記憶 2
朝食はシュヴァルツと一緒に食べた。美少年――ラインヴァイス君と、フワフワ赤毛のアイリスちゃんが給仕をしてくれた。アイリスちゃんは、猫を彷彿とさせるちょっと釣り目気味の少女だ。私が描いたデッサンもあったし、私が記憶を失う前から私の世話をしてくれていた子なのだろう。
ミーちゃんの食事――お肉を焼いただけの物だったけど、それもちゃんと用意されていて、ミーちゃんは嬉しそうにそれを食べていた。何のお肉か分からないのに。因みに、私はお肉を一切口にしなかった。変な動物のお肉とかだったら嫌だから。野菜とパンは、珍しい種類のそれだと思って食べた。だって、究極にお腹が空いていたんだもん。
その後、ローザさんというブロイエさんの奥さんが、私の着替えやら何やらを手伝ってくれて、今。ソファに座る私の膝にミーちゃんが乗り、私の隣にはシュヴァルツが座っている。私達の後ろにラインヴァイス君とアイリスちゃんが、私のすぐ横にローザさんが控えている。そして、シュヴァルツの正面にはブロイエさんが座り、その後ろにはノイモーントさんが立っていた。この部屋は決して狭くはないけれど、一箇所に人が集まっているからか、人口密度が高い気がする。
シュヴァルツは、私が頭を打って記憶を失ったのかどうなのか、ノイモーントさんに確かめさせると言っていた。彼はお医者さんか何かなのだろうか? これから私の診察でも始まるの?
「で。アオイさんが記憶を失った原因なんだけど――」
ブロイエさんが険しい表情で口を開く。あまり機嫌が良さそうじゃない。少し怒っているようにも見える。やっぱり、私が何も覚えていない事に、気を悪くしているのだろうか? でも、不可抗力なんだ。私だって、記憶を失いたくてこうなった訳じゃないと思うんだ。だから、そんなに怒らないで下さい……。私がギュッと手を握り締めていると、シュヴァルツがその手に自身の手を重ねた。これは……? 驚いてシュヴァルツの顔を見ると、彼は真っ直ぐにブロイエさんを見つめていた。
「僕の見立てでは、忘却の術を使われたんだと思うんだけど。どう? ノイモーント」
ブロイエさんは後ろに控えるノイモーントさんに視線を送った。ノイモーントさんは顎に手を当て、観察するようにジッと私を見つめている。
「あの……。忘却の術って? 何ですか?」
「呪術の一種で、記憶を封印する術です」
私の問いに答えたのはノイモーントさんだ。未だ、難しい顔で私を見つめている。ちょっと居心地が悪い。私は縮こまるようにして、ノイモーントさんを上目に窺った。
「どうだ」
口を開いたのはシュヴァルツだった。こちらも、ブロイエさんに負けず劣らず不機嫌そうな声色だ。シュヴァルツといい、ブロイエさんといい、あまり怒らないで欲しい。そりゃ、私は何も覚えていないし、それに気を悪くするなってのが無理ってものかもしれないけどさ……。私だって、出来るならすぐに思い出したいんですけど、何かを思い出せそうになると頭が痛くなる訳で……もにょもにょもにょ……。
「忘却の術でしょうね。僅かですが、アオイ様より呪術の気配を感じますし」
「そうか。解呪の方法は」
「身体のどこかに刻まれている魔法陣に、解呪の薬を塗り込めば数日で解けます。解呪自体はそこまで難しい術ではありません。ただ――」
「何だ」
何かを言いよどんだノイモーントさんを、シュヴァルツがギロリと睨んだ。ノイモーントさんが緊張したように、ごくりと喉を鳴らす。彼の頬に一筋の汗が伝ったのを、私は見逃さなかった。シュヴァルツに睨まれると委縮しちゃうよね。顔、怖いよね。
「解呪をしても、全ての記憶が戻るには時間が掛かるかと……」
「何故」
「一度封印された記憶を思い出すのは、容易な事ではないのです。漠然とした記憶はすぐに思い出す事が出来ると思うのですが、鮮明な記憶を蘇らせるには切欠が必要です。その切欠が何かは、その時になってみない事には何とも……」
切欠……。思い出の品を見たり、思い出の場所に行ったりすれば良いのだろうか? 言うのは簡単だけど、結構大変な作業な気がする。
「もし、アイリスが解呪の術を使えるのなら、話は別なのですが……」
ノイモーントさんが、私の後ろに立つアイリスちゃんに視線を移した。アイリスちゃんって、魔術師だったのか。ただのメイドさんじゃないんだ。見ると、その場にいる全員の視線がアイリスちゃんに集まっていた。
「解呪の術が使えると、切欠が無くとも記憶が戻る、と?」
そうノイモーントさんに問い掛けたのはラインヴァイス君。小首を傾げる仕草が、小動物ぽくて可愛い。癒される。
「ええ。忘却の術を掛けられる前の状態に戻す事が出来ますので、理想としては解呪の術を施したいところなのですが……」
「ごめんなさい……」
絞り出したようなアイリスちゃんの声は少し震えていた。解呪の術が使えない事を気にしているのだろう。別に、アイリスちゃんが気にする必要なんて無いのに……。
「アイリス。気に病むな」
そう言ったのは、意外な事にシュヴァルツだった。こういう言葉を掛けてあげるなんて、結構優しいな。人は見かけによらないとは、よく言ったものだ。でもさ、そんな険しい顔で言う言葉じゃないと思うの。
「ノイモーント。魔法陣は通常、どこに刻まれている」
「上半身かと思います。頭部に近いほど、効果が強いといわれておりますので」
上半身? 着替えの時、そんな、魔法陣らしきものは見当たらならなかったけど。背中にでも刻まれているのかな?
「その様なもの、着替えの際に見当たりませんでしたけど?」
ローザさんはそう言うと、不思議そうに首を傾げた。あれ? 背中側に刻まれていたとしても、ローザさんは私の背中、着替えの時に見てるはずだ。見落とし、なのかな?
「一見すると、分からないような場所に刻まれているという事でしょうね」
ノイモーントさんが難しい顔で考え込む。いや、ノイモーントさんだけじゃない。その場にいる全員が難しい顔になっていた。
「アオイ。後ろを向け」
「え? あ、はい」
私はシュヴァルツに言われた通り、彼に背を向けた。ミーちゃんが驚いたように私の膝から飛び降り、足元でウロウロしている。膝に戻るか戻らないか考え中らしい。と思ったら、私とシュヴァルツとの隙間に身体をねじ込んできた。んも~! そんな狭い所に入らないの!
それよりも、シュヴァルツってば、私の後ろを向かせてどうするつもりだろう? と思った瞬間、グイッと服の襟元を後ろに引っ張られた。ま、まさかっ! 背中見て――! ぎゃ~!
「ちょ、ちょっと! やめ――!」
アワアワと慌てる私を余所に、シュヴァルツは私の服から手を離すと、今度は私の髪に触れた。首筋を確認しているらしく、私の髪を掻き分けている。そして、髪を一方に寄せると、その動きを止めた。
「これか」
そう小さく呟き、私の耳の後ろに触れる。くすぐったい! くすぐったいから、あんまり触らないで! 鳥肌、立ってるから!
「この後、フォーゲルシメーレ殿に解呪の薬を持って来させますが、それでよろしいでしょうか? アイリスに解呪の術を至急学ばせるという手もありますが……。上級の術ですので、少々時間が掛かるかと思いますが……」
私の傍に来たノイモーントさんが魔法陣を確認し、口を開いた。彼はどこか探るような目でシュヴァルツを見つめている。
「解呪の薬を。それと、傷薬も用意させろ」
「かしこまりました」
シュヴァルツに頭を下げ、ノイモーントさんが部屋を後にする。記憶喪失の原因がはっきりして良かった。そう思うと同時に、むくりと不安が鎌首をもたげる。
「どうした」
私の不安を見透かしたように、シュヴァルツがそう問い掛けた。私は座り直し、首を横に振った。
「何でもありません」
「そんな顔をしていて、何でも無い訳が無かろう。言ってみろ」
「私……不安で……」
「何故」
だって、誰を信用していいのか、誰が私の味方なのか、確信が持てないんだもん。この人達は私の味方だと思う反面、もしかしたら騙されているだけなのではないかとも思ってしまう。
「私、貴方を信用して良いの? 嘘、吐いてない?」
「嘘を吐く理由が無い」
「本当に? 絶対? 誓える?」
「ああ」
シュヴァルツは小さく頷いた。本当に彼を信用して良いのだろうか? 確かに、シュヴァルツといると落ち着く。でも、彼の言っている事は全て真実なのだろうか? 仮に、シュヴァルツが嘘を吐いていても、私にそれは分からない。もしかしたら、良いように利用されていたり――。
「アオイ様。竜王様は嘘を吐くようなお人ではありませんよ? 謀略は好まれませんもの。謀略を好むのは、うちの人みたいなタイプです。真逆、とまでは言いませんが、全然違ったタイプでしょう?」
私とシュヴァルツのやり取りを見守っていたローザさんが口を開いた。確かに、ローザさんの言っている事も分かる気がする。でも――。
「頭を打ったんだって、だから記憶が無いんだって言われたのに……。それに、恋人だって……」
私の脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。銀色の髪と水色の瞳。どこか冷酷そうな印象の男、レイガス。
「誰に言われた」
「え……?」
「誰に恋人だと言われたのかと聞いている」
シュヴァルツの眉間に深い皺が刻まれる。眼光が鋭くなり、それを見た私の背筋に嫌な汗が流れた。
そりゃ、本当に私の夫だったら、そんな事言われたって知ったら気にするだろうさ。それは分かるんだけど……。怒らないで下さい。お願いだから怒らないで下さい。
「中央神殿の……レイガス……さん……。彼を信用した訳じゃないんだけど、私、分からないから……」
「レイガス?」
ラインヴァイス君がポツリと呟き、何かを思い出すように視線を彷徨わせた。
「何? 知ってるの? ラインヴァイス」
そう問い掛けたのはブロイエさん。彼も不機嫌そうに顔を顰めている。腕を組み、眉間に皺を寄せる様は、シュヴァルツとどこか似ていた。もしかして、シュヴァルツとブロイエさんは血縁関係でもあるのだろうか? そう言えば、彼らの関係は詳しく聞いていなかったな。後で確認してみよう。
「私の記憶が正しければですが、メーアの側近中の側近で、彼女を聖女の地位に押し上げた立役者だと言われている人物だったかと……」
「という事は、強硬派だよね?」
「ええ」
「そっかぁ」
ブロイエさんはう~んと唸り声を上げた。そもそも、強硬派って何だ? 派閥みたいなものかな?
「あの……。強硬派って?」
「中央神殿にも、二種類の人間がいるんだよ。魔人族と敵対する事を選ぶ強硬派と、魔人族との融和を目指す穏健派。先の大戦――前に勇者が召喚された時の戦が終結して以来、穏健派が聖女を輩出していたから、少しずつだけど魔人族と人族との融和の方向性が見えて来ていたんだ。でも、数年前に当時の聖女が急死してね。それで、強硬派から現聖女が排出されたからまぁ大変。歴史が繰り返されるように、魔人族と人族との対立構造が出来上っちゃってるんだよねぇ」
強硬派と穏健派に、魔人族と人族との対立、か……。私、そんなのに巻き込まれていたのか。メーアは私の事を勇者って、願いを叶えろとか言っていたけど……。そもそも、メーアの願いって何だ? 敵対勢力を倒すって事? あれ? そうなると、倒すべき相手って誰? 穏健派? いや、普通に考えたら魔人族のトップ? うむむ……。分からない。
「あの、もう一つ質問、良いですか?」
「ん? 何?」
「私、メーアに勇者だって言われたんですけど……。勇者って、倒すべき相手がいるんですよね? 誰です?」
私の問いに、ブロイエさんは複雑な笑みを浮かべ、視線を彷徨わせた。何だろう、この反応?
「あぁ~。それは、ねぇ……」
「私だ」
そう答えたのはシュヴァルツだった。そっか。シュヴァルツなのか。だからブロイエさんも言い難かっ――え?
「シュヴァルツが私の倒すべき相手、なの?」
「ああ」
「でも、夫だって……」
「アオイは私を倒すのではなく、共に生きる道を選んだ。それだけだ」
それだけだって……。それ、結構重要な選択だと思うんだ。いったい、どんなやり取りがあったのだろう? 共に生きるって、この世界でって事だろうし、私は元の世界に戻る事も放棄したのだろうか? 分からない。訳が分からない。私、記憶を失う前に何を考えていたんだろう?
「それにしても、恋人、ねぇ……。どう思う? ローザさん」
ブロイエさんは私の隣に立つローザさんに問い掛けた。ローザさんの表情から、彼女がかなり怒っている事が一目で分かる。彼女とうちのお母さんは同じタイプの人らしく、うちのお母さんが本気で怒っている時のものによく似ていた。般若のようだ。心臓に悪い。その顔、やめて下さい。
「攫われたその日に恋人ですか? 常識的に考えて、ありえません。アオイ様を利用しようとする魂胆が見え見えです!」
攫われたその日……? じゃあ、私は昨日、中央神殿に連れていかれたの? あそこで過ごした時間なんてほんの僅かだったの? レイガスは、やっぱり嘘を吐いていたの?
「その心は?」
ブロイエさんに問われ、ローザさんはフンと鼻を鳴らした。このタイプは、こうして言いたい事を言わせた方が、気持ちが落ち着くんだ。流石は旦那さん。ローザさんの扱いに慣れていらっしゃる。
「アオイ様に恋人だと思わせて信用させる。事情を知っている者には、話を合わせるように言い含めてあったのでしょうね。それらしく振る舞えば、女など騙すのは容易いとでも思っていたのでしょう! ああ、腹立たしい!」
「しかし、アオイ様と竜王様の間に陣取って寝ている、その白い獣は良いにしても、アオイ様と同時に召喚された残りの者達には何と説明するつもりだったのでしょう? アオイ様が見つかってすぐにレイガスの恋人になっているなど、どう考えても不自然ですよね」
ラインヴァイス君がもっともな疑問を口にする。ちょっと小首を傾げているのは、彼の癖なのだろうか? だとしたら、可愛らしい癖だ。
「アオイ様にしたように、隙を見て忘却の術を掛ければ済む話です! 皆に記憶が無ければ、多少の齟齬など言いくるめるのは簡単ですものっ! 下衆どもがやりそうな事だわッ!」
話をしているうちに怒りの炎が大きく燃え上がり、ローザさんの口調がかなり強いものになった。見た目は穏やかな、というより、おっとりした雰囲気の人なのに……。この人、確実に怒らせたら駄目な人だ。口喧嘩では絶対に勝てないタイプだ。うちのお母さんみたいに……。
「だよねぇ。もし仮に、僕があっち側だったら間違いなくそうする。だって、それが最も効果的だから」
ブロイエさんはそう言うと、スッと目を細めた。悪そうな顔。悪の親玉みたいだから、その顔は止めた方が良いと思います。
世の中には、怒らせてはいけない類の人がいる。ローザさんはその類の人だ。いや、ローザさんだけじゃない。ブロイエさんも同じタイプだと思う。似たもの夫婦だ。それに、シュヴァルツだって、ブロイエさんやローザさんとはタイプが違うけど、怒らせたらいけない類の人だ。ラインヴァイス君に命じて、中央神殿、破壊させたし。怒らせると何をするか分からない。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。……あれ? そうすると、私は……? いやいやいや。ラインヴァイス君とアイリスちゃんは、きっと怒らせたらいけない類の人じゃない。うん。私はこっち寄り。この二人の仲間だ。




