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七話 もしも入賞したら

今朝は投稿できず、すみませんでした。

一日二話更新は維持したいので、まず一話目。次話は一時間後です。

 華麗なる土下座のおかげで、みどりは離婚を思いとどまってくれた。

 青太(あおた)も安心して、執筆に専念できるというものだ。

 せっかくの日曜日を、みどりとの漫才だけで潰してしまうのはもったいない。

 みどりの指摘を念頭に置きつつ、青太はプロットを書き直す。


「名前と年齢はそのまま。主人公が原稿を忘れてヒロインが見つけるって展開は、変えようか。みどりが言ったように、パソコンをたまたま見たってことにしよう」


 独り言を呟きながら、ノートパソコンのキーボードを叩いていく。


「チラッと見ただけだと、面白いって思うのは無理があるな。興味を持ったってくらいにしておこう。これもみどりが言った通りだな。ヒロインは、読書が趣味だから、主人公の小説にも興味を持つ、と」


 散々ダメ出しされた時は落ち込んだが、こうやって修正してクオリティを上げていく作業は、非常に楽しい。

 大変な作業ではある。当初考えていたプロットは、大幅に路線変更を余儀なくされ、書き直さねばならない。

 締め切りまでの時間を考えれば、このロスはあまりにも痛い。


 それでも青太は、心から楽しそうに、小説を書いている。

 一人で書いていたのであれば、仮に修正すべき点に気付いたとしても、時間との兼ね合いから妥協していただろう。


 一人ではない。みどりと一緒に、協力して作り上げる。

 その事実が、青太の力となっている。

 俺一人の力ではない、などという展開は、まるでラノベのようだ。

 いつになく順調なペースだった。


「あーおた。頑張って書いてるみたいね」


 作業机に向かい、夢中で執筆していた青太の背中に、みどりが抱きついてきた。

 離婚だなんだと揉めていたはずなのに、何もなかったかのような態度だ。


 みどりは、後に引きずらない性格をしている。喧嘩をすることも、機嫌を損ねることもあるが、青太が謝れば機嫌を直してくれる。

 だから青太も、つい調子に乗って、余計な口を叩いてしまうのだ。


「背中に当たる感触が固い。なんてわびしいんだ。普通、女性に抱きつかれたら、柔らかくて気持ちいいはずなんだが」


 みどりの胸が小さいことを揶揄するような発言だった。

 パソコンのディスプレイを見ているため、みどりの表情は確認できない。

 しかし、背後から不穏な気配が感じられた。

 言い過ぎた、と青太が後悔した時には、もう遅い。


「固くて悪かったわね。柔らかい方が好きなら、青太が柔らかくなればいいんじゃない? 差し当たっては、固い骨とか邪魔よね。粉々にして、軟体動物みたいになっちゃえば?」

「字が違う! 柔らかいと軟らかいは字も意味も違う!」

「さすが小説家志望。博識ね。でも、一般人の私には関係ないかな」

「ま、待って! 割とマジで痛い! 折れる! あばらが折れる!」

「折ろうとしてるのよ」

「当ててるのよ、みたいな感覚で物騒なことを言われても! 家庭内暴力反対!」


 みどりは、青太の肋骨を手のひらで圧迫していた。

 かなり力を込めているようで、冗談ではなく痛い。

 みどりの体と手に挟まれて、押し潰されそうになっている。


「待て! 本当に待てって! 子供! お腹の子の危険が危ないから!」


 青太が何かされるのは自業自得なので受け入れるが、みどりの体が心配だ。

 妊娠六週目だと、外見上は一切変化がないため、つい忘れがちになってしまう。

 青太も気を付けるが、みどり自身にも気を付けて欲しい。

 妊娠していることを自覚して、危険な行為は避けるべきだ。


 一応、青太のできる範囲で、みどりのことを気遣っている。

 重い物を持たせないようにしたり、危なそうな真似をさせないようにしたり。

 妊娠中の激しい運動も、控えた方がいいとされている。流産しやすい妊娠初期なら、なおさらだろう。


 みどりは、さっきも青太を殴るなど、過激な行動を取っていた。

 あまり大げさにする必要はないかもしれないが、青太としては不安だ。

 青太とじゃれ合ったせいで流産してしまうなど、後悔では済まない。一生ものの心の傷になってしまう。


「お腹に負荷をかけるなって! 落ち着け!」

「誰のせいだと思ってるのよ、まったく。そんなこと言われたら、私は何もできなくなるじゃない。ずるい」


 みどりは、青太の忠告を聞き入れてくれて、力を緩めた。

 しかし、抱きついたまま離れない。


「ごめんね、痛かった? さっきも、ここ殴っちゃったし」


 圧迫していた青太の胸部、そして先ほどいいパンチを食らわせた腹部。

 みどりは、自分で攻撃した部分を、優しく撫でる。さわさわ、と。


 こういうのは、できればやめてもらいたいものだ。

 決して嫌ではなく、嬉しいのだが、なんというか押し倒してムフフなことをしたくなってしまう。


 先にも述べた通り、妊娠中の激しい運動は控えた方がいいので、青太は我慢している。我慢がきかなくなってしまったら、どうしてくれるのだ。

 青太の気持ちなど知らないみどりは、抱きつきながら、青太の肩越しにノートパソコンを覗き込んできた。


「それで、小説の方はどんな感じ? 順調?」

「まだ直し始めたばかりだけど、順調だ」


 青太の言葉に嘘はなく、みどりと話しながらも、キーボードを叩く指は止まっていない。

 キーボードの上を流れるように指が走り、順調であると訴えている。


「順調ならよかった。私、ちょっと言い過ぎたかなって思って」

「そんなことない。凄く参考になった。直す部分が多くて大変だけど、やりがいがあって楽しいんだ」

「やっぱり、青太は小説のことを話してる時が、一番生き生きしてるわよね」

「唯一の趣味だしな。趣味をしてる時って、誰でも生き生きするものだろ」


 好きでなければ、十年以上も続けられない。

 ましてや今回は、集大成とでも言うべき作品を仕上げようとしているのだから、楽しくもなるというもの。

 青太が明るい声で話していると、対照的にみどりは沈んだ声になった。


「ねえ、そんなに大好きな趣味を、本当にやめてもいいの?」

「いいに決まってるだろ。小説を書くのは好きだけど、それ以上にみどりが大切だし、子供も大切にしたいんだ」

「青太の気持ちは嬉しいんだけど、無理してない? 確かに私は、諦めたらって言ったわ。でも、本当に諦めるとは思わなくて」

「平気だって。正真正銘、これが最後」


 本当に、無理はしていない。サンダー小説大賞への投稿が最後だ。

 青太は、そろそろ潮時だと思っていた。

 いつまでも夢ばかり追いかけていても仕方ない、と。

 独身ならいざ知らず、妻と子供がいてもなお夢を追うのは、褒められる行動ではない。

 だから、これが最後でいい。後悔はしない。


「……わざと言ってるのか、それとも本気で考えが及んでないのか知らないけどさ。もしも、新人賞を取っちゃったら、どうするつもり?」


 みどりに言われて、青太は手を止めた。

 考えなかったわけではない。

 だが、できるだけ考えないようにしていた。


 もしも、入賞したら。

 それは、新人賞へ投稿する人であれば、誰しも想像することだ。

 どうせ無理に決まってるし、とは思いながらも、心のどこかで「もしかしたら」という気持ちを抱いている。


 青太も同じだ。

 十七年もの間、入賞できなかった人間が、最後と決めた時に限って入賞する。

 物語の主人公ではあるまいし、ご都合主義な展開が現実にあるはずがない。

 あるはずがないとは思うが、万が一の奇跡が起きることは否定できない。


 宝くじのようなものだ。常識で考えれば、都合よく一等が当たるはずはないが、購入すれば可能性はゼロではなくなる。

 万が一ですらなく、天文学的に低い確率であっても、実現するかもしれない。

 宝くじに比べれば、青太の入賞確率は高い。

 単なる論点のすり替えでも、そう考えれば望みはありそうに思える。


「青太?」

「ごめん、ちょっと考え込んでた。入賞したらどうするか、だよな」


 少し前までの青太であれば、即答できた。

 勤めている会社を辞めて、ラノベ作家として生活していく。これに尽きる。


 厳しい世界であることは、百も承知だ。

 毎年、何十人もの新人がデビューするが、生き残れるのはほんの一握り。

 収入面を考えれば、ラノベ作家一本に絞るのは得策ではないと言われている。

 本業を持ちながら、副業で小説を書いた方がいい。


 知っていても、専念したかった。

 失敗するかもしれないが、挑戦したかった。


 青太一人であれば、仮に失敗しても、どうにでもなる。

 どこかの企業に再就職する。

 あくまでもラノベ作家にこだわり書き続ける。

 アルバイトで食いつなぐ。

 なんでもありだ。


 最悪は、路頭に迷ってホームレスになったところで、自分の選択なのだから誰を恨むわけでもない。

 ホームレスになりたいわけではないが、それほどの覚悟を持っていた。


「昔はともかく、今は会社を辞めるわけにいかないよな。みどりと子供を養わないといけないんだし」


 どうなっても受け入れると覚悟していたのは昔の話で、今は違う。

 妻と子供を不幸にするわけにはいかない。

 そうすると、取れる選択肢が限られてしまう。


「会社に勤めたまま、ラノベ作家としてデビューする。これが理想的なんだけど、うちの会社って副業禁止なんだよ。会社の許可を得ないってわけにもいかないし」


「その前に、体力的に難しくない? 最近の青太、毎日忙しそうにしてて、帰りも夜遅いじゃない。この上、小説家として活動したら、いつか体を壊すわよ」


「でも、入賞したのに、会社のせいでデビューを諦めるのは嫌だ。てことは、辞めるしかないけど、転職するって手もあるよな。副業オッケーの会社に」


「それ、ありなのかしら? 青太の年齢で転職って、需要少ないわよ。ただでさえそうなのに、副業をやってるってなると、会社としても雇うのを躊躇するんじゃ」


「かもしれないなあ。弱った……」


 ラノベ作家には専念できない。

 今の会社に勤めたまま、ラノベ作家になることもできない。

 ラノベ作家になってから、会社を辞めて転職もできない。


 道をほとんど封じられてしまっている状態だ。どうすればいいのやら。


「応募してもいないうちから、こんなことを話すのもなんだけど、青太が望むのなら会社を辞めてもいいわよ」


「昨日は、会社を辞めてラノベ作家を目指すなら離婚だって言ってたのに?」


「小説家を『目指す』のならね。入賞するってことは、小説家になれるのが確約されたわけだし、それなら辞めるのも一つの手だと思うわ。安定した収入が心配なら、私が働くわよ。妻っていう存在は、夫の枷になるためにあるわけじゃない。夫の力になるためにあるんだってことを、証明してあげるわ」


 みどりは、とても格好いいセリフを言い切った。

 耳元でこのようなセリフを囁かれたせいで、青太は改めてみどりに惚れ直してしまった。

 いい女だ。青太にはもったいないほどの。


「みどりの気持ちはありがたいけど、どうするのが最適かは、その時になってから考えようか。普通に考えれば、入賞なんて夢のまた夢だし、今の時点で何を言ったところで取らぬ狸の皮算用でしかないんだから」

「そうね。私が言いたかったのは、私は青太の味方だからってこと」

「ありがとう、みどり。愛してる」


 青太が感謝と愛を伝えたのに、みどりは無言だった。


「ここは、『私も愛してるわ』とか言ってくれないわけ?」

「嫌よ、恥ずかしい。外国人じゃないんだから」

「俺は言って欲しいなあ。なあ」

「うざい。はい、話はおしまいね。執筆、頑張って」


 結局、みどりは何も言ってくれなかったが、彼女の愛情は十分に伝わった。

 青太はますますやる気が湧いてくるのだった。

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