どんな世界でも大好きな君の隣に【※】
【※注意】第6王子によるスキンシップ表現あり(R-15:背後注意!)
「『さよなライム』を置いておく。ニコが鏡の前で持てば、元の世界に帰れるさ――」
ポトンッ――と、何かが床に落ちた音が聞こえて、ぼくは振り返る。
「あっ……」
すでにお兄さんは姿を消していた。
「スゥ……スゥ……」
部屋から聞こえてくるのは、ニコくんの穏やかな寝息だけ。
ぼくは起こさないように、ゆっくりと鏡の方へ足音を忍ばせる。
(あ、あった!)
ニコくんのお兄さんはしっかり約束を守ってくれた……。
鏡の前に、例のアイテム『さよなライム』が置かれていた。
ぼくはしゃがんで、手を伸ばそうとした。
ゴンッ!
ライムに気を取られたせいか、掴む前に、勢い良く、鏡に頭をぶつけてしまった。
「ったぁっ……!」
頭を押さえて、ぼくはすぐに座り込む。
(注意力散漫だ……って、あれ?! 髪の毛がちょっと濡れてる?)
ふと目線を自分の体に向けると、さっきの激闘のせいか、ぼくは全身に汗をかいていた。
特に、胸元に大粒の汗が流れていて、このまま放置すると、服ににじんでしまいそうだった。
急いで、手首についているカフスで胸の谷間の汗を拭おうと腕を動かすと――。
むにゅっ。
プリンみたいな柔らかい感触が手の甲に伝わった。
(やだ……自分の胸に触れちゃった……!)
恥ずかしくなり、思わず視線を正面に逸らしたぼくは、鏡の中にいる自分自身と目が合ってしまった。
鏡に映っていたのは、顔を赤らめて、ハイレグカットで太ももの肉付きが丸見えで、胸元が開いているせいか胸のラインが強調されたバニーガール姿のぼく。
(どうしよう。破廉恥すぎるっ……)
慌てて両手で自分の体を隠したものの、羞恥の念にかられて、心臓がバクバクする。
だって、こんな恥ずかしい姿をニコくんだけでなく、ニコくんのお兄さんにも見られてしまったんだ。
(無理無理無理無理ィ! でも、今はニコくんを現実世界に戻さないと!)
首を横に振って、気持ちを切り替える。
ぼくは、床に置かれていた『さよなライム』を手に取り、ニコくんが眠っているベッドの縁に腰掛ける。
前にぼくが眠れない時、ニコくんがトントンと寝かしつけてくれた。
今度は、ぼくがニコくんを優しく起こす番だ。
突然驚かせるのも可哀想だから、まずは頭を撫でてみる。
(あっ、ふわふわしてる……)
普段から外ハネしていて、毛量が多く、柔らかい髪質のニコくん。
狼の耳が生えているけれど、ぼくにとっては、大きな猫みたいに見える。
「かわいいね……」
「ふーん……」
不意に、ガシッと腕を掴まれた。
「うぉっ! ニコくん、起きた? 体調はどう?」
「あぁ、大丈夫。それより……オレは変な夢を見たんだ」
不機嫌そうな顔をしながら、ニコくんはむくりと起き上がる。
「どんな夢?」
「君がオレの兄貴と戦っている夢……」
「あっ……」
剣術バトルの最中、ニコくんはぐっすり眠っていたはず。
けれど、この不思議なゲーム世界だと、ぼくとお兄さんとの間で何が起きていたのか、夢の中で出来事がリンクしていたのかもしれない。
ぼくの方から、お兄さんと勝負するにいたった事情を伝えることにした。
「ニコくん。ぼくは君のお兄さんの対応が許せなくて、剣術で戦ったんだ。もっとニコくんのことを大切にしてほしかったから。最終的にお兄さんが折れてくれて、ぼくが勝ったよ……」
「サラが……勝ったのか?」
珍しくニコくんの切れ長の目が見開いた。
ニコくんが驚いたのも無理もない。
剣術部で、ダン先輩にいつも負けてばかりのぼくが、同じ剣術検定一級保持者であるニコくんのお兄さんに勝てたのだから。
(ぼく、王子様に勝ったんだよね?! どうしよう、やっぱり勝てたのが嬉しすぎて……ニヤニヤが止まらないよー!)
勝ったことへの喜びを抑えられず、「うん! 勝ててとっても嬉しかった!」と素直に笑顔で伝えてしまった。
すると、ニコくんがガバッと毛布を退けて、ぼくのことを前からぎゅっと抱きしめる。
「サラ、よく頑張った。怖かっただろ?」
寝起きで温かいニコくんの身体が、わずかに震えていた。
ぼくのことを心の底から心配してくれていたんだ。
「本当は怖かった……。でも、負けられないと思ったんだ」
ぼくはゆっくり、よしよしと、ニコくんの背中を片手で優しく撫でる。
「負けられない……?」
「うん、ぼくは大好きなお母さんとの約束を守るために、男として生きるって決めたんだ。正直、何度も挫けそうになったことがあるよ。自分の身を守るために習った剣術も、最初は怖くて泣きながら通っていたし……。あと、人助けの御礼でウェディングドレスを着た時は、最初から女の子として生きていたら、髪を伸ばしていたのかな? って想像したこともあってね。運命の悪戯に翻弄された人生を、ぼくはこのまま送っていくのかと、悲しくて眠れない日もあった」
ニコくんが、ぼくの少し伸びた髪先を指先で優しくいじりながら、話を聞いている。
「だけど、この運命は悪戯でありながらも、すごく充実していたんだ。血の繋がりはなくても、おじさんとオーちゃんがぼくのことをずっと支えてくれた。ぼくが少女漫画を読んだり、ぬいぐるみが好きだったりと、女の子みたいな趣味でも『貴女の好きなことをしなさい』って肯定してくれた。ぼくは本当に幸せ者だよ。学校にも通えて、強くて優しいニコくんに出会うことができたのだから」
「……っ」
こういう時、ニコくんは何も喋らない。
けれど、まっすぐで火の灯った瞳をしているから、ぼくと同じように運命を感じているのかもしれない。
もしぼくが最初から第一王女として王宮で育っていたら?
ニコくんが養子じゃなかったら?
二人とも最初から特別科にいたら?
多くの可能性があった中で、ぼくは一般科の教室でニコくんに出会えたんだ。
お互い深刻な隠し事をしているからこそ、本音も言い合える――。
「ニコくんに頼ってばかりの泣き虫なぼくだけど、あと少しだけ、男として生きていくって決めたんだ。それでも、一緒にいてくれる?」
「……わかった。いるさ……君の隣に……」
ニコくんは、ぼくが左手に握っていたライムを見つめ、『それをオレに渡してくれ』と目で合図する。
「あっ、これは……」
「知っている。このアイテムを鏡の前で持てば、元の世界に戻れる……」
「いいの……?」
一方的にぼくばかりが本音を話してしまい、ニコくんの意思をちゃんと確認できていない。
「いいさ。君の思いは十分に伝わった。元の世界で会おう」
覚悟を決めたニコくんはベッドから立ち上がり、鏡の方を向く。
だけど、どこか寂しそうな顔つきをしていた。
『現実世界に戻りたくない』と訴えているみたいに。
「ニコくん、大丈夫だよ」
「あぁ」
「戻ったらさ、一緒に、観に行こうね?」
ぎゅっと、ぼくの方からニコくんの手――ライムを持っている大きな右手を、両手で握った。
「はぁ……」
ため息をついたニコくんが、もう片方の手で、ぼくの腰をグイッと力を込めて引き寄せる。
チュッ……。
ぼくの右頬に、柔らかくて、熱い唇が触れた。
「どんな世界でもオレはいる。かわいい君の隣に……」
普段はビターチョコレートみたいにクールな王子様からの、優しくて、不意打ちのキス。
バニーガールと狼男という摩訶不思議な格好をしているぼくたちだけど、今だけは、おとぎ話の王女様と王子様にしか見えなかった。
ずっと憧れていた、少女漫画の世界。
もう少しだけ、この世界にいたいかもって、ぼくも思っちゃったのは、内緒……だよ……。




