9。
約束の3時。
私は居酒屋ツブリの前に居た。
入り口には本日18時まで貸しきりとデカデカと書いた黒板が立て掛けられている。暖簾を潜るとすかさず店員がやって来て名前を確認する。
「いらっしゃいませ。お名前をフルネームで教えて頂けますか?」
「桜井薫です。」
「桜井・・・薫様。あっ、こちらですね。」
座席の表を確認すると四人がけの個室に案内された。
個室には社長と梨華が先に座っていた。
「薫ちゃん、お疲れ~。」
「薫、久しぶり。今日は楽しもう。何って言ったって私のお披露目会も兼ねてる訳だから。ねっ、まぁ君。」
「そうだね。梨華ちゃん。」
社内では絶対に薫ちゃんなんて呼ばない社長の梨華とのおどけた様子に面食らいながら席につくと、店員に連れられて後からもう一人やって来た。
「こんにちは。」
声の主を確認すると北村君だった。
驚いて社長と梨華を見つめる。
ふたりは意味ありげな笑顔を投げ掛けてくる。と、同時に梨華の手が私に延びてきて私の右手を包み込む。
「薫、ごめんね。出過ぎた真似だと思うけど、我慢できなくて。まぁ君にも話してこの会を取り持ってもらったの。」
「俺も梨華から話を聞いて北村にも確認したんだ。薫ちゃんと話したいか?ってその結果がこの会だから安心して。ってわけで俺らはこれから各テーブルを回って挨拶してくるから後は二人でしっかり話してよ。じゃぁ。」
「じゃぁね。」
そう言うと二人は腕を組み個室から出ていった。北村君と取り残された私は何を話せばいいか分からず黙りこんで無意味にお絞りでテーブルを拭いた。
「先輩、何か飲みませんか?」
沈黙を破ってくれたのは北村君だ。
「じゃぁ、ビールで。」
北村君は笑って頷くとコールボタンで店員を呼んだ。
「生中2杯お願いします。」
「かしこまりました。こちらコースメニューの前菜サラダとツマミの盛り合わせですね。」
店員が注文と同時にメニューを持ってやって来た。大皿のメニューを前に私は、つい癖で四人分ざっくりと取り分けた。その様子を見て北村君が笑う。
「そういう事を自然にやってくれるのが桜井先輩の良いところですよね。本当にさりげなくやってくれるもんだから僕ら甘えてしまうんですよ。」
「えっ?」
「面倒なことや誰もやりたくないような事は、みんな桜井先輩がやってくれるって。この前の飯田様の件もそうでした。あの時きちんと対応しないといけなかったのは坂下で桜井先輩じゃなかった。僕はふたりが応接室で話していることを知りながら坂下を応接室に向かわせなかった。桜井先輩がうまく落ち着かせてくれるって思って、坂下を向かわせたら拗れるって頭の中で計算して応接室から出てきたとき分かる場所に立って坂下を叱っていました。すみません。」
「気にしなくて大丈夫。何て言うか人のやらないことをやるのが私の役目みたいに思ってる部分もあるし、そうじゃないと私の存在意義がないって言うか。」
「そんな事ないです。桜井先輩の存在意義は大きい。僕は入社当時から桜井先輩に支えられて来たと思っています。嘘だと思うかも知れませんが、僕はずっとずっと桜井先輩を見ていました。ずっと伝えたくて公園にも行ったんですが猫にしか会えなくて。」
やっぱり体操のおじいさんが言っていたのは北村君の事だったんだ。言い様のない嬉しさと気恥ずかしさが込み上げてくる。
「お待たせしましたぁ。」
そのタイミングで生中が運ばれてきた。私は渡りに船とばかりに自分の気持ちを隠そうとビールに飛び付いた。
「わっ、美味しそう。飲もうか?北村君、乾杯!!」
ふたりでグラスを合わせた後、私はグビグビとビールを胃に流し込んでついでにおつまみも口に放り込み、ひたすら美味しいねと呟いて今は飲み食いに夢中なのだとアピールする。北村君はそんな私を静かに優しく見つめていて胸が苦しくなる。苦しすぎてもう駄目だと箸を置いたとき北村君が話し出した。
「全部、社長から聞きました。社長の奥さんと桜井先輩は親友だったんですね。悩みを相談してたって。本当は僕に言うつもり無かったらしいです。でも、社長の奥さん何ヵ月も連絡を寄越さない桜井先輩を心配して社長に話したそうです。で、僕に話が来ました。何度でも言いますが、僕は先輩の内面が好きです。もちろん外見も好きですけど。年の差なんて気にしてません。僕は、いや俺は、いろんな事ひっくるめて全部桜井先輩が好きです。駄目でしょうか?」
真っ直ぐな視線に真っ直ぐな言葉。
どれもが胸に響いて気付いたら私は泣いていた。
「駄目じゃない。私、嬉しかったの。北村君に告白された時は驚きすぎて断るみたいな事になっちゃってたけど、私の事をちゃんと見て認めてくれる人がいてくれたと思ったら、すごく嬉しくて好きになってた。でも、そんな事がきっかけで北村君を好きになるなんて信じられなくて、恋じゃないんじゃないかって自信が持てなくて、梨華にも相談してそれは恋だよって言ってもらえて自分の気持ちに確信が持てた。でも、年齢の事も引っ掛かってて、私は北村君より6歳も歳上だし。本当に、本当に私でいいの?」
「桜井先輩じゃないと駄目です。」
「ありがとう。」
その言葉が嬉しくて嬉しさで人はこんなに泣けるんだと思うほど涙が溢れた。北村君がぎこちなく頭を撫でてくれた。何だか恥ずかしくて私はその手を捕まえる。春先のあの日と同じくらい温かかった。思わず
「バーベキューの日と同じくらい手が温かいね。」
と私が言うと北村君は
「そりゃそうですよ。すごくあがってて身体中の血の巡りが良くなってますから。」
と笑った。私もつられて笑い、そのタイミングで
「これから宜しくお願いします。」
と伝えた。北村君は大きな笑顔で
「もちろんです。」
と私を受け入れてくれる。
その時、待ってましたとばかりに社長と梨華が戻って来た。その後にもう一人、坂下さんだった。私は体が強張る。坂下さんも固い表情だ。
「ちゃんと言った方がいいよ。」
社長が坂下さんに話しかける。
坂下さんはその場に座り込み俯いたまま話し出した。
「ごめんなさい。私、和樹、いえ、北村君に告白して振られてるんです。桜井先輩が好きだからって。でも、私は諦められなくて邪魔してました。本当にごめんなさい。この前、飯田様の件で桜井先輩に対応して頂いたとき、ハッキリと自覚しました。この人には勝てないって。悔しかった。悔しいしかなかった。でも、私のなかに目標が出来ました。好きな人が好きになるような人になろうって。私、桜井先輩みたいな人になります。それで、北村君より素敵な人捕まえますから!!」
「ったく、お前は素直じゃねぇなぁ。」
社長が坂下さんの頭を小突く。
「だって。薫ちゃん、どうする?」
私は不覚にも坂下さんの言葉にも泣けてしまう。涙腺緩みっぱなしだ。声にもならない声を絞り出す。
「すごく嫌だったけど、ゆ、許します。っていうか、そんな風に言ってくれて・・・ありがとう。」
「本当に、ごめんなさい。」
坂下さんも泣き出した。貰い泣きして梨華まで泣いている。
「いい大人が3人もこんなところで泣くなよなぁ。」
「そう言うまぁ君も泣いてるじゃん。あっ、北村君も泣いてる。」
「あははははっ。」
全員が泣いていることが分かって皆で笑い転げた。
私は転がり落ちた恋の泉に深く沈没したけれど、無事に浮上出来た。そこから見える世界は明るくて、これから楽しい日々が待っているそんな気がした。




