薬 1
次の日、私とアイリスは魔術の勉強を終え、孤児院に向かっていた。ラインヴァイスと相談して、一日のスケジュールのうち、午後は自由時間にしてもらったんだ。小学校低学年くらいの年齢のアイリスには、一日中勉強と仕事じゃ辛いだろうから。午後は今まで通り過ごすも良し、魔術の勉強を進めるも良しという事になった。
今日は二日ぶりに孤児院に行く事にした。大騒ぎするだけして、アイリスと私が魔術を習えるようになった事をきちんと報告していなかったし、何よりリリーの容態も気になるし。
私達から少し離れて、ラインヴァイスが付いて来る。そして、孤児院が目の前になったところで、フッと虚空に姿を消した。きっと、いつも通り皆から気が付かれないように見守っていてくれるのだろう。そんな事しなくても、一緒に孤児院に入って大丈夫なんだけどなぁ。ここにはラインヴァイスを怖がる子なんていないのに……。それを説明しても、あんまり信じてくれないんだよね。
「こんにちは」
孤児院の扉を開くと、フランソワーズとミーナが遅めの昼食をとっていた。今日も皆と時間をずらして食べているって事は、リリーの容態は相変わらずなのかな……。
「リリーのお見舞いと、魔術習える事になったって報告に来たよ」
私が手に持っていた薔薇の花束を掲げて見せると、ミーナが嬉しそうに笑みを零した。
「そうでしたか。わざわざありがとうございます。ささ、中へどうぞ。アイリスも、そんな所に突っ立ってないで。ここは貴女の家なのよ」
「竜王城に住む事になったとはいえ、ここは実家みたいなものだろう。寛いでいけ」
ミーナとフランソワーズの言葉に、アイリスがはにかんだ笑みを浮かべた。改めて言われると嬉しいけど、少し照れくさいのかもしれない。アイリスが挙動不審だ。
にしても、実家か……。私も実家、帰りたいな……。お父さんとお母さんとミーちゃんに会いたいな……。……いや、考えるのはよそう。実家の事を思い出すと泣いちゃいそうだもん。皆に余計な心配、させたらダメだ!
私がパンを頬張るフランソワーズの隣に腰掛けると、アイリスが私の傍らに立った。ん? アイリスってば、どうしたんだろう? 何でラインヴァイスみたいな行動、しているの?
「アイリス?」
「私、アオイのメイドだもん」
困惑気味の私に、アイリスはさも当然とばかりにそう言った。いや、確かにメイドなんだけど、それは城の中であって……。フランソワーズとミーナが驚いたようにこっち見ているし、何だか背中のあたりがムズムズする。落ち着かない!
「アイリス、前と同じようにしてて」
「でも……」
「私が嫌なの。アイリスは妹みたいなものなんだから。こういう上下の関係は望んでいないの」
「そうなの……?」
「そうなの」
小首を傾げるアイリスに、私は大真面目な顔で頷いた。きっと、アイリスはラインヴァイスを目標にする事にしたのだろう。その気持ち、分からなくはない。彼はシュヴァルツの補佐をしているし、私達の面倒も見てくれている。仕事が出来る男って感じだもん。でも、アイリスにはアイリスの良い所があるんだ。ラインヴァイスと同じような行動をしたら、アイリスの可愛らしさが無くなってしまう。癒し系じゃなくなっちゃうじゃない!
「ん。分かった」
アイリスはこくりと頷くと、ミーナの隣の席に腰掛けた。うん。この方が落ち着く。やっぱりこうでなくちゃ。
「アイリスはアオイのメイドをする事になったのか」
そう言ったのはフランソワーズだ。どこかホッとした表情をしている。そりゃ、住み込みで働く事になったら、どんな仕事をするか気になるよね。家族、だもんね。
「一応、そういう事になったの。部屋もね、私の部屋の真下なんだって」
「へぇ、そうなんですか。でも、何で同じ階じゃないんです?」
ミーナが昼食を食べる手を止め、不思議そうに首を傾げた。
「だって、私の部屋、塔の天辺だもん。同じ階に部屋なんて無いよ? 真下の部屋が一番近いの」
私は、部屋の窓から見える竜王城を眺めながら言った。私の部屋からこの孤児院が見えるって事は、きっとこの部屋から見える大小様々な塔のどれかが私の部屋がある東の塔だ。今度、ラインヴァイスにどれが東の塔か聞いてみようかな……。
「ほぉ~。流石は竜王様のお后様候補ですね。塔の天辺に部屋があるなんて! 何てロマンチック!」
「ちょっ! おお、お后様? 何言ってんの、ミーナ!」
「え? だって、アオイさんのそのマント、竜王様から頂いた物なんでしょう? 竜王様がずっと身に付けていらしたマントですし、求婚ですよね? 立派なお后様候補じゃないですか」
んあぁぁぁぁ! 求婚とかお后様候補とか、改めて言われると恥ずかしい! 顔から火が出ちゃいそう! 私は真っ赤になっているだろう顔を隠すように、テーブルに突っ伏した。
「改めて言わないで! 恥ずかしいっ!」
「そうですか? 自慢出来る事なのに……。まあ、アオイさんがそんなに恥ずかしがるならもう言いませんけど……」
ミーナは釈然としないながらも頷き、昼食を再開させた。オブラートに包まず、言いたい事をズバズバ言うミーナは好きだ。でも、色恋沙汰でもそれは頂けない。言われる方の身にもなって下さい!
「そういえば、アイリス?」
「何?」
ミーナが口をもぐもぐさせながらアイリスを呼ぶと、アイリスは上目遣いにミーナを見つめ、小さく首を傾げた。アイリスのこういう仕草が可愛いんだよなぁ。私の目尻が思わず下がっちゃう。
「その高そうな杖、どうしたの?」
ミーナはアイリスが膝の上に置いている杖を指差した。ラインヴァイスに貰ったアダマンティンの杖だ。見るからにお高そうだもんね。アイリスが持ち歩いていたら、思わず目を引く逸品だよね。
「ラインヴァイス先生から貰ったの」
アイリスの何気ない一言に、ミーナが目を見張った。フランソワーズも驚いたように動きを止めている。
「どうしたの? 二人とも、何でそんなに驚いてるの?」
「アオイさん、これが驚かずにいられますか!」
そう叫んだのはミーナだ。何だ、この剣幕は……? いくら高そうな杖とはいっても、ラインヴァイスのお古だし、そんな過剰に反応する事なのかな? アイリスも二人の過剰反応の理由が分からないらしく、首を傾げている。
「アイリス、お前、本当に貰ったのか? 借りた、ではなく?」
「ん。貰った。魔力媒介に使いなさいって。ダメだったの?」
フワンソワーズの問い掛けに、キョトンとしながら答えたアイリスを、ミーナとフランソワーズが複雑な表情で見つめている。何だろ? どうしたんだろ、二人とも……。
「いや……」
「ダメじゃないわよ、アイリス」
二人が苦笑しながら首を横に振った。にしても、ダメじゃないのに何でこんなに微妙な顔してるんだろう……?
「ラインヴァイス様になら、アイリスをお任せしても大丈夫じゃないですか?」
「あ、ああ……。でも、まさかだな」
「人の趣味はそれぞれですから」
「アイリスが成人する頃、ラインヴァイス様も成人くらいか?」
「でしょうね。以前お見かけした時より、少し背が伸びていましたし。丁度、今が成長期みたいですからね」
うーむ……。二人の会話の意味が分からない。リーラ、助けて~!
――はぁ……。アオイ、忘れたの? 魔人族の男の人って、自分の感覚で価値の高い物を想い人にあげるんだよ? ラインヴァイス兄様が大切に取っておいた杖、あの子にあげた意味、本当に分からないの? それに、態度にも出てるでしょうに……。鈍感なんだから。
リーラが呆れたような声で言った。鈍感なんて失礼しちゃう! これでも、高校時代は「キューピットの葵ちゃん」で名を馳せたんだからね! にしても、大切に取っておいた杖、ねぇ……。うーん……。……ん? んん? も、もしかして……。もしかして?
――うん。その、もしかして、だよ。
何てこった! ラインヴァイスが? あああの、ラインヴァイスが? だって、アイリスは未だ子どもだよ? こんなに小さいんだよ? 犯罪じゃない?
――犯罪って! ラインヴァイス兄様を小児性愛の変態と一緒にしないで! 別に、今すぐどうこうって話じゃないでしょ! それに、私達魔人族には、年の差なんてあんまり関係無いの!
そういうものなのか……。でも、あのラインヴァイスがねぇ。世の中、奥が深いなぁ。今度、からかってみようかなぁ。
――あ。アオイ。それだけはやめてあげて。ラインヴァイス兄様、自分の色恋沙汰の話とか、絶っっっ対に苦手だから。
ちぇ! ラインヴァイスの照れた顔、見てみたかったのに。まあ、いっか。ラインヴァイスにはお世話になっているし、出来るだけ協力してあげよっと。
――うん。そうしてあげて。でも、やり過ぎは禁物だからね。ラインヴァイス兄様の事、困らせないであげてね。
は~い。よし! 高校時代、「キューピットの葵ちゃん」と呼ばれた私の腕の見せ所だ。ラインヴァイスとアイリスには、将来、絶対に幸せになってもらう。覚悟しておきなさい!
昼食を食べ終わったミーナとフランソワーズと共に、私とアイリスはリリーの部屋を訪ねた。薔薇の花束は花瓶に活け、アイリスに持ってもらっている。リリーをイメージした白い薔薇にしたけど、気に入ってくれると良いな。
コンコンと扉をノックすると、ミーナより二、三歳くらい年下の少女が二人、顔を出した。ミーナとフランソワーズが食事をとる間、代わりにリリーを看てくれていたのだろう。二人の少女と入れ替わるように、私達はリリーの部屋に入った。
ベッドで眠るリリーは、安らかな寝息とは程遠い呼吸を繰り返していた。喘鳴と言うのだろうか、ヒューヒューとした呼吸音が部屋に響いている。
「母も同じ病気だったんです。こうやって体調を崩しては、よく寝込んでいました。だんだん起き上がる体力も無くなっていって、私がまだ小さい頃に亡くなったんです」
そう言うと、ミーナは悲しそうに目を伏せた。私はリリーが横たわるベッドの傍に寄ると、リリーの額の上の布を取って水の入った桶に浸した。そして、布を軽く絞り、リリーの額の上に戻す。一瞬触れたリリーの肌は、熱のせいか、燃えるように熱かった。
「ここ数日は、食事もろくにしてくれなくて……」
ミーナが悔しそうに唇を噛んだ。食欲も無いのか……。何か食べやすい物――ゼリーとか果物とかを持って来てあげれば良かったかな……。いや、それよりも、この発熱自体をどうにかしないとかな……。熱が下がらないと、体力がどんどん落ちていくだろうし。
そういえば、私が熱を出した時、フォーゲルシメーレが調合してくれた薬湯、良く効いたよなぁ。教えてって言えば、あれの作り方、教えてくれるかな? 薬草も自分で調達したらお金は掛からないし、帰ったら頼んでみよう。根本的な病気の治療にはならなそうだけど、このまま放置するよりは絶対に良いはずだもん!
「ねえ、ミーナ、フランソワーズ?」
「はい」
「何だ」
私の呼び掛けに、ミーナとフランソワーズが怪訝そうな表情で私に視線を移した。私の傍らに立つアイリスも、興味深そうに私を見上げている。
「もし、なんだけど……。私が薬湯持って来たら、リリーは飲んでくれるかな?」
「飲まないと、思います……」
ミーナが困ったように眉を下げた。フランソワーズは、ミーナに同意するようにうんうんと頷いている。
「それは、私がシュヴァルツの庇護下にあるせい、だよね?」
「そうだ。アオイの物は、元をただせば竜王様の物。リリーは今以上、竜王様の恩恵に縋る事を好としない」
「だよねぇ。じゃあさ、私が作った薬湯だったらどうかな? 作り方を教えてもらって、私が薬草の採集から何から全てやった薬湯だったら飲んでくれるかな?」
私の発言に、ミーナとフランソワーズが難しい表情で考え込んだ。やっぱりダメかな? 私が作ったらタダだし、お見舞いと称して渡せると思ったんだけど。考えが甘かったかな……?
「説得する必要はありそうですけど、頑として飲まないという事は無いんじゃないかと思います……」
ミーナがポツリと呟くようにそう言った。それなら善は急げだ! 私はミーナとフランソワーズに手短に挨拶をすると、足早に孤児院を後にした。




