第一章 「運命の女(ファム・ファタール)」 10
グツグツと煮立っていた鍋をオヤジが弱火にしてなだめる。
「警察の捜査を信用していないわけじゃないんだけど、そんな理由もなく急に人が眠りにおちるなんてことが本当にあるんだろうか?」
「そりゃまあ、ないことはないけど……」
「え? マジ?」
「ええ。日中、本人の意思とは無関係に強い睡眠衝動に駆られる病気――ナルコレプシーというものがあるわね。その詳しい発症原因は不明だけど、一種の睡眠障害やストレスに起因するらしいわ。それに、この病気は思春期にもっとも多く発症する傾向にあるみたいだから、今回のケースにはもっとも当てと言えるかもね」
「へー。そんなものがあるのか」
全然知らなかった。
「それじゃあ、今回の件もその可能性が濃厚だと?」
「うーん。そうとも言い難いわね。このナルコレプシーはそんなに症例の多い病気ではないから、同学年に三人もいるとは考えにくいかしら」
「じゃあ、一体原因は何なんだよ」
考えがまとまらず俺は頭をかきむしる。
「それを調べるのが武蔵ちゃんのお仕事なんじゃない。潜入調査も初日なんだし、これからこれから!」
オヤジは空になった鍋にうどんを二玉入れながらウィンクしてきた。
「まっ、そりゃそうだな……」
何となく毒気を抜かれて、そこでこの話は終了となった。
「そんなことよりも、ナナコちゃんは学校慣れた?」
シメのうどんの代りに、オヤジがナナコへとデザートのバナナを渡して訊いた。
「慣れた……」
落ち着いたトーンの声でナナコが答える。
「そう?」
オヤジはそんな素っ気ない答えでも満足したのか、ニコニコと朗らかな表情を浮かべている。まあ、この辺のことは下手に急かしても仕方ないので、徐々に慣らしていくのがベストだと思う。しかし、今日のところは飛びきりのネタがある。
「ヤオイさんだっけ?」
助け舟と言うよりもちょっとした悪戯心で、俺は得意げにナナコへと話を振る。
「ヤオイですって!」
そっち系の言葉にオヤジが前のめりになって喰い付く。
「そのヤオイじゃねーよ」
「そっちじゃなければどのヤオイなのよぉ~! 女子校にはそっち系の人が沢山いるって話じゃない。まさか、UFOの方とか言うんじゃないでしょうね?」
「違うよ」
俺は焦らすように、一拍置いて続ける。
「実はな……」
うずうずと鍋のうどんをかき混ぜながら次の言葉を待つオヤジ。ナナコの方はいつもの澄まし顔でバナナの皮をむいている。
「何とナナコに友達が出来たんだ! その子の名前が矢追なんだよ」
その言葉に、オヤジがプルプルと小刻みに震えだす。
「おい、どうした?」
只ならぬ様子に、俺は思わず立ち上がった。
「ようやく、ようやく、ナナコちゃんにも、友達が出来たと思ったら、嬉しくてね……」
大粒の涙が彫りの深い頬を伝う。煮詰めすぎてクタクタになった野菜の入った小鉢に雫が落ちる。
何も泣かなくてもと思いはすれど、俺自身共感する所もあるので黙ってうなずいた。
全く感動屋なオヤジだ。見た目は盛大に胡散臭いオヤジだけど、こんな風に感情を素直に表現出来る人なので、親に捨てられた俺が今こうしていられるんだと思う。
それにしても、涙で化粧がぐしゃぐしゃに崩れたオヤジの顔は身内でも結構怖い。俺はティッシュを渡して拭き取るように促す。
「ナナコちゃん、学校のこと、あまり話してくれないし……、ホント、良かったわ」
「よかった?」
ほんの少し斜めに首をかしげるナナコ。
「ええ。良かった」
「なぜ? どうしてわたしのことなんて気にするの……?」
ナナコは、不思議そうに化粧の剥がれたオヤジを見つめた。
「そりゃ~、気になるわよ。だってアタシたちは家族だもの」
「家族?」
既に傾いていた首がさらに斜めになる。
「家族ではないわ。わたしたちは血は繋がっていないもの」
「何言ってるのよ。同じカマの飯を食べたら家族も同然よん」
大きな手のひらを、隆起した胸板に当てて言い放つオヤジ。
「って、何、うまいこと言ったような顔してんだよ」
肩をすくめる俺に、
「別にそんなつもりはないけど。ただ同じものを食べておいしいって思える……。同じ景色、同じことに感動出来る人。それも一つの家族なんじゃないかしら?」
オヤジは、両の口角を思い切り持ち上げて笑う。
ナナコの方も流石に呆れているのか、照れくさいのだろうか、口に含んだバナナをそのままに頬をぷっくりと膨らませたまま固まっている。
「学園の事件を解決するのは大切だけど、ナナコちゃんのことも大事。何よりも大切なのは家族ってことよ。と言うわけで、明日からも調査よろしくね、武蔵ちゃん」
そのためにはパワーをつけないとねと、オヤジは同じカマの飯ではなく、同じ鍋のうどんを大盛りでこちらによこした。
「パワーね……」
これを受け取ると、依頼を正式に引き受けたという証。解決まで手を抜いちゃ駄目だという暗黙の了解となってしまうような気がした。
正直、今回の任務はあまり気乗りはしなかったが……。
自慢の大胸筋に力を込めて、ホレホレと器を揺らして促す。
「ほらほら。いっぱい食べて元気だしてイキましょう」
「ったく、しゃーねーな。任されたよ」
それを俺は仕方ないと言いつつも、素直に受け取った。




