case6 死に至る病1 ―雨宮カナタ―
《2078年8月29日》
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「二の太刀――乱れ雪桜ッ!」
袈裟、切り上げ、逆袈裟の三連撃を受け、豪快に血を噴出させてから、魔物はドサリと地に伏せた。
繰り出した技のキレに満足し、ヒュッと空を切って血払い。それから私はゆっくりと刀を鞘に納める。
「ふぅ……」
戦闘で溜まった熱を肺から追い出すけど、身体の熱はそう簡単に消えてくれない。
夏ももう終るというのに、今日はやけに日差しが強いのだ。
特に、ここは屋外。駅裏の再開発予定地なのでまだ目立った建造物も少なく、肌を焼く熱線がダイレクトに私に届いていた。
「まったく。こんな猛暑日に出てこなくてもいいでしょ」
死骸に愚痴をぶつけてみたけど、返事が返って来るはずもない。
それに、魔物は時も場所も選んではくれないのだ。
「今月はこれで何匹目だったかしら……」
一人ごち、服についた埃を払い、ようやく汗が引き始めたのを見計らってから、私は帰り仕度を始めた。
呑気に休んでいる暇はない。署に帰ったら報告書を纏め、たぶんそのまま次の現場へ行くことになるのだろう。それほどに、魔物絡みの事件が多発しているのだ。
忙しいことは良いことだなんて言うけれど、こと私の仕事に関してそれは当てはまらない。
なにせ魔物絡みの事件を専門に解決する対策課。
忙しいということはそれだけ魔物が出現しており、それだけ被害者がいるということなのだから。
でも、今だけは忙しさに感謝する。
元々デスクワークを得意としない私は、机に向かっていると、すぐに余計なことが頭に浮かんで来てしまうのだ。
例えば先日行ったパスタ屋のパスタはあまり美味しくなかったとか、昨夜倒した魔物はコオロギみたいな外見で気持ち悪かったとか――随分顔を見ていない特殊探偵のこととか……。
「ふっ!」
また余計なことが頭を過ぎりそうになり、気合とともに息を吐き出す。
今は職務に集中。困っている人、助けを求めている人はまだまだいるんだから。
どうでもいいことにかまけている暇なんてないのよ、雨宮カナタ。
と、雑念に捕らわれていたからか。
近くにいた人の気配に気付くことが出来ず、急に腕を引かれて私はよろめいてしまった。
「な、なにっ!?」
すぐさま異能『鈍界』を発動。
不足の事態が起きた時、いつでも反射的に使えるようになれと、私は耳にタコが出来るほど聞かされていたのだ。
その教えは、今ではすっかり身に染みついていた。
やけにゆっくり流れる景色の中、私は自分の腕を引っ張った者を観察する。
身長の高い男。
歳は私と同じか少し下だろう。
細面で爽やかな雰囲気の男は、スラリとしたグレーのスーツを身に纏っていた。
見覚えはない。
一体何者なのか。
何が目的なのか。
けどその答えは、男の口ではなく次に起きた事象で明らかになった。
「――えっ!?」
私の横に、先ほど倒したと思っていた魔物が飛び掛って来ていたのだ。
腕を引かれていなければ、あの鋭い爪は私の背中を切り裂いていただろう。
それが分かり、暑さも忘れて身が震えた。
「大丈夫?」
気付けば、私の身体は男の胸の中。
見上げると、心配そうな瞳を向けて、男が私を案じていた。
「え、えぇ」
体勢を崩していたため寄りかかるような姿勢になってしまっている。
私は慌てて男の胸を手の平で突き放し、体勢を立て直した。
眼前には魔物。
息があったとは驚きだが、まだ意識が朦朧としているのか、その動きはぎこちない。
鯉口を切り、その後ろ姿を横薙ぎに払う。
ゆったりとした時間の中で血桜の刃が魔物の身を深く抉り、今度こそ魔物は声もあげずに絶命した。
その様子を見ていた男が、パチパチと手を叩いて賞賛の言葉を投げかけてくる。
「お見事です。素晴らしい腕前ですね。僕の助けなんて必要なかったかも」
納刀して振り返ると、彼は屈託のない微笑みを浮かべていた。
「いえ、助かりました。ご協力に感謝致します」
助けられたのは事実。
彼がいなければ、地面に倒れて転がっているのは、ひょっとしたら私のほうだったかもしれない。
その未熟さを素直に認め、私は公僕らしい感謝の言葉とともに、深々と腰を曲げた。
「あぁ、いえいえ! そんなに畏まられると恐縮してしまいますよ。どうぞ顔を上げて下さい」
それが面映かったのか、男は慌てて手を振っている。
そんな謙虚な態度を取る人間は私の周りにはいない。だから、少しだけ私の頬が緩んだ。
「助かったわ。本当に」
今度は心からの感謝を込める。形式ばったものではなく、素の雨宮カナタとしての言葉だ。
なのに、なぜだろう?
男は先ほどにも増して、あわあわと慌て始めてしまったのだ。顔を真っ赤にして。
「す、すいませんっ! 急に抱き寄せるような真似をしてしまってっ! こんな綺麗な人だとは思わなくて……」
……は?
「あ、あのっ! よろしかったらお名前を教えて頂けませんか? あぁ違うっ! 先に僕が名乗るのが礼儀ですよねっ! 失礼しましたっ!」
呆気にとられる私をよそに、男は自分の胸ポケットをまさぐり始めていた。
その姿に、私は溜息を漏らしてしまう。
ナンパ。
綺麗だと言われても嬉しくはないし、残念だけど貴方に付き合っている暇はない。
「いえ結構です。仕事がありますので私はこれで。なんでしたら署の方に来て頂ければ、感謝状をお贈りすることは出来るかもしれません」
そう言ってその場を立ち去ることにする。
私には、まだやらなければならない仕事が山積みなのだから。
けど、その背中を呼び止められた。
「署? じゃあ対策課の方なんですか? てっきり同業の方かと思いました」
その言葉で、私の足は止まってしまった。
対策課の存在を知っていて、魔物を前に怯む様子を見せない人間。
それが私を同業と勘違いしたならば、その職業に心当たりがあるのだ。
振り返ると、彼はようやくスーツから目的のものを見つけ出し、恭しくそれを差し出してきた。
仕方なく私はそれを受け取る。
渡された名刺に目を走らせると同時、彼が自分の名を名乗った。
「僕は山城ユタカ。特殊探偵を営んでいる者です。といっても駆け出しですけど」
気恥ずかしそうに後頭部を掻き、顔を赤らめた若い男。
私と山城ユタカは、こうして出会ったのであった。




