感謝
その日、プニプニ三銃士は鍛冶工房に姿を見せなかった。俺は朝から鍛冶道具の清掃を続けていた。昨日は壁や窓、床などを中心に掃除した。今日は金床、金槌、ヤットコ、その他の鍛冶道具を一つずつ磨いている。長い間使われていなかった道具は、想像以上に汚れていた。錆を落とす。埃を拭く。表面を磨く。それでも、まだ気になる場所がある。
「ここも……か」
俺は壁際に積まれていた木箱を動かした。その裏側には、埃が溜まっている。床にも細かな金属片が落ちていた。俺はそれを拾い、掃き掃除をする。気づけば昼を過ぎていた。腹は減っている。でも、俺は昼食を取らなかった。
「もう少しだけ……」
そう思って掃除を続ける。気になる。ここを綺麗にしたら、あっちも気になる。あっちを綺麗にしたら、今度はその隣が気になる。結局、俺は日が傾くまで工房を掃除し続けた。
「……こんなところか」
外を見る。いつの間にか、太陽が沈みかけていた。そこでようやく、俺は気づいた。
「あれ?」
今日は、バルガスたちを一度も見ていない。けれど、不思議とは思わなかった。掃除に夢中になっていたせいで、三人が来ていないことを今まで意識していなかったのだ。
「まあ、いいか」
俺は道具を片付け、鍛冶工房を出た。そして、そのまま宿舎へ戻る。食堂へ入ると、テーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
「……手紙?」
俺は紙を手に取る。そこには、簡単な文字でこう書かれていた。
『市場へ買い出しに行ってくる。ついでに家族の住む家にも寄る。三日後には戻る。台所にあるものは好きに使え』
「……なるほど」
俺は紙をテーブルに戻した。バルガスたちには、それぞれ家族がいる。三人とも結婚していて、子供もいるらしい。鍛冶工房は町の中心から離れた場所にある。 だから、三人は工房に併設された宿舎で寝泊まりしている。四日間は工房で過ごし、その後三日間は家族のもとへ戻る。そういう生活らしい。もっとも実際には、その四日間も鍛冶をしているわけではない。酒を飲んでいるだけだ。工房を見れば鍛冶をしていないことは手に取るようにわかる。
「……まあ、俺には関係ないか」
俺は特に何も感じなかった。今まで、一人で鍛冶をしてきた。これからも同じだ。そもそも、鍛冶をする気のない三人を頼りにするつもりもない。俺は台所へ向かった。手紙に書いてある通り、食材は自由に使っていいらしい。簡単な夕食を作る。昼食を抜いたせいか、かなり腹が減っていた。作った料理を一人で食べる。食べ終わると、すぐに自分の部屋へ戻った。布団に入る。でも……眠れない。
「……早く鍛冶がしたい」
目を閉じる。頭の中に、あの工房を思い浮かべる。森の中にあった、あの秘密の工房。炉。金床。鍛冶道具。そして、俺が握っていた金槌。目を閉じたまま、鍛冶をする。実際には何も持っていない。それでも、頭の中では何度も繰り返す。炉に火を入れる。素材を熱する。赤くなった鉄を取り出す。金床に置く。金槌を握る。構える。振り下ろす。
カンッ!
頭の中で、金属を打つ音が響いた。もう一度。振り下ろす。
カンッ!
もう一度。
カンッ!
俺は、これをずっと繰り返していた。
理由は一つ。怖かったのだ。もう一カ月以上、金槌を握っていない。鍛冶をしていない。あれだけ毎日のように続けていた鍛冶の感覚を、俺は忘れていないだろうか。握り方。力の入れ方。振り下ろす角度。素材を叩く位置。音。感触。すべてが頭の中には残っている。でも……。
「……実際にやったら、どうなるんだろうな」
俺は目を開けた。部屋の中は暗い。ランタンには火をつけていない。それでも、眠る気にはなれなかった。もう一度、目を閉じる。イメージする。炉の前に立つ。金槌を握る。振り下ろす。何度も。何度も。気づけば三時間が経っていた。
「……」
いつの間にか、俺は眠っていた。翌朝。
「……静かだな」
目を覚ました俺は、大きないびきが聞こえないことに気付く。プニプニ三銃士がいないからだ。それでも、太陽が昇る頃には目を覚ました。俺はすぐに朝食を食べる。そして、身支度を整える。
「……行こう」
今日は……ついに鍛冶をする。そう思うだけで、心臓が少し速くなる。俺は宿舎を出た。鍛冶工房が見えてくる。昨日まで何度も掃除をしていた場所。でも、今日は違う。今日は、掃除をするために来たんじゃない。鍛冶をするために来た。扉を開けて中へ入る。誰もいない静かな工房。俺は炉を見る。金床を見る。そして、鍛冶道具を見る。昨日までとは、景色が違って見えた。
「……やっとだ」
胸の奥が熱くなる。俺は炉の準備を始めた。火を入れて送風装置を確認する。金床の前に立ち金槌を手に取った。
「……」
久しぶりの感触。一カ月近く握っていなかった。手に持った瞬間、少しだけ緊張した。けれど……。
「……忘れてない」
握り方。重さ。腕の角度。身体の感覚。昨日まで頭の中で繰り返していたからなのか、思ったよりも自然だった。俺は小さく息を吐く。
「よし」
素材を用意するが鉄ではない。この工房に銅しかない。しかも、鍛冶眼で確認した結果……品質は最悪だ。不純物が多く均質性も低い。素材としての状態も悪い。
「……」
思わず苦笑する。秘密の工房で使っていた素材とは、比べものにならない。でも、ないものを嘆いても仕方がない。
「これで作る」
銅を炉へ入れる。熱しながら適切な温度を探る。
「今だ」
銅を取り出して金床へ置く。金槌を構えて振り下ろす。
カンッ!
「……」
音が違う。道具が違う。素材も違う。手に伝わってくる感触も、秘密の工房とはまるで違う。それでも、俺は打ち続ける。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
ところが――。
「……まずい!」
銅の一部が想定以上に変形した。俺はすぐに手を止める。粗悪な素材。粗悪な鍛冶道具。その組み合わせは、想像以上に難しかった。ほんの少し力加減を間違えるだけで、素材が歪む。叩く位置を間違えれば、狙った形にならない。温度を少し外せば、思うように加工できない。
「……繊細だな」
高品質な素材なら、多少の誤差を技術で吸収できる。高品質な鍛冶道具なら、狙った場所へ正確に力を伝えられる。でも、ここでは違う。道具そのものに癖がある。素材にも癖がある。だからこそ、一つ一つの動作を正確にしなければならない。俺は失敗した部分を炉へ戻した。もう一度、熱する。やり直す。また失敗する。
「……くそっ」
それでも、やめない。何度も何度も素材を熱する。状態を見て金床へ置く。金槌を振って形を確認する。また炉へ戻す。少しずつ修正する。失敗すれば、最初からやり直す。昼になっても完成しない。けれど、俺は気にしなかった。久しぶりだから難しいのではない。この環境そのものが難しいのだ。なら合わせるしかない。俺が、この道具と素材に合わせる。
「……ここだ」
何度目か分からない挑戦。俺は銅の状態を見ながら、金槌を振り下ろした。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
少しずつ形が整っていく。刃となる部分を作る。柄を取り付けるための形を整える。何度も確認する。そして……。
「……できた」
夕方。俺の手には一本の銅の剣があった。決して綺麗ではない。表面にはわずかな歪みもある。素材の品質も低い。それでも俺は笑った。
「……剣だ」
俺は剣を見つめる。久しぶりに俺は鍛冶をした。そして一本の剣を完成させた。俺はゆっくりと鍛冶眼を向ける。すると視界に情報が浮かび上がった。
【名称】銅の剣
【武具ランク】レベル1
【材質】銅
【強度】低
【硬度】低
【靭性】低
【切れ味】低
【耐久性】低
【重量】普通
【均質性】低
【武具状態】普通
「……レベル一」
俺は表示を見つめる。
「ア……ア……アハハハハハハハ」
俺は笑った。面白いからではない。嬉しいからではない。自分でもなぜ笑っているのかわからない。八年間努力をして、レベル四に到達した俺が、一カ月ほど鍛冶を離れたら、レベル一になっていた。その結果をみたら笑いが止まらなかった。俺の腕が落ちたのか……いや、違うだろう。環境のせいだ。粗悪な素材と粗悪な道具、弘法筆を選ばずというが、そうではなかったのだ。鍛冶とはそんな単純ではない。素材と道具が一流でないと一流の武具は作れない。鍛冶の世界では、蛙の子は蛙であり、鳶が鷹を生む事などないのだ。
俺は剣を握った。
「ハハハハハハ、ハハハハハハ」
さらに俺は笑った。しかし、先ほどの感情とは違う。一度は鍛冶ができないと絶望して、死んでも良いと思った。でも、今俺は鍛冶をしている。それだけで、心の底から嬉しかった。レベル一……だからどうした。鍛冶ができないことに比べたらどうでも良い。
「……ありがとう」
俺は誰に言うでもなく呟いた。この工房に。この鍛冶道具に。この粗悪な銅に。そして、鍛冶をすることができた今日という日に感謝をした。




