先生 4
その日の夜、入浴を済ませた私は、寝る前のお茶会を楽しんでいた。相手は勿論アイリス。一人掛けソファに座るアイリスの傍らには、今日ラインヴァイスから貰った杖が置いてある。失くさないように肌身離さず持っている事にしたらしい。感心、感心。
二人でまったりと寛ぎながらお茶を飲んでいると、唐突にシュヴァルツが姿を現した。その後ろにはラインヴァイスもいる。二人で一緒に来るとか、何かあったのかな?
アイリスは杖を持って慌てて立ち上がると、シュヴァルツにぺこりと頭を下げた。そして、エプロンの腰紐に杖を差し、お茶を淹れ始めた。そんなアイリスを見て、ラインヴァイスが優しげに微笑んでいる。一方、アイリスと入れ替わるように私の対面に腰掛けたシュヴァルツは、アイリスをチラッと見たと思ったら、ニヤリとした笑みを浮かべた。怖っ!
「どうぞ……」
湯気の上がるティーカップを、アイリスがおずおずとシュヴァルツの前に置く。その手は小さく震えていた。シュヴァルツに対する緊張と恐怖だろうな……。気持ちは分かる。この、綺麗だけど険しい顔に一刻も早く慣れるんだ、アイリス!
「小娘」
「は、はいっ!」
シュヴァルツに呼ばれ、アイリスはビクリと身を震わせた。胸の前でお盆を抱き、緊張した面持ちをしている。怯える小動物みたいで可愛い……。
「随分懐かしい杖を持っているな」
「魔力媒介に、ラインヴァイス先生から……」
「譲られた、か」
「はい」
アイリスがはにかんだ笑みで頷いた。シュヴァルツは満足げに口角を上げると、アイリスが淹れたお茶に口を付けた。
「その杖、大切にしろ」
「はい」
返事をしたアイリスはとても嬉しそうにしていた。あーあ……。私も杖、欲しかったなぁ。魔法使いっぽい格好、憧れるなぁ。
――まぁだそんな事言ってるの? アオイは魔剣士の素質があるんだから、絶対に魔剣の方が良いのに。まあ、どうしても欲しいって言うなら、シュヴァルツ兄様に頼んでみれば? きっと、あの子の杖より数段立派な杖、用意してくれるよ? それこそ、伝説級の杖をさ。
ちょっと、リーラ。それ、シャレにならなくなるって。ただでさえ、マントと短剣でやっちまった感半端無いのに、その上、伝説の杖とか!
――だったら、我慢なさい。
うう……。分かったわよ。諦めるわよ! 諦めれば良いんでしょ!
「アオイ」
「え? あ、何?」
唐突にシュヴァルツに名を呼ばれ、私は目をぱちくりさせた。改まってどうしたんだろう? 険しい顔がより一層険しくなってる……。
「私はお前に謝らなくてはならない事がある」
「メーアの事? その事なら別に気にしてないよ。シュヴァルツの気持ちも分かるから。だから、シュヴァルツも気にしなくて良いよ」
「しかし――」
「だったらさ、今度、私に関係する事が分かったら、出来るだけ隠さずに教えて欲しいな。自分の事だし。それに、その上で相談に乗ってもらえた方が、私としては嬉しいんだけど」
「ああ。そうしよう」
頷いたシュヴァルツの顔は、少しだけホッとしたように緩んでいた。シュヴァルツってば、私がメーアの事で怒ってるとか思ってたのかな? それとも、隠していた事が後ろめたかったのかな? まあ、安心した顔になってたし、別にどっちでも良いか。
「話はそれだけ? その為に来たの?」
私が小首を傾げると、シュヴァルツは腕を組み、首を横に振った。
「もう一つ。アオイ、お前の世界のがっこうとやらは、どの様な所だ」
「え? 前に話したじゃん」
「具体的にどのような勉強をする」
学校がどんな勉強をするか、かぁ……。具体的にって言われてもなぁ……。上手く説明、出来るかな?
「うーん。読み書き、計算を習うって話はしたよね? 他にも、社会の仕組みとか、理科――自然の法則? そういうのを勉強する時間があるの。あとは、身体を動かす時間とか、物を作る時間とかもあるんだ」
「ほう……。社会情勢と自然法則とな」
「うん。この世界だったら、自然法則は魔術の事になるのかな? まあ、そういう科目が色々あるんだ」
「師が教える時、具体的にどのような方法を採っていた」
「うーん……。教科書とノートを使って、計算とか大切な事とかを書いて覚えさせる感じかな? あ。教科書っていうのはね、私が今日貰った魔道書みたいなものに当たる本ね。で、ノートは写本の方」
「ふむ……。では、ラインヴァイスの教え方は間違ってはいないのだな」
シュヴァルツの目がスッと細くなる。シュヴァルツのこの顔、何か面白いものを発見した時の顔だ。何だろう?
「間違ってはいないと思うよ。ただ――」
「何だ」
「魔道書の中身が難しすぎるかなって。アイリスみたいに読み書きが出来ない子だと、もっと簡単な御伽噺とか童話的な本で読む練習をした方が良いと思うんだ」
「そうか。小娘用には、もう一冊本が必要だったという事だな」
シュヴァルツは一瞬考えるように沈黙した後、視線をラインヴァイスに移した。
「ラインヴァイス」
ラインヴァイスの名を呼んだシュヴァルツの目は、優しげに細められていた。この表情、初めて見る。ラインヴァイスに向けての表情だし、もしかして、お兄ちゃん的な表情なのかな……?
「お前に新たな仕事を与えよう」
「はっ」
「お前はがっこうを作れ」
『はいぃ?』
私とラインヴァイスの間抜けた声が見事にハモった。ちょっと、シュヴァルツさん。いきなり突拍子も無い事を言わないで下さい。
「シュヴァルツ、唐突に何言い出すの?」
「唐突ではない。アオイの世界のがっこうの話を聞いて以来、絶えず考えていた。この国には幼子に教育を行う場が無い。識字が出来る親ならば子に字を教える事も出来ようが、親が識字を出来ぬのなら子も出来ぬまま。アオイの世界では、がっこうとやらは親や子が負うべき義務との話だったが、その義務、まずは国を治める者が負うべきであろう」
「え……あ、まあ……」
うーむ……。シュヴァルツはシュヴァルツなりに教育について考えたって事か。この国の王様はシュヴァルツだし、シュヴァルツがやりたい事なら私がどうこう言う立場じゃない。
「勿論、すぐにという訳にはいかん。アオイと小娘の魔術指導が先だ。だが、丁度小娘が、識字が出来ぬという事らしいからな。ラインヴァイスは識字指導の経験を積み、ゆくゆくはがっこうを作れ」
「はい」
返事をしたラインヴァイスは嬉しそうに顔を綻ばせていた。もしかしたら、ラインヴァイスは人に物を教える事が好きなのかもしれない。だって、今日、図書館で魔術の説明をするラインヴァイス、いつも以上に生き生きしていたし。シュヴァルツはそれを分かっているから、学校を作れなんて、一見すると無茶振りみたいな命令を出したっぽいな。ラインヴァイスに好きな事をさせてあげたいんだろうなぁ……。シュヴァルツ、何だかんで良いお兄ちゃんじゃん。




