届かない告白〜秘密の王女と王子の涙〜【※】
【※注意】第2王子によるスキンシップ表現あり(R-15:背後注意!)
ミルクチョコレートのように甘く蕩けそうな熱気。
ダン先輩の大きな掌が、ぼくのおへそを覗こうと制服の裾に指を掛けた。
絶体絶命のピンチ。
けれど、こんな状況でも、どうにかしてダン先輩を言いくるめる術はないかと、ぼくは必死に知恵を絞る。
今のダン先輩はラムチョコの影響で、いつもより余裕がない。
そもそも、目の前のぼくを「サラ」だと認識していないらしい。
それでも、逞しい腕に捕らえられたままでは、逃げることはできそうにない。
(こうなったら、頭脳戦で勝つしかない!)
脳裏に、昼間の医務室の光景が鮮明に甦る。
――「君が女の子だったら、プロポーズして、国を敵に回してでも奪い去っていただろうね」
ぼくはあえて声のトーンを高くし、視線を落としたまま、問いかけた。
「第2王子様。貴方は今日、お気に入りのおへそを見つけたのでは? プロポーズしたくなるような、素敵なおへそを……」
すると、ダン先輩は「あっ……」と眉をハの字に下げ、裾をめくろうとしていた手を、自身の眉間へ移した。
「すまない、第一王女様。わたしは大失態を犯した」
「大失態……?」
「後輩のおへそを見て、わたしは……心を乱してしまったんだ。彼は小柄だが、とても強い。将来、わたしたちの部下になってもらいたい、大切な存在で……」
やはり、ぼくの勘は当たっていた。
酔ったダン先輩は、目の前にいる「後輩のサラ」を、「第一王女」だと思い込んでいる。
しかも、野球大会での疲れが溜まってきたのか、眠たげな瞳をしていた。
(決めた。今のうちに、眠りにつかせよう)
「王子様。怒っていないから、気にしないで。おやすみなさい」
ダン先輩が瞼を閉じようとした隙を窺って、ぼくは大樹のような腕からすり抜け、自室へ戻ろうとしていた。
けれど、ダン先輩はぼくを解放する気がないらしい。
「なんで消えようとするんだ……お願いだ、一緒に……」
縋るような、震え声。
思わずダン先輩の顔を見たぼくは動揺を隠せずにいた。
誰よりも強くて穏やかで、いつも太陽みたいに明るいダン先輩が、目に涙を浮かべていた。
(どうして泣いているの……?)
呆然としていると、ダン先輩はぼくの前髪を優しく掻き分け、おでこに骨太の指が触れた。
「知ってるかい、第一王女様。君の兄上は、ここに印があるんだ。【1】の数字と王冠、それに悪魔族の羽の形をしたアザが。君にはないみたいだね」
「っ……!」
第一王女の兄――国王の息子、第一王子のことだ。
(ぼくの……本当の、お兄ちゃん……?)
【1】と王冠の紋章。
会ったこともない【兄】という存在と、切っても切れない宿命で繋がっているのだと、否応なく思い知らされる。
ダン先輩は王族子女会議を通して、第一王子を知っているのかもしれない。
でも、普通の家庭で「男」として生きてきたぼくは、お兄ちゃんの顔も、その声さえ知らない……。
「あれ、おかしいな。ここにも、ないのか……」
見知らぬ第一王子について考えている間に、ダン先輩がぼくの右手の甲をじっくりと眺めていたかと思うと、その甲に温かく、しっとりとした唇の感触が広がる。
「やっ……!」
「あぁ、気づいてくれたね……。愛してるよ」
微笑みながら、さらに眠気に身を委ねるダン先輩。
その両手は力なく、ぶらんと床に滑り落ちていった。
今がチャンス。
これで自由に動ける。
すぐにここから逃げ出せばいい。
それなのに、体が、動くことを拒んでいた。
(ぼくは……キスされたんだ。しかも……)
「愛してるよ」という、大好きな人に贈る一番重い、愛の言葉。
ダン先輩は、心から第一王女に恋焦がれていたんだ。
第一王女として、生まれて初めて受けた、愛の告白。
本当なら、幸せなはずなのに。
だって、ずっと背中を追い続けてきた、憧れのダン先輩からの言葉なのだから。
なのに、どうして、こんなに胸が苦しいの……。
ぼくは溢れそうな涙を堪えて、唇を噛み締めた。
どんな顔で、どう答えればいいのか、今のぼくには分からなかった。
一方で、ダン先輩は眠気の限界がきているようだった。
「ごめん……アザがどこにあるのか分からないし、疲れのせいか、もう目が開かないんだ……。でも、これだけは……。もし妹が生まれたら、会ってやってくれないか。兄になる実感はまだないけれど……大切な家族なんだ……」
酔っていても、心根はいつもと変わらない。
ダン先輩はいつだって自身のことより、周りの誰かや、家族を最優先にする。
ぼくは知っている。
ダン先輩が優しい王子様であることを。
だから、ぼくは、ありのままの想いを口にした。
「会いに行くね。貴方が優しくて素敵な『お兄さん』だって、妹さんも分かってるよ。だから安心して……おやすみなさい」
ぼくの声に安堵したのか、ダン先輩は深い眠りへと落ちていった。
起こさないよう、慎重に部屋を抜け出したぼくは、玄関前に一枚のミルクチョコレートを置いた。
せめてもの、ぼくからの謝罪と、甘い夢への祈りを込めて。
その後、個室に辿り着いたぼくはカチャリ、と内側から鍵を閉めた。
(とにかくお風呂に入って、気持ちを落ち着かせたい……)
制服を急いで脱ぐ。
胸を締め付けていたサラシを解き、露天風呂の戸を開けた。
ひんやりとした夜風が火照った肌を冷まし、真っ白な湯気がぼくを包み込む。
「はぁ……」
お湯に身を沈めると、体の芯まで熱がじんわりと染み渡る。
けれど、温泉の熱さよりも、手の甲に残るあの唇の感触の方が、ずっと熱く感じられた。
気を紛らわせようと夜空の月を見上げたけれど、あの言葉が、どうしても忘れられない。
「愛してるよ」という、甘くて低い、切ない声。
ダン先輩が愛しているのは、「第一王女」だ。
決して、剣術に明け暮れ、おへそを見られて赤面する「後輩のぼく」ではない。
もし、ぼくが正体を偽ることもなく、最初から第一王女として生きて、ダン先輩に出会っていたら……?
左胸に刻まれた第一王女の紋章が、お湯の熱で赤く浮き上がっている。
あたかも、偽り、欺き続ける自分を嘲笑うかのように。
「……でも、ぼくは今の人生に後悔していないんだ……」
第一王女だと認めたくない。
アザから目を背けるように、ぼくは瞳を閉じた。
それでも、手の甲に残る、熱くてしっとりとしたキスの記憶だけは、どうしても消えてくれない。
世界で一番甘くて苦い、ホットチョコレートのように感じられた。




