薬 2
ぬかるみ道を少し歩いたところで、ラインヴァイスが姿を現した。少し怪訝そうな顔をしているのは、孤児院への滞在時間が異様に短かったせいだろう。いつもだったら、日が傾くくらいの時間まで孤児院にお邪魔しているもんね。
「随分お早いお帰りですね、何かあったのですか?」
「うん。ちょっと用事。ねえ、ラインヴァイス。この後、フォーゲルシメーレの所に行きたいんだけど」
「どうされました? 体調でも悪いのですか?」
ラインヴァイスが心配そうな表情でそう言った。私とアイリスとの間で視線を彷徨わせているラインヴァイスは、それはもう不安そうだ。主に、アイリスが体調を崩していないか心配なのだろう。分かっているよ、少年。
「大丈夫。アイリスも私も元気だから。ただね、孤児院でちょっと薬が必要になったの。熱を下げる薬なんだけど、作り方を教えてもらおうと思って」
「それでしたら、フォーゲルシメーレに言いつければ直ぐに用意――」
「うん。それは分かっているんだけど、それじゃダメ、なんだよね」
私が苦笑すると、ラインヴァイスは不思議そうに首を傾げた。
「孤児院の子達はね、城からの食糧支援だけで満足なんだって。それ以上は望んでいないし、与えられても受け取れないって」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
私は、大真面目な顔で深く頷いた。もしかしたら、遠慮という考え方は、魔人族の間では一般的でないのかもしれない。その証拠に、ラインヴァイスはいまいち納得出来ないという顔で首を傾げている。人族と魔人族との価値観の違い、なのかな? その辺は、この世界の一般常識すら知らない私には分らないけど。
「どうしてもとおっしゃるのなら、この後、フォーゲルシメーレの元へご案内致しますが……」
「私も行きたい!」
叫んだのはアイリスだ。ハイッと手を挙げ、訴えかけるような目でジッとラインヴァイスを見つめている。ラインヴァイスは困ったように視線を彷徨わせていた。アイリスをフォーゲルシメーレの所へ連れて行きたくないんだね。顔に書いてあるよ、少年。でも、これもアイリスの勉強になるでしょうに……。
「そうだね。アイリスも薬草を勉強しなさいって、シュヴァルツに言われたもんね」
「ん。薬、アオイと一緒に作る」
「頑張ろうね、アイリス」
「ん!」
盛り上がる私とアイリスを見つめながら、ラインヴァイスが溜め息を吐いた。心配性だなぁ。アイリス独りじゃなく、私とラインヴァイスも一緒に行くんだから安全でしょうに……。あんまり心配しすぎるとストレスで禿げるよ、少年。
ラインヴァイスが案内してくれたフォーゲルシメーレの研究室は、地下の薄暗い廊下の突き当りにあった。空気がジメジメしていて陰気な雰囲気だけど、お城の地下ってだけで旧区画ではないらしい。こんな地下があるなんて、竜王城も奥が深い。こんな所にいたら病気になりそう……。でも、ヴァンパイア族のフォーゲルシメーレにならお似合いの場所な気もする。研究室、カタコンベって事、無いよね……。因みに、こことは別に、フォーゲルシメーレ用の病室と私室があるらしい。流石は隊長さん。高待遇だ。
古臭い木の扉をノックすると、軋んだ音を立てて扉が開いた。建付けがあまり良くないみたい。それにしても酷い音。油くらい差しといた方が良いと思う。
「これはこれは……。このような場所に、どういったご用件で?」
廊下に出たフォーゲルシメーレは、後ろ手に扉を閉めながら、怪訝そうな表情でそう言った。あまり部屋の中は見られたくないらしい。怪しげな実験でもしていたのかな? 怪しい……。でも、今は薬が優先だから、探りを入れるのはまたの機会にしよっと。
「あのね、薬が欲しいんだ」
「どの様な?」
「熱を下げる薬。作り方を教えてくれないかな?」
私の発言に、フォーゲルシメーレは不思議そうに首を傾げた。
「解熱の薬でしたら、取り置きがございますが?」
「自分で作りたいの」
「何故?」
「孤児院にね、身体の弱い子がいるんだけど、今、熱を出して寝込んでるの。でも、お金が払えないから薬師に診せられないし、シュヴァルツの庇護下にある私がお城から貰って来た薬は飲めないって……。だからね、貰って来るんじゃなくて、薬草調達から何から全部私がした薬ならどうかなって提案したの。そうしたら、それだったら飲むかもしれないって……」
「はあ……?」
ノイモーントは怪訝そうにしながらも頷き、考えるように顎に手を当てた。そして、少しの間沈黙し、ややあって口を開いた。
「……熱を下げる効果がある薬草は、色々な種類がございます。しかし、その殆どが、夏から秋にかけて採集出来る物です」
「それって、今の季節に熱を下げる効果がある薬草は無いって事?」
私の問い掛けに、フォーゲルシメーレは苦笑しながら首を横に振った。
「いえ。この時期に採集出来る薬草は、あるにはあります。しかも、湯で煮出すだけで成分が抽出出来ますので、初心者にも扱いやすい部類の薬草です。但し、量に対しての薬効が低いのがネックです。大量に採集しなくてはなりませんので、私はまず使いません」
「どんな薬草なの?」
「一言で言うと苔です。夜になると月明かりを集め、淡い光を発します」
淡い光を発するって、ヒカリゴケ? この世界のヒカリゴケには、解熱効果があるの?
「それ、どんな場所に生えてるの? 苔だし、洞窟とか?」
「いえ。そのような場所ではなく……」
フォーゲルシメーレは言い難そうに口を閉ざした。もしかして、物凄く危険な場所なのかな? それとも、凄く遠い場所?
「決して驚かないと、約束、出来ます?」
フォーゲルシメーレの問いに、私はこくこくと頷いた。私のマントの端をギュッと握り締めたアイリスが、不安そうにフォーゲルシメーレを見つめている。何故かラインヴァイスだけは、やれやれといった表情で小さく溜め息を吐いた。
「その苔は――」
「その苔は?」
私はごくりと生唾を飲んだ。どんな危険な場所でもリリーの為だ、行って来よう。シュヴァルツは凄く心配するんだろうな……。ごめんね、シュヴァルツ。でも、私、絶対にここへ戻って来るから。シュヴァルツの元に戻ってくるって約束するから。
「その苔は……どこにでも生えています。因みに、この城の壁にも生えています。ある程度の気温と湿気さえあれば至る所に生える苔ですし、見つけるのは容易です」
そう言って意地悪く笑うフォーゲルシメーレの顔を、私は思いっきりどつきたくなった。こういう時はもったいぶった言い方をするな! どんな場所なのかと無駄にドキドキしたじゃないか。変な決意とかしちゃったし! 恥ずかしいぃぃぃ!
フォーゲルシメーレのこの顔、絶対に私の反応を楽しんでいる。からかわれた事が分かっていても反撃出来ないなんて……。悔しいから、今度から反撃出来るように、それ用のハリセンでも用意しとこ……。
「それ、どれくらいで一回分になる……?」
「そうですねぇ」
脱力しきった私を他所に、フォーゲルシメーレは考えるように虚空に視線を彷徨わせた。そして、思い出したように懐を探ると、私の掌くらいの大きさの布袋を取り出した。
「この袋に目一杯詰め込んだくらいが目安でしょうね」
「目一杯詰め込むって、思いっきり? 袋がパンパンになるくらい?」
「ええ。効き目が弱い薬草ですので、多少、誤差があっても平気でしょう。大きめのカップ一杯の薬湯を作るのに、この袋に目一杯ですからね。採集は結構大変だと思いますよ? 何と言っても苔、ですから。ちまちま、ちまちま、ちまちま、ちまちま……。地道に苔を毟り取る。他の薬草を知っている者ならば、あの苔の採集は絶対にしません」
そう言ってフォーゲルシメーレは苦笑した。そりゃそうだ。こんな袋に苔を目一杯集めるなんて、効率が悪いったらないだろう。でも、今の時期に採れる薬草がそのヒカリゴケしか無いんだったら、つべこべ言わずにやるしかない! 早速、今から頑張るぞ! おお!
「あ。アオイ様」
「ん? 何?」
私が踵を返したところで、フォーゲルシメーレに呼び止められた。思わず歩みを止めて振り返ると、フォーゲルシメーレが優しげに微笑んでいた。
「その病弱な子とやらに、熱が下がったらアオイ様と共に私の元へ――いえ、城の前まででも結構ですので、来るように伝えて下さい。きちんと診て、状態に合った薬をお渡しします」
「え……?」
フォーゲルシメーレの発言は予想外だった。今の時期に採れる、解熱作用がある薬草を教えてもらえただけでも御の字なのに、その上、リリーの診察をしてくれるなんて。でも、そこまでしてもらう事をリリーは承諾するのだろうか? 説得して竜王城に来てもらうの、難しいだろうな……。
「私も薬師の端くれです。病人がいると分かっていて見過ごすことは出来ません。もし、来て頂けないのなら、こちらから伺いますと、診させて頂くまで何度でも伺いますと、そう伝えて下さい」
「薬代、払えないんだよ?」
「別に、孤児から薬代をふんだくろうだなんて思っておりません。ただ、私の薬師としての矜持が、見過ごすことを良しとしないだけです。アオイ様がご友人の力になりたいのと同じように、私も病人の力になりたいだけです」
「分かった。一緒に来てもらえるように説得、してみるね」
「ええ。是非そうして下さい」
微笑みながら頷いたフォーゲルシメーレに別れを告げると、私はアイリスとラインヴァイスと共に、元来た道を戻った。この竜王城の壁に生えるという、どこにでもあるヒカリゴケを毟りに行く為に。よし! 今日は城中のヒカリゴケを根絶やしにするくらい頑張るぞ! 明日は近隣のヒカリゴケを根絶やしにしてやる! 絶対にリリーの熱、下げてみせるんだから!




