表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/5

第五章 記念日のケーキ(終)

今日で、俺たちが「普通に食事をすること」をやめ、この『究極のおままごと』を始めてからちょうど一年が経つ。


記念日を祝う夜のダイニングテーブルは、部屋の照明が落とされ、数本のキャンドルの淡い光だけが揺らめいていた。


テーブルの中央には、純白のレースの敷物が敷かれ、その上にホールのデコレーションケーキが神々しいほどの美しさで鎮座している。たっぷりの生クリーム、真っ赤なイチゴ、そして『パパとママ、ずっと一緒』と書かれたチョコレートのプレート。


傍らには、取り分け用の美しいガラスの小皿とケーキサーバー、そして銀色のフォークが用意されていた。


「パパ、これからもずっと、完璧な家族でいましょうね」


「ああ、もちろんだよ、ママ」


キャンドルの火が照らす理沙の顔は、この世の誰よりも貞淑で、愛に満ちた妻の表情だった。


彼女はケーキサーバーを手に取ると、ホールのケーキを大きく切り分け、自分のガラス皿に乗せた。美しい断面から、ふわふわのスポンジとイチゴが覗く。


理沙は銀色のフォークを手に取ると、その巨大なケーキの塊をすくい上げ、躊躇うことなく自身の口の中へと押し込んだ。


フワッ……モチャ、クチャ。


最初は、生クリームと柔らかなスポンジが潰れる軽い音がした。


だが、その音は数秒で完全に質の違うものへと変貌した。


ジュワァ……クチャ、ネチャァ……。


スポンジケーキは、恐ろしいほどの量の水分を吸収する。理沙の口内で分泌された大量の唾液がスポンジに吸い込まれ、一瞬にしてドロドロの液状へと変わっていく。


チュルッ、グチュ。


イチゴの果肉が奥歯で噛み潰され、甘酸っぱい果汁が唾液と生クリームに混ざり合う。


クチャクチャ、ネチャ、チュルルル……。


理沙はうっとりと目を閉じ、顔を上に向けて咀嚼を続ける。


ケーキの甘ったるい匂いがキャンドルの熱で温められ、むせ返るような濃密な香りとなって部屋中に充満していく。理沙の口の中では今、純白のクリームと真っ赤なイチゴが完全に撹拌され、薄桃色の粘着質な泥へと変わっているはずだ。


十分以上の執拗な咀嚼。ひたすらに響く水音が、俺たちの永遠の愛を祝う賛美歌のようにリビングを満たしていた。


「……ん、チュプ……あーんして、パパ」


理沙がフォークを置き、テーブルから身を乗り出した。艶やかな唇の端からは、唾液と混ざり合って溶けたピンク色のクリームが、ツーッと垂れ落ちそうになっている。


「あーん」


俺が口を開けると、キャンドルの火を背にした理沙の顔が迫り、俺たちの唇が深く重なり合った。


チュッ……ドロォッ……。


強烈な甘みを持った生温かい泥が、俺の口内に雪崩れ込んでくる。


生クリームの乳脂肪分と、唾液の粘り気が完全に一体化したそれは、これまでのどんな料理よりも重たく、そしてねっとりとしていた。


ジュプ……チュルル、ネチャァ……。


理沙の舌が、激しく俺の口内を這い回る。スポンジの残骸が俺の喉に張り付き、呼吸の道を完全に塞いだ。


「んっ……ふんっ……!」


窒息しそうなほどの甘さと圧迫感。しかし理沙は、俺の鼻からの荒い呼吸を無視して、さらに深く舌をねじ込んでくる。自分の唾液を最後の一滴まで絞り出すように、俺の喉の奥へとピンク色の泥を押し込み続けた。


グチュ……ジュポッ、チュルルル。


終わりのない口移し。俺は酸欠で頭がクラクラと痺れていくのを感じながら、ただひたすらに、理沙の口から供給される生温かいケーキの泥を受け入れ続けた。もはや、自分が何を食べているのか、誰の唾液を飲んでいるのかすら境目が曖昧になっていく。


俺と理沙は、このドロドロの粘液を通じて、完全に一つの生き物になろうとしていた。


ゴキュリ……ゴクン。


長い長い時間の末、ようやく俺の喉が動き、巨大な塊が胃の底へと落ちていった。


「ぷはっ……はぁ、はぁ……」


唇が離れ、俺は肩で大きく息をした。二人の間には、生クリームと唾液が混ざり合った太い糸が引かれ、だらりとテーブルの上に落ちた。


「美味しい? ママのケーキ」


理沙は甘い吐息を漏らしながら、優しく指先で俺の頬を撫でた。


「ああ……今までで一番、甘くて美味しいよ」


俺は恍惚とした頭で、心からの笑顔を浮かべて答えた。


理沙は満足そうに微笑むと、再びフォークを手に取り、残りのケーキを自身の口へと運んだ。


モチャ……クチャ、ネチャァ……。


テーブルの上には、美しいカトラリーが並んでいる。


俺たちはもう、一生あんな冷たい無機物を介して食事をすることはない。


甘ったるい匂いと、果てしなく続く粘着質な咀嚼音の中で、俺たちの完璧で狂ったおままごとは、これからも永遠に続いていく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ