?」
「いや」
シュヴァルツに尋ねると、彼は首を横に振った。そして、私の頬に手を伸ばす。私は何故か、それを当たり前のように受け入れてしまった。シュヴァルツが言っていた通り、彼が私の夫だからなのだろうか?
「フォーゲルシメーレが言った通りだ。アオイはアオイなのだな、と」
「どういう事? 意味が分からないんだけど!」
「この城に来たばかりの頃、お前は熱を出した。その時、フォーゲルシメーレの薬湯を見て、同じ事を言っていた」
シュヴァルツの目が細められる。彼のこの顔、ちょっとドキドキする。こういう穏やかな表情も出来るんだ……。
「同じ事……?」
「ああ。薬湯の中に、ナントカの爪とナントカの目玉が入っているのではないか、と」
そうか。私、知らず知らずのうちに、全く同じ発言をしていたのか。そりゃ、笑いたくなるかもしれない。
「不安ならば、薬の原料を見るか」
「え? あ、うん」
「フォーゲルシメーレ。持って来い」
「はっ」
フォーゲルシメーレさんは私達にお辞儀をすると、虚空に姿を消した。手間を掛けさせてしまっただろうか? でも、何から出来ているのか分からないと、安心して使えないし……。
「今朝、肉に手を付けなかったな。あれも、お前がこの城に来たばかりの頃と同じ行動だった」
「だって……。何のお肉か分からないし……」
「そうだな。またゆっくりここでの生活に慣れていけば良い。再び、アオイと共に食物を確認しに行くのも悪くない」
再び……。記憶を失う前も、食べられる物と食べられない物を確認していた事があったのだろうか? シュヴァルツは、そこまで私に心を砕いてくれていたのだろうか? もしかして、彼は私をとても大切にしてくれていたんじゃ……。それなのに、私はそれを何も覚えていない。共に過ごした日々を忘れてしまっている。思い出したい。彼と過ごした日々を。私は心の底から、そう強く願った。
午後になり、シュヴァルツに連れて来られたのは農園だった。何でも、私は何度もここに足を運んでいたらしい。目的は、食べられそうな物を確認する為だったとか。元の世界と似た動物や野菜が無いか、一つ一つ確かめていたらしい。
私とシュヴァルツは、一つの建物の前までやって来た。その建物は、レンガ造りの頑丈そうな小屋だった。中から動物の鳴き声らしきものが聞こえるし、動物園みたいな臭いもしている。ここは家畜小屋なのだろうか?
小屋の中から一人の男性が出てきた。無造作ヘアのワイルド系イケメンだ。デッサンにも描かれていたし、私と交流があった人なのだろう。
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げる私を、ワイルドイケメンは何故か複雑そうな表情で見つめていた。どこか悲しげにも見える表情だ。彼の顔を見て、何故か、しょげた大型犬を想像してしまった。
「お話に聞いておりましたが、本当に記憶が……」
「ええ。まあ……」
「あ。俺、ヴォルフって言います」
「ヴォルフ、さん?」
「ヴォルフって、呼び捨てで構いませんよ。いつもそう呼んでおられましたから」
にかっと笑うヴォルフさんに、私も微笑み、頷いてみせた。この人の事は嫌いじゃないみたいだ。肩ひじを張らずに付き合えるタイプな気がする。どこか、大型犬を彷彿とさせる懐っこさが、彼にあるからだろうか?
「案内しろ」
「はい」
ヴォルフはシュヴァルツの言葉に頷き、開け放たれた扉の前で「どうぞ」とでも言うように、手で中を示した。シュヴァルツが先に中に入り、私もそろそろとその後に続く。虫とか、いたら嫌だな……。
建物の中は広大な空間が広がっていた。外から見るよりずっと広い。見渡す限り家畜小屋って、いったいどうなってんの? 部屋のクローゼットもそうだったけど、物理法則は完全無視ですか? ……あ。空間拡張とか、そういう魔術を使っているのかな? ラノベなんかでよくあるよね。
家畜小屋には、筋骨隆々の牛や、角の生えたウサギ、ユニコーンっぽい角のある馬がいた。結構な頭数がいる。いったい、何頭いるんだろう? 一、二、三、四――。
「ここ、アオイ様の専用家畜小屋なんですよ」
え? 何だって? 私はヴォルフの説明に、ギョッとして家畜小屋を見回した。広い。かなり広い。ここが私専用の家畜小屋って事は、これ、全部私の為に用意された家畜? 何てこった! まさか、私にこんな物まで用意されていたなんて! 私には贅沢過ぎる! こんなの、必要ありませんッ!
「アオイ様、べへモスやジズなんかが食べられないじゃないですか。この城に来たばかりの頃、アオイ様が食事を摂らなかったのを、竜王様がそれはそれは心配して――」
「ヴォルフ」
シュヴァルツが遮るようにヴォルフの名を呼んだ。彼はヴォルフの事を射殺さんばかりの目で睨んでいる。ヴォルフはそんなシュヴァルツに苦笑を返した。
「申し訳ありません」
素直に頭を下げたヴォルフに、シュヴァルツは舌打ちをする。こらこら。舌打ちは止めなさい。ガラ悪いよ。せっかくの美形が台無しになっちゃうでしょ。
「で。話の続きですけど、アオイ様のお食事には、ここで育った動物の肉以外、出さない事になっているんですよ。アオイ様にお聞きした限りでですが、元の世界と変わらない育て方をしているので、肉は安心して食べて下さい」
元の世界と変わらない育て方……。ふと、牛の口元に目をやると、藁みたいな干し草と、トウモロコシみたいな穀物っぽい物を混ぜ合わせた餌をもしゃもしゃと食んでいた。角の生えたウサギは、キャベツっぽい葉っぱと人参みたいな物をもりもり食べているし、ユニコーンらしき馬は干し草を食べている。
「わざわざそこまでしてるの?」
「ええ。竜王様の指示で」
「シュヴァルツが?」
「はい。アオイ様の食事は、出来る限り改善してやりたいんだって、そう言っておられました。正直、竜王様がそんな事を言う日が来るなんて、思ってもみませんでした」
ヴォルフにそう言われ、私はまじまじとシュヴァルツの顔を見た。食べられそうな物をわざわざ用意してくれるだけじゃなく、育て方まで元の世界に近づけてくれているの? それ、改善ってレベルで納めて良いの? 御用牧場みたいに感じるのは、私の気のせいなの?
「いつもこんな顔してるから人族には恐れられていますし、口下手だから誤解されやすいんですけど、根は優しいんですよ」
「あぁ~……。確かに、顔、怖いよね」
ヴォルフの言葉に私がそう返すと、シュヴァルツがすんご~く微妙な表情をした。これは……。はっ! もしかして、今ので傷ついた?
「で、でも! シュヴァルツの笑い方、私は好きだよ! それに、優しいのも分かってるから! 私の為にここまでしてくれる人が優しくない訳が無いしっ! きっと、記憶を失う前、私、すんご~く感謝してたと思うし、貴方の事、大好きだったと思うの!」
シュヴァルツは必死にフォローする私に背を向けた。ど、どうしよう! 落ち込んだの? ねえ、落ち込んでるの? アワアワと慌てる私を、ヴォルフが生暖かい眼差しで見つめている。ヴォルフ! アンタも一緒にフォローしてよ!
突如、私とシュヴァルツの間に小さな魔法陣が出現した。一瞬光った魔法陣の中心には白い猫。言わずもがな、ミーちゃんだ。ローザさんとアイリスちゃんに面倒を見てくれるように頼んだのに……。
「ミーちゃん。まさか、転移してきたの? 魔術、使えるの?」
ミーちゃんの両脇に手を入れて持ち上げると、ミーちゃんは「そうだよ」とでも言うように短く鳴いた。そうか。ミーちゃん、転移が出来るのか。でも、何故ここに?
「何でここに来たの? どうしたの?」
問い掛ける私に、ミーちゃんは何やら説明してくれている。猫語で。はっきり言って、何を言っているかさっぱり分からない。
シュヴァルツは腕を組み、私とミーちゃんを睨んでいた。と思ったけど、睨んでないな。何かを考えているだけだ。目つきが悪いから、睨んでいるようにしか見えない。……あれ? これ、いつかどこかで思った事だ。何だっけ? いつ、思ったんだっけ?
「バルト」
シュヴァルツがポツリと呟くと、虚空から人影が現れた。こうしてシュヴァルツが名前を呼ぶと、部下が出てくるのかな? ……あれ? これも前に思った事だ。そっか。こうして少しずつ、このお城に関係する事とか、シュヴァルツに関係する事とかを思い出すのかもしれないな……。さっきお薬を塗ってもらったばかりだけど、もう効果が出てきているのかもしれない。ちょっと嬉しい。
「お呼びでしょうか?」
人影が片膝をつき、胸に手を当てて頭を垂れた。このポーズ、見覚えがある。騎士の礼ポーズだ。確か、初めて見た時、カッコいいとか思ったような気がする。
顔を上げたバルトさんに、私は見覚えがあった。中央神殿から帰って来る時に見掛けた人だ。頬がこけた、耳の長い金髪お兄さん。この人がバルトさんね。ふむふむ。
「この獣の言葉、分かるか」
シュヴァルツはバルトさんにそう言い、私の手からミーちゃんを奪った。そして、ずいっとバルトさんの目の前に差し出す。バルトさんは困惑気味にミーちゃんを見つめていた。と思ったら、シュヴァルツからミーちゃんを受け取り、自身の前に下ろした。ミーちゃんは大人しくバルトさんの前に座り、ジッと彼の顔を見上げている。
「初めまして。バルトと申します」
バルトさんが挨拶をすると、ミーちゃんが猫語で何かを話しだした。何だ何だ?
「分かるか」
再度問うシュヴァルツに、バルトさんは無言で頷いた。そして、再びミーちゃんに視線を戻す。未だ、ミーちゃんは何かを演説するように、みゃうみゃうと鳴いている。話、長いな……。
「何と言っていた」
ミーちゃんが鳴き終ったタイミングで、シュヴァルツはバルトさんに再度問い掛けた。困惑表情のバルトさんがおずおずと口を開く。
「あの……。初めに自己紹介をされました。自分はミーチャンである、と。ミーチャンと呼び捨てにして良いのは、父と母と姉だけである、と」
「ミーちゃんと呼び捨て? ちゃん付けなのに? 呼び捨て?」
私はキョトンとしてバルトさんとミーちゃんを交互に見た。そんな私をバルトさんがギロリと睨む。何で睨むの? 私、睨まれる様な事、言ってないと思うんですけど?
「認識の差です。彼女は自身の名を、ミーチャンだと思っているだけです」
バルトさんは突き放すようにそう言った。冷たい。何でだ? 私が記憶を失う前、この人と何かあったのだろうか? 仲があまり良くなかったのだろうか?
「それだけか」
シュヴァルツが問うと、バルトさんは首を横に振った。
「いえ。家族構成から何から教えて下さった後、本題に入ったのですが……。その……ここに来たのは、夕食のリクエストがあったからだ、と……。かりかりか、ねこかんが食べたいと言っておられました」
バルトさんの答えに、私の目が点になった。夕飯のリクエストをしに、わざわざ私を追って来たの? 魔術まで使って? なんつー食い意地の張った子だ……。しかも、カリカリかネコ缶が食べたいだって? そんな物、ここには無いっ!
「アオイ」
「あ、はい」
「かりかりやねこかんとは何だ」
「ええっと……。ミーちゃんのご飯なんだけど……。でも、ここにはそんなの無いし……」
「作り方は」
「は? 作り方? そんなの作った事無いから分からないって!」
「そうか」
シュヴァルツは何かを考えるように顎に手を当て、眉間に皺を寄せた。何を考えているの? はっ! まさか――!
「その獣の食事、イェガーに作らせろ。獣からの聞き取りはバルト、お前に任せる」
やっぱりぃ~! 特別製の餌、作らせる気だった!
「ちょっと! そこまでは良いよ! 朝みたいにお肉で十分だって! それだって普段のご飯よりだいぶ良い物なんだから!」
「しかし、食べたがっている。わざわざアオイへ伝えに来る程に」
「いや、まあ、そうなんだけど……」
私は頬をポリポリと掻いた。そりゃあ、私だってミーちゃんが食べたがっている物を準備してあげたいと思うさ。でも、流石にやり過ぎだと思うの。カリカリとネコ缶をわざわざ作るなんて……。
「材料くらいは分かりますよね?」
バルトさんがミーちゃんに問い掛ける。ミーちゃんは真っ直ぐに彼を見つめ、猫語で何かを伝えていた。大丈夫かなぁ……。
「とっても美味しくって、得体の知れない物体って……」
バルトさんは呟き、ガックリと項垂れた。ははは。やっぱり。ミーちゃんが、と言うより猫全般が、餌の材料なんて考えている訳が無い。逆に、あの状態の餌の材料が魚や肉だって知っていたら、それはそれで不気味だと思う。
「カリカリもネコ缶も、材料はお魚かお肉だよ、きっと」
「魚? 彼女は魚を食べる、と?」
「え? うん。だって、猫だもん」
「ねこ……」
バルトさんはミーちゃんの脇の下に手を入れ、目線を合わせるように持ち上げた。この世界、猫はいないのだろうか? 彼はとても珍しい物を見るように、ミーちゃんを見つめている。
「魚を食すなど、何と慎ましやかな……」
「バルト。獣の食事の件、任せたぞ」
「かしこまりました」
シュヴァルツに念を押され、バルトさんは深々と頭を下げた。そして、ミーちゃんを大切に抱きかかえ、フッと虚空に消える。ミーちゃんを見つめるバルトさんの表情、私に向ける眼差しとは違って慈愛に満ちていた。きっと、彼は動物が好きなんだ。動物好きに悪い人はいない。ミーちゃんを彼に任せておいても大丈夫だろう、きっと。




