106話 障壁の彼方へ
夫婦は久美が落ち着いて食事するのを見て、マルグリットがユグに視線を送ると、ユグがコクリと頷く。
マルグリットは持っていたスプーンを置き、テーブルに両手を置いて久美に尋ねた。
「ねえ、クミ。 あなた“来訪者”なのに、何でこんな所に1人でいたの?」
久美は手を止め、顔を上げる。
「らいほう・・・しゃ・・・?」
目をパチパチさせ、訳のわからない表情を見て、二人は顔を見合わせる。
「今日、畑作業中に昼から4回柱が見えたけど・・・そのうちのどれか1本があなたよね?」
久美は意味が分からず、少し首を傾げた。
送り込んだ2人は自分の前、そして真央がやってきたタイミングは、城壁の内部に隠れていたため、空から降り注ぐ光の柱を見ていなかった。
そのため、マルグリットの言葉の意味が分からなかった。
「・・・・・・あなた・・・別の世界から、この世界へ来たんじゃないのかい?」
その問いに、ピクリと体を震わせ、表情が強張る。
「・・・・・・私が・・・別世界から来たって・・・なんで知ってるんですか・・・?」
久美の警戒感が見て取れたので、慌ててマルグリットが体を引いて説明する。
「別世界から来たからって、何もしないから警戒しないで・・・
あなたが別世界から来たのを知ってるのではなく、その身なりでわかるのよ。」
久美は首を折って、自分の恰好を確認する。
真っ白なワイシャツに、深めの紺色のリクルートスーツを着て、靴は革靴だった。
「この世界にそんな服装の女性はいないのよ。
それに、その腕にはめてる“それ!”」
マルグリットは久美が左腕にはめている腕時計を指さす。
久美は腕時計に顔を向ける。
通販サイトで安いからというだけで買った、細く淡いブルーのバンドでクオーツのアナログ腕時計だった。
「この世界には、そんな小さな時計を作る技術はないのよ。
しかも、この世界に時計を伝えたのは来訪者・・・・・・そして、アクトリアの城主ぐらいしか持ってない。
いくつか、来訪者が売った物がお店で売ってるけど、私たち農家が持ってても意味がない贅沢品ね。」
マルグリットはそう言って笑う。
久美は腕時計を指でなぞる。そして、この森へ逃げ込む前に見た真っ暗な世界を思い出した。
(そうだ・・・あの城壁内の街はまるで中世時代だった・・・・・・機械式時計なんて・・・あっても、巨大な物しかない・・・・・・)
久美は二人を見て尋ねる。
「よくわかりました・・・でも、別世界から来た・・・来訪者・・・でしたっけ?
やってきた来訪者は、どうしてるんですか?」
「この封印都市では、別世界からやってくる“来訪者”を保護するルールがあるんだよ。」
「封印都市? 保護?」
「クミ・・・誰にも説明されなかったのか?
オマエたち来訪者は、“訳が分からず”だから、最初に説明するはずなんだが・・・?」
ユグが何も知らない様子が気になって口を開いた。
「説明・・・・・・」
久美は逃げ出した自分を思い出して、“あ・・・”という表情を浮かべて、続ける。
「逃げ出したんで・・・誰とも話してません・・・」
久美は俯き、テーブルに視線を落とした。
「え? 怖かったのかい・・・?
じゃあ、この世界のことを教えなきゃいけないね・・・
長くなるから・・・クミ、食べながらでいいから聞いてくれるかい?」
マルグリットはそう言って、置いていたスプーンを手に取り、豆の煮込みを口に運ぶ。
ユグも食事を再開し、テーブルの上にはカチャカチャと陶器の音が鳴り響いた。
久美は二人の様子をしばらく見つめた。
食事の進まない久美に気づき、マルグリットはスプーンを久美に向けて、
「ほら、クミも食べなさい。」と食事を促した。
久美は二人に視線を送りながら、左手で長い髪を耳元で押さえて、豆の煮込みを口へと運び始めた。
三人は食事をとりながら、封印都市アクトリアのこと、来訪者が昔から何人もやって来ていること、そして保護される理由をわかりやすく説明した。
「ふ、封印ですか・・・?」
「そう、封印・・・・・・城塞都市アクトリアは、800年以上前に封印されたんだよ。」
800年というあまりにも長い時間に、久美は唖然とした。
「封印って一体どうやって・・・?」
「“呪い”だと言い伝えられてるね。」
「の、呪い!? 何です・・・それ・・・」と現代人の久美は驚いて声をあげた。
「クミとエプタが一緒にいた場所に、壁があっただろう。」
ユグが口を開いて説明する。
「エプタ?」
「ほら、その子だ。」
ユグが犬を指さすと久美は指さす方向を見ると、そこには久美とぶつかった、あの人懐っこい犬だった。
「あ、この子・・・“エプタ”って名前だったの?」
「そのエプタと地面に座ってた場所にあっただろう・・・目の前に壁が・・・」
「壁・・・? あの、淡い光を放っていた・・・変色する?」
「そう、それだ。」と、ユグはスプーンで久美を指して、続ける。
「あの壁が呪いだ。
あれは、人間、ドワーフ、ノーム、ホビットを弾くんだ・・・」
久美はユグの口から出てきた種族に驚きを隠せない。
(なにそれ・・・まるっきりファンタジー世界ね・・・単なる中世ではないんだ・・・
そう言えば、エルフを口にしなかったけど・・・エルフがいない世界なのかしら・・・・・・)
「そ、それで・・・弾くってのは・・・?」
「ああ・・・触ると分かる。 あの壁から外側へは行けない・・・
だが、人間以外は壁の内と外を行き来出来るんだ・・・
なので、エプタたち猟犬はあの壁をすり抜けることが出来る。
それを利用して、猟犬たちが壁の向こう側から獲物を追い立てるように訓練して、狩猟の手伝いをさせている。」
「え・・・?」
久美はユグの説明が腑に落ちない表情をする。
(う、うそ・・・・・・私の手は弾かれず・・・壁の向こう側に抜けたけど・・・・・・ど、どういうこと・・・?)
「ほ、本当に誰も・・・あ、あの壁を抜けることができないんですか?
誰か抜けた人がいるとか・・・そういうことは、なかったんですか?」
久美の問いに、ユグとマグリットは首を横に振った。
「今まで、そんな人間がいたという話や、抜け出たような伝説はないねえ・・・
壁の向こうから人がやってきたって話もない。
800年・・・この街はあの壁によって、封印され続けてきたんだよ・・・
そう、だから・・・長い月日の間でアクトリアの住人は、いつしか封印を受け入れたのさ。
だから、今は誰も壁の外のことなんて気にしちゃいない。」
「・・・・・・・・・。」
3人の間に、少し長い沈黙が落ちた。
それを嫌うようにマルグリットが話を切り出す。
「ははは! ちょっと陰気臭くなったね!
私たちは生まれてからずっと、この小さな世界で自給自足できているから、実のところ不満も何もない。
この人と結婚して、幸せな家族を築いて、子供も5人全員成人させることができた。」
マルグリットはユグの手に自分の手を重ねる。
ユグはその手を見て、コクリと頷く。
「この人が狩ってくる野生動物の肉を、城塞都市へ持っていくと売ることもできる。
農地もあって、野菜にも困らない。 物々交換でも別の食べ物や様々な道具も手に入る。
贅沢しなければ、食うことに全く困らない。 全部、この人のおかげさ!」
そう言って、マルグリットはユグの背中をバシ、バシ…!と豪快に叩く。
ユグがその平手に顔を歪めた。
「叩きすぎだ!」
ユグは片腕でマルグリットの腕を止める。
「おや? 痛かったかい?」
「痛いに決まってるだろ・・・」
二人はそう言って笑うが、久美は笑うことが出来なかった。
「来訪者は壁を抜けられるとか・・・そういうのは、無かったんですか・・・?」
久美が尋ねると、二人は顔を見合わせる。
マルグリットが申し訳なさそうな顔をして、「そういうのは聞いたことがないねえ・・・」と答えた。
「じゃ、じゃあ・・・このアクトリアを封印する“呪い”って何なんです?」
「呪い・・・そうだねえ~、昔から“呪いによって・・・”と、言い伝わっているだけなんだ・・・だから、呪いが何なのかなんて分からないよ。
アンタ、なんか聞いたことあるかい?」
ユグは話を振られて、困った顔をする。
口を尖らせ、思い出すように視線を上に向けて左右に何度も流す。
そして、“あっ”という表情をして、口を開いた。
「そう言えば、前に教会で司祭様が大魔術士の話をしてたな・・・」
「大魔術士?」
「大昔、エルフの大魔術士の怒りがこの国に降り注いだとか・・・そんな話だったか・・・」
「司祭様がそんな話をしたことがあったかい?」
「あの時は・・・確か・・・男連中だけ集められた集会に司祭様が来られた時に、そんな話をしてくださったからオマエは聞いてないはずだ。」
「へえ・・・そんな事があったのかい・・・珍しいこともあるもんだねえー・・・」
久美はそのエルフの大魔術士が気になっていた。
(――あのタブレットの声の主・・・呪い・・・この世界に送り込まれる理由・・・)
「そ、それで、呪いの原因はその大魔術士ってことですか?」
久美は二人の会話を遮るように尋ねた。
「え? あ、いや・・・司祭様は呪いとかって話はしてなかったなあ・・・」
「そ・・・そうですか・・・」
久美はその後、口を開くことはなかった。
夫婦は気遣って色々話しかけてみるが、何かを考えこみ、黙って食事を食べ続けた。
―――
食事が終わると、マルグリットは食事を片付けた後、3人分のハーブティーをテーブルに出して、席に着くと隣のユグを見つめると、ユグはコクリと頷く。
それを見て、久美に話を切り出した。
「ねえ、クミ。 行くところがないなら、ずっとウチにいていいわよ。」
久美は思わぬ提案に「えっ?」と驚く。
「あなた・・・他の来訪者の所に行きたくないんじゃないの?」
その言葉に久美の目が左右に泳ぐ。
「そ、そんなわけ・・・」
マルグリットとユグは話をしていく中で、久美が“逃げた”という理由が、我々アクトリアの住人が怖いから逃げた訳ではないと気づいていた。
「理由はどうでもいいわ。
でも、ウチの家は子供たちが独立して部屋は余ってるの。
だから、あなたが良ければ、好きなだけここにいていいから・・・ね!」
久美は二人の優しさにコクリと頷く。
すると、夫婦の顔が優しく喜ぶ表情になった。
―――
久美は空き部屋のベッドに座り、開け放った板戸の窓から望む月を見つめていた。
「・・・・・・やっぱりダメ・・・」
久美はベッドから立ち上がり、部屋のドアをゆっくりと開けて覗き込む。
灯りが貴重なこの世界は、すでに寝静まり、家の中は真っ暗だった。
久美はドアを閉め、腕の時計を外すとベッドのサイドテーブルの上に置く。
そして、マルグリットが「これを使って」と、渡してくれた娘の古着を頭からかぶる。
「ふふふ・・・私がこんな服着るなんてね・・・」
古着は若い娘が着るような中世ヨーロッパの服装だった。
肌着の麻の白いワンピースに、肌着の上に着る細見の足首まで隠れるようなワンピースだった。
麻で編んだ帯紐を腰に巻くと、窓の板戸を閉じ、部屋のドアを再び開けた。
音を立てぬようにリビングに進み、玄関を開けて外へ出る。
「は、は、は、は・・・」
久美は自分の周りで発せられる呼吸音に気づいて振り返ると、そこにはエプタが尻尾を振って佇んでいた。
『え、エプタ!?』
久美は脱出を見破られたと顔を手で覆った。
だが、エプタの呼吸音が聞こえるだけで、その後は何もない。
ちらりと、視線をエプタに送り「貴方だけなの?」と、久美は尋ねる。
するとエプタはしっぽを振る。
久美はホッとして、門を開けて敷地から出て行こうとすると、エプタがずっとついて来た。
「だめよ、エプタ。 寝床に戻って。」
だが、エプタは戻ろうとはしない。
久美はしょうがなく「障壁のところまでだからね。」と、南に向かって歩き始めた。
―――
久美は障壁の前に立ち、上を見上げる。
「これが障壁なんだよね? 弾くって言ってたけど・・・」
久美はそう言って障壁に手を伸ばす。
だが、前と同じく弾かれることなく、障壁の中へと手は沈み込む。
「やっぱり・・・」
久美は腕を引かず、そのまま障壁に向かって進んでいく。
その様子を見たエプタが驚いて、振っていた尻尾が止まり、ピンと上に向かって尻尾を伸ばした。
久美は立ち止って振り返り、エプタに向かって「ほら、もう家に帰って!」と追い払うように手を振り指示を出す。
だが、エプタはその声を聞いて、久美の横に飛び込んだ。
「あ、こらっ!!」
そう言って久美は体を翻すと、障壁の中へ“ドプン…”と全身が消えた。
―――
次の日の朝。
久美を起こしに行ったマルグリットが、慌てて“バタバタ…”と足音を響かせてリビングに入ってくる。
「た、大変! く、クミ、クミが!」
「クミがどうした?」
マルグリットがユグのそばにより、両手でユグの両腕の袖を掴む。
「部屋に居ないの・・・そして、サイドテーブルの上に、これが・・・」
そう言って、手のひらの腕時計を見せる。
それを見てユグの顔が歪んだ。
「置き土産のつもりか・・・?」
「どうしよう・・・どこへ行っちゃったのかしら・・・」
二人の周りを犬たちが心配そうに動き回り尻尾を立てる。
その様子にユグがあることに気づく。
「エプタがいない・・・」
その声にマルグリットが体を捻って確認する。
「あの子・・・どこに行ったのかしら?」
ユグはドアを見ると、ドアのロックが外れているのを見て、
「まさか・・・・・・久美についていったのか・・・」
ユグとマルグリットは玄関のドアを開けて周囲を見回す。
そして、自分の髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
「エプタを信じよう・・・きっと久美を連れ帰ってくれるはずだ・・・」
ユグはマルグリットの肩を抱く。
二人は遠くに見える障壁をジッと見つめた。
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1章の話はこれで終わりにしようかと思います。
話を膨らませる為の分岐は、今書くと2章とのつながりが悪くなりそうなので、これで終わりにします。
書き足したい部分は、見直しながら本文中に追記していこうかと思います。




